ブログネタ:給料が今の2倍になったら生活はどう変わる? 参加中不況の日本で給料2倍って大変なことですよね。夢みたい・・・。
でも、なんちゃって経営者として8年間奮闘してきたワタクシ、お給料を支払うことはあっても、自分が定収入として自分に「給料」を支払うことはなかったわけで、、、2倍にするのは、簡単、かんたーん。
っつーか、0円x2倍じゃ、0円のまんまじゃーん。。。ダーメダーメ!
今年のテーマは「日本に仕事の拠点を作る」です。
一時は、親の顔を忘れるほどの断絶がありましたが、どうにかこうにか、「実家を出る」ということで、お互いの譲歩があり、一歩前進。
モンゴルで不動産物件探しをしても、難しいので、よかったよかった。
無職じゃないんだけど、無職よりもタチが悪いっちゃー、悪いよね。
零細企業の社長なんて。収入安定してないし、しかも海外在住で、絶対条件は「大型犬飼育可」だからw
給料をいただく、というのは、人生の中で、わずか3年弱。テレビ番組の制作会社に就職したときだけですが、その期間はホント、辛いのと、労働の内容に対して、給料ってむなしいのぉ、って思いました。
私は定収入生活にはむいてないなって。
通訳はモンゴル語っていう特殊分野は仕事自体がそれほど多くないし、一度、日本の第一線を離れてしまったら、復帰は難しそう。でも、もともと好きな仕事だし、いろんな自分のポテンシャルを活かせる自分に向いてる仕事なので、これはマジ食い込みたい!
翻訳は、それこそ効率悪いです。時間がかかるし、こだわると資料の購入とかリサーチがそりゃもう大変で、、、最初っから自分でレポート書かせてもらったほうが楽チンだ、なんて思っちゃうことも。
これは自分の勉強でもあり、後々まで残る成果という意味で、自分の生活を膨らませるための仕事。モンゴル語-日本語の翻訳で食ってくっていうには、あまりにも拘束時間が長くプライベートがなくなるにゃ。
映像制作。これもまた、現場を離れてしまうと、忙しく過酷な日本での製作現場は大変なんですよね。
人間修養の場というか、全身全霊をフル活用するっていうことや成果が文字通り目で見ることができるっていうことがやりがいです。拘束時間が長いけれど、勉強になりますね。ロジックを鍛えるためにいい。
採算度外視というか、お金じゃないんだな、志だよねーっていう仕事で、大好きな先輩のためだからできる仕事。あるいは、自分の表現したい世界が見つかったときは、ギャラは勿論だけれども、ともかくも企画が通って、番組として、あるいは何かのメディアとして形にできるってことがすごい達成感をもたらしてくれます。
不況なときに給料を2倍にしたいって思ったら、給料を支払ってくれる会社=雇い主に20倍くらいの収入をもたらさないと駄目だよね。
通訳も翻訳も映像制作も、生産力ってのとは違うから、労働時間を2倍にすれば収入2倍になるってものでもないし、仕事の処理能力にも限界がある。単価を上げるっていうのは、現状から考えても、無理無理。
すると給料2倍にしますよ、って言われて自分が考えなきゃいけないことは、自分のどこが「売り物」になるか、ですよね。
今、モンゴルで通訳の仕事をするよりも、日本でやるほうが、同じ仕事なのに、単価が8倍くらい違います。
だから日本に拠点を移して、仕事発注元さえ確保できちゃえば、収入2倍っていうのは簡単なことです。
ただ日本は生活コストもそれなりにかかりますよね。最近のモンゴルも物価が高くなってて、仕事中に昼食を外でとろうと思うと、むしろ日本の方が安上がりだったりするから、簡単な比較はできないけれど。
モンゴル拠点は、実はちょろくって、仕事ないっすかー、って御用聞きしてりゃ、年がら年中仕事はあります。会社としてではなくても、フリーとしての仕事も入ってくるし、アルバイトというか短期集中の面白いものとかもね。
収入を2倍にしたいっていうよりは、ぬるま湯みたいになっちゃったモンゴル生活で自分がグズグズに腐っていくのは嫌だなって40歳を前に、一念発起したくなっちゃったから。
