ブログネタ:あなたの緊張解除方法 参加中子供のころから自意識過剰でヒステリー。失敗は許されない、なんてプレッシャーを自分でかけちゃうから、緊張対策は、常々、人生の克服すべき課題であります。
緊張なんてもんじゃないんですよ。もう最近は、失敗してもいいやー、死ぬわけじゃないもん、なんていいかげんさですが、子供のころは、「自分は失敗しちゃいけない。負けちゃいけない。」っていっつもプレッシャーをかけていました。
あんまり緊張しすぎて、耳が聞こえなくなっちゃったり、目が見えなくなっちゃったり、体が金縛りにかかったり。
ヒステリー症状ってやつです。
自己暗示みたいなものだから、自分で解除しないかぎり、治療法はないのです。
でも、そういうヒステリー症状に陥ってしまうのはなぜか、というと、漫画の読みすぎだったからなのです。
往年のバレエコミック「SWAN 白鳥」とか、「N.Y.バード」なんかの主人公の女性ダンサーが、オーディション直前に緊張で、、、というハプニング。
でも最終的には自分で乗り越えて、チャレンジしていくわけです。
だから、この自分の極度な緊張状態も成功へのワンステップだ!と酔いしれるのです。
そうやって、極度の緊張状態に陥れてから、不死鳥のようにその緊張を克服して大舞台へと立ち向かうかっこいい自分、これがワンセットと思い込む。
平常心が大事って、剣道の稽古でよく言われてたのですが、心が平常な状態であることが少なかった子供時代は、平常って意味がわかりませんでした。だから試合や昇段試験前は緊張する。
でも、緊張しないでいどむチャレンジよりも、緊張がバリバリだったときほど、自分への陶酔感も大きいから成績というか出来がよかったです。
アメリカ留学時代も、歌やミュージカルのオーディションで緊張しちゃったけれど、でも、英語がネイティブじゃないから、失敗して当たり前だ、自分なりに楽しもうって、思えるようになったことで、オーディションや試験などであがることがなくなりました。
高校3年生で留学しちゃったから、帰ってきてからの大学受験は、授業内容についてけてなくて、志望校はだいぶランクを下げちゃったけれど、大学の受験問題自体は、どこの大学もとても楽しく解けました。
どんな人たちが受験するのかなぁ、大学ってどんなところかなぁ?とかわくわくしてて。
受験するのが楽しかったです。わからない問題は、問題をしっかり覚えておいて、あとで復習して、「やっぱ、違ってたかぁ!」なんて、知らないことがわかったから、ま、いっか、なんてね。
通訳の初仕事も、緊張して、帰りのJRの駅構内のトイレでげぼげぼに吐いたら、もう胃がきれちゃってたらしく吐血してました。
通訳デビューは英語については、仲間と一緒だったし、自分も英語圏で暮らしていたって変な自信に満ち溢れてたから全然緊張なんかしなかったんだけど、モンゴル語については、完璧見切り発車で、他に誰もやる人がいないから、お前でいいや、みたいな、雇うほうもやけっぱちだったりしたわりに仕事内容が専門的で高度でしかも緊張度の高いものだったから、初日は、もうげぼげぼでした。
やるだけやった、という自分なりの準備万端っていう状態が作れていないとびびってしまう。
自意識過剰だから、うまくやらなきゃって、実力以上のことを自分に求めちゃうんですよ。誰も期待してなかったりするのに。
緊張状態はテンションあげるための、実力を最高潮にもっていって、放出するバルブなんだってイメージします。
だから、緊張をほぐすのではなく、どんどん高めて、テンション最高潮ぶっきぶき、ぐらいにあげて、ガッチガチにしてから、一気に、、よっしゃー!!ってほとばしらせるのです。
かっこいいー!!って陶酔しながら。
自分を解き放つ直前が一番、大変だけど。
ちょっとした緊張や、しなくていい緊張は、ストレッチしたり、ぶらぶら体操なんかがよく効く。
結局、肉体の物理的な現象が問題なわけだから、意識を別なところにもっていくためにぼーっとしたり、手をぶらぶらとぶんまわしたり、首をストレッチしたりと、簡単なことでほぐれます。
緊張しているから、ほぐさなきゃって意識するとますます緊張しちゃうから、イメージは逆に。
緊張は最高潮に高めたから、さて、そろそろ緩めますか、って考えます。
緊張も自分がコントロールした結果で、想定内さって思い込む。
子供のころから試合、試験、オーディションと緊張と付き合ってきたから、今では人生の一部であります。
緊張感が高ければ高いほど、ステイタスも高い舞台なんだって思い、その舞台に立てる私は幸せものだなぁ、ありがたいなぁ、って感謝するのです。
一人で勝負すべき舞台に出るときは、あんまり神様にお祈りしたりしない。
誰かのことを思い浮かべることもしない。
緊張状態の自分を助けられるのは自分だけだって覚悟を決めちゃえば、きっといい状態で解除できる自分なりの方法が見つかります。
緊張なんてもんじゃないんですよ。もう最近は、失敗してもいいやー、死ぬわけじゃないもん、なんていいかげんさですが、子供のころは、「自分は失敗しちゃいけない。負けちゃいけない。」っていっつもプレッシャーをかけていました。
あんまり緊張しすぎて、耳が聞こえなくなっちゃったり、目が見えなくなっちゃったり、体が金縛りにかかったり。
ヒステリー症状ってやつです。
自己暗示みたいなものだから、自分で解除しないかぎり、治療法はないのです。
でも、そういうヒステリー症状に陥ってしまうのはなぜか、というと、漫画の読みすぎだったからなのです。
往年のバレエコミック「SWAN 白鳥」とか、「N.Y.バード」なんかの主人公の女性ダンサーが、オーディション直前に緊張で、、、というハプニング。
でも最終的には自分で乗り越えて、チャレンジしていくわけです。
だから、この自分の極度な緊張状態も成功へのワンステップだ!と酔いしれるのです。
そうやって、極度の緊張状態に陥れてから、不死鳥のようにその緊張を克服して大舞台へと立ち向かうかっこいい自分、これがワンセットと思い込む。
平常心が大事って、剣道の稽古でよく言われてたのですが、心が平常な状態であることが少なかった子供時代は、平常って意味がわかりませんでした。だから試合や昇段試験前は緊張する。
でも、緊張しないでいどむチャレンジよりも、緊張がバリバリだったときほど、自分への陶酔感も大きいから成績というか出来がよかったです。
アメリカ留学時代も、歌やミュージカルのオーディションで緊張しちゃったけれど、でも、英語がネイティブじゃないから、失敗して当たり前だ、自分なりに楽しもうって、思えるようになったことで、オーディションや試験などであがることがなくなりました。
高校3年生で留学しちゃったから、帰ってきてからの大学受験は、授業内容についてけてなくて、志望校はだいぶランクを下げちゃったけれど、大学の受験問題自体は、どこの大学もとても楽しく解けました。
どんな人たちが受験するのかなぁ、大学ってどんなところかなぁ?とかわくわくしてて。
受験するのが楽しかったです。わからない問題は、問題をしっかり覚えておいて、あとで復習して、「やっぱ、違ってたかぁ!」なんて、知らないことがわかったから、ま、いっか、なんてね。
通訳の初仕事も、緊張して、帰りのJRの駅構内のトイレでげぼげぼに吐いたら、もう胃がきれちゃってたらしく吐血してました。
通訳デビューは英語については、仲間と一緒だったし、自分も英語圏で暮らしていたって変な自信に満ち溢れてたから全然緊張なんかしなかったんだけど、モンゴル語については、完璧見切り発車で、他に誰もやる人がいないから、お前でいいや、みたいな、雇うほうもやけっぱちだったりしたわりに仕事内容が専門的で高度でしかも緊張度の高いものだったから、初日は、もうげぼげぼでした。
やるだけやった、という自分なりの準備万端っていう状態が作れていないとびびってしまう。
自意識過剰だから、うまくやらなきゃって、実力以上のことを自分に求めちゃうんですよ。誰も期待してなかったりするのに。
緊張状態はテンションあげるための、実力を最高潮にもっていって、放出するバルブなんだってイメージします。
だから、緊張をほぐすのではなく、どんどん高めて、テンション最高潮ぶっきぶき、ぐらいにあげて、ガッチガチにしてから、一気に、、よっしゃー!!ってほとばしらせるのです。
かっこいいー!!って陶酔しながら。
自分を解き放つ直前が一番、大変だけど。
ちょっとした緊張や、しなくていい緊張は、ストレッチしたり、ぶらぶら体操なんかがよく効く。
結局、肉体の物理的な現象が問題なわけだから、意識を別なところにもっていくためにぼーっとしたり、手をぶらぶらとぶんまわしたり、首をストレッチしたりと、簡単なことでほぐれます。
緊張しているから、ほぐさなきゃって意識するとますます緊張しちゃうから、イメージは逆に。
緊張は最高潮に高めたから、さて、そろそろ緩めますか、って考えます。
緊張も自分がコントロールした結果で、想定内さって思い込む。
子供のころから試合、試験、オーディションと緊張と付き合ってきたから、今では人生の一部であります。
緊張感が高ければ高いほど、ステイタスも高い舞台なんだって思い、その舞台に立てる私は幸せものだなぁ、ありがたいなぁ、って感謝するのです。
一人で勝負すべき舞台に出るときは、あんまり神様にお祈りしたりしない。
誰かのことを思い浮かべることもしない。
緊張状態の自分を助けられるのは自分だけだって覚悟を決めちゃえば、きっといい状態で解除できる自分なりの方法が見つかります。