ご近所付き合い、ある? ブログネタ:ご近所付き合い、ある? 参加中
人口密度が世界でも1,2位を争うくらい低い独立国モンゴル。
だだっぴろい荒野で人の住める条件が整っているところなんかはかなり限定されます。
ゆえに、草原や針葉樹林・タイガでの人間づきあいを大事にすることは死活問題。
人間、助け合いが必要なのです。

こってりとした、東京では「ずうずうしい」と嫌われること間違いないであろう、グイグイと食い込んでくる交流もモンゴルでは当たり前。
ひさしを貸して母屋を取られる、状態になることも珍しくないかも、、、というくらいのなじみっぷりです。

今暮しているアパートは入り口がひとつでエレベーターなしのボロアパートなので、「同じ屋根の下」の住人は大体が顔見知りです。
ついでに、散歩コースの公園でたむろしているじいさん、ばあさんや子供達も。
ソートンのおかげで「ご近所づきあい」の輪が広がっています。

でも、まぁ、ご近所づきあいといえば、針葉樹林帯タイガでのトナカイ乗っての狩猟採集暮らしを思い出します。
私が長く滞在していたのは主に、ズーンタイガと呼ばれる最北端の森をメインに移動しているグループだったのですが、まぁ、一番大きなスペースで女所帯のテントに居候させてもらっていました。
女性だけっていうわけではなく、風来坊みたいな女主人の年の離れた弟や息子達もいたのですが、まぁ、私も弟がいたわけだし、ワンゲル部では男女テントでギュウギュウ詰めの雑魚寝もよくある話なので、あんまり気兼ねせずにお世話になっておりました。
タイガでの生活っていうのは、集落ではいたってノンキ。
トナカイも朝、放牧しちゃってからは、たまーに群の場所を確認しに行くくらいで、皆、茶飲み話に興じています。
あっちのテントで茶のみ話。こっちのテントで茶飲み話。

家計簿的に、集落やその村、600世帯ほどの日常生活を、主要な食材、石鹸やろうそくなどの日用品、狩猟などに使う道具や馬具にかかる経費、教育費や衣類、テントの維持費など30項目くらいにわけて、収支記録を2年間くらいつけたことがあるのですが、他のモンゴルの地域に比べても、ダントツで、お茶の消費量が多かったのでした。

というのも、朝から晩までお茶を沸かして飲んでいるのです。この人たちは。
ズーンタイガが最大の集落になるのは、大体夏が多いのですが、20世帯弱くらいなんですね。
子供合わせると100名弱。
どこかひとつの家だけに集中してお茶やお茶菓子、料理だのが消費されるわけじゃなくて、持ち回りなんですよ。しかも毎日。
ご飯にしても、1世帯で食べられる食料はわずかなんだけど、それをあっちで食い、こっちで食いするから、トータルすると大体、モンゴルの一般的な食糧消費に相当する、と。
でも、家計はそれぞれ別なのです。
いっそ、集落全体でトータルして、人数割りすりゃよかったのか?と思うくらい、それぞれ稼ぎがバラバラ、持っている財産にもわずかながらも格差があるのに、結局、日常で消費するものは貸し借りするから、あんまり突出した「お金持ち」は存在しないのです。
あるところからわけてもらうのが当たり前、なこゆーいご近所づきあい。

ゆえに、私も最初の長期フィールドワークの際に、小麦粉30kg、米20kg、干し肉6kg、飴やら砂糖やらを居候先で一緒に消費しても3ヶ月は持つだろう、という計算で持ち込んだわけですが、ほんの2週間足らずで、あっという間にみんなによってたかって消費されちゃいましたからね。

唖然としちゃいましたが、でも、そこからが面白かったです。
狩猟採集を基本としている人たちは、本来、食料があると働かない。
なので、飢餓状態手前くらいに集落に食べ物がなくなると、集落にある保存がきく食べ物をがっつり集めて、鹿の肩甲骨の骨を火にくべる骨占いで、狩人や行き先を選出して、獲物を求める旅に送り出すのです。
本来ならば、外国人でしかも女の私は連れて行かないはずなのですが、食料のない集落で何をするでもなくぶらぶらしていると、おなかがすいているのもあってイライラするから、和を乱しかねないし、狩猟なんて、日本じゃそうそうくっついていくチャンスもないし、もともと狩猟採集文化の調査なんだから、狩猟についていくほうがいいに決まっている!

それにしても、ほんと、集落は、まるでくもの糸のように、親兄弟姉妹、いとこ、はとこ、そのまたいとこ、姻戚、姻戚関係があった人の親戚の子供、、、のようにゆるーい親戚(日本だと場合によっては親戚にはカウントされないくらいの薄い血のつながりも