不惑って嘘だ。その時になったら、つき物落ちたみたいに悟れるってものでもなさそう。
日本で給料をいただいて働くとなったら、まず生活態度がガラリと変化し、相当のプレッシャーと責任感を背負い込むことになると思っています。
同年代の人たちは、今、働き盛りで、むしろ生産力の要として、ぐいぐい人々をひっぱり、日本を支えながら突っ走ってるわけで、それなりに「仕事ってのはさ」という一寡言を持っているわけですよ。結果、成果の裏づけバッチリな状態で。
それに比べると、私は根無し草だから、ふらふらと漂いつつ、自分の培ったモンゴル力とか発想力とか企画力とかそういうものでなんとなーく仕事しているうちに、なんとなーく「業績」みたいなものが積み重なっただけで、「俺様」みたいなことは言えないもんなぁ。
プロフェッショナルとしての仕事に対してのプライドはあっても、へんにプライドなんかを振りかざすと、新規参入は難しいモンね。
給料2倍は、つまるところ、仕事に対する周囲への説得力を倍増させなきゃいけないってことだな。
私はこれだけのことができるんです。ということと、それに対して、いくらの報酬をいただくのが相場、妥当ですっていうのを、納得いただいた上で、仕事の輪を広げ、幅を倍増させていくってこと。
そのプレッシャーは、のほほんとしたモンゴルで考えただけでもくらっくらしています。
こっちで築いたものは日本では役立たないかもしれない。
それでも収入倍増を目指して、日本拠点定着作戦を敢行する。
実家のサポートも、拠点確保までで、ほんとのほんとに金銭的にも、仕事だけが頼り。
収入2倍になることよりも、生活コストが、いったい何倍になるかってことが不安。
といいつつも、仕事を日本でって考えることにワクワクもしています。
今、モンゴルで蓄えることができるのは何か。
仕事の武器にできるものを揃えていくって意識を高めていくことが、給料2倍への道だ。
給料って形態で収入を得ようという気はさらさらないので、ブログネタテーマにはあわないかもしれないけれど、まぁ、社長ということで短い期間だったけれど、人々にお給料やら報酬やらを支払いながら、賃上げ要求に大して、自分がどんな風に感じたか、給料アップが可能な条件、納得できる条件はどんなものかってことは多少なりとも実感というかプリンシパルを持つことができました。
だから、そういう意識を持って、快く使っていただき、気前良く報酬を支払っていただける、明朗会計、誠心誠意、実力発揮の毎日に全身全霊を投入する、メリハリのきいた生活に、変わるって予感というか覚悟があります。
でも、なんちゃって経営者として8年間奮闘してきたワタクシ、お給料を支払うことはあっても、自分が定収入として自分に「給料」を支払うことはなかったわけで、、、2倍にするのは、簡単、かんたーん。
っつーか、0円x2倍じゃ、0円のまんまじゃーん。。。ダーメダーメ!
今年のテーマは「日本に仕事の拠点を作る」です。
一時は、親の顔を忘れるほどの断絶がありましたが、どうにかこうにか、「実家を出る」ということで、お互いの譲歩があり、一歩前進。
モンゴルで不動産物件探しをしても、難しいので、よかったよかった。
無職じゃないんだけど、無職よりもタチが悪いっちゃー、悪いよね。
零細企業の社長なんて。収入安定してないし、しかも海外在住で、絶対条件は「大型犬飼育可」だからw
給料をいただく、というのは、人生の中で、わずか3年弱。テレビ番組の制作会社に就職したときだけですが、その期間はホント、辛いのと、労働の内容に対して、給料ってむなしいのぉ、って思いました。
私は定収入生活にはむいてないなって。
通訳はモンゴル語っていう特殊分野は仕事自体がそれほど多くないし、一度、日本の第一線を離れてしまったら、復帰は難しそう。でも、もともと好きな仕事だし、いろんな自分のポテンシャルを活かせる自分に向いてる仕事なので、これはマジ食い込みたい!
翻訳は、それこそ効率悪いです。時間がかかるし、こだわると資料の購入とかリサーチがそりゃもう大変で、、、最初っから自分でレポート書かせてもらったほうが楽チンだ、なんて思っちゃうことも。
これは自分の勉強でもあり、後々まで残る成果という意味で、自分の生活を膨らませるための仕事。モンゴル語-日本語の翻訳で食ってくっていうには、あまりにも拘束時間が長くプライベートがなくなるにゃ。
映像制作。これもまた、現場を離れてしまうと、忙しく過酷な日本での製作現場は大変なんですよね。
人間修養の場というか、全身全霊をフル活用するっていうことや成果が文字通り目で見ることができるっていうことがやりがいです。拘束時間が長いけれど、勉強になりますね。ロジックを鍛えるためにいい。
採算度外視というか、お金じゃないんだな、志だよねーっていう仕事で、大好きな先輩のためだからできる仕事。あるいは、自分の表現したい世界が見つかったときは、ギャラは勿論だけれども、ともかくも企画が通って、番組として、あるいは何かのメディアとして形にできるってことがすごい達成感をもたらしてくれます。
不況なときに給料を2倍にしたいって思ったら、給料を支払ってくれる会社=雇い主に20倍くらいの収入をもたらさないと駄目だよね。
通訳も翻訳も映像制作も、生産力ってのとは違うから、労働時間を2倍にすれば収入2倍になるってものでもないし、仕事の処理能力にも限界がある。単価を上げるっていうのは、現状から考えても、無理無理。
すると給料2倍にしますよ、って言われて自分が考えなきゃいけないことは、自分のどこが「売り物」になるか、ですよね。
今、モンゴルで通訳の仕事をするよりも、日本でやるほうが、同じ仕事なのに、単価が8倍くらい違います。
だから日本に拠点を移して、仕事発注元さえ確保できちゃえば、収入2倍っていうのは簡単なことです。
ただ日本は生活コストもそれなりにかかりますよね。最近のモンゴルも物価が高くなってて、仕事中に昼食を外でとろうと思うと、むしろ日本の方が安上がりだったりするから、簡単な比較はできないけれど。
モンゴル拠点は、実はちょろくって、仕事ないっすかー、って御用聞きしてりゃ、年がら年中仕事はあります。会社としてではなくても、フリーとしての仕事も入ってくるし、アルバイトというか短期集中の面白いものとかもね。
収入を2倍にしたいっていうよりは、ぬるま湯みたいになっちゃったモンゴル生活で自分がグズグズに腐っていくのは嫌だなって40歳を前に、一念発起したくなっちゃったから。
不惑って嘘だ。その時になったら、つき物落ちたみたいに悟れるってものでもなさそう。
日本で給料をいただいて働くとなったら、まず生活態度がガラリと変化し、相当のプレッシャーと責任感を背負い込むことになると思っています。
同年代の人たちは、今、働き盛りで、むしろ生産力の要として、ぐいぐい人々をひっぱり、日本を支えながら突っ走ってるわけで、それなりに「仕事ってのはさ」という一寡言を持っているわけですよ。結果、成果の裏づけバッチリな状態で。
それに比べると、私は根無し草だから、ふらふらと漂いつつ、自分の培ったモンゴル力とか発想力とか企画力とかそういうものでなんとなーく仕事しているうちに、なんとなーく「業績」みたいなものが積み重なっただけで、「俺様」みたいなことは言えないもんなぁ。
プロフェッショナルとしての仕事に対してのプライドはあっても、へんにプライドなんかを振りかざすと、新規参入は難しいモンね。
給料2倍は、つまるところ、仕事に対する周囲への説得力を倍増させなきゃいけないってことだな。
私はこれだけのことができるんです。ということと、それに対して、いくらの報酬をいただくのが相場、妥当ですっていうのを、納得いただいた上で、仕事の輪を広げ、幅を倍増させていくってこと。
そのプレッシャーは、のほほんとしたモンゴルで考えただけでもくらっくらしています。
こっちで築いたものは日本では役立たないかもしれない。
それでも収入倍増を目指して、日本拠点定着作戦を敢行する。
実家のサポートも、拠点確保までで、ほんとのほんとに金銭的にも、仕事だけが頼り。
収入2倍になることよりも、生活コストが、いったい何倍になるかってことが不安。
といいつつも、仕事を日本でって考えることにワクワクもしています。
今、モンゴルで蓄えることができるのは何か。
仕事の武器にできるものを揃えていくって意識を高めていくことが、給料2倍への道だ。
給料って形態で収入を得ようという気はさらさらないので、ブログネタテーマにはあわないかもしれないけれど、まぁ、社長ということで短い期間だったけれど、人々にお給料やら報酬やらを支払いながら、賃上げ要求に大して、自分がどんな風に感じたか、給料アップが可能な条件、納得できる条件はどんなものかってことは多少なりとも実感というかプリンシパルを持つことができました。
だから、そういう意識を持って、快く使っていただき、気前良く報酬を支払っていただける、明朗会計、誠心誠意、実力発揮の毎日に全身全霊を投入する、メリハリのきいた生活に、変わるって予感というか覚悟があります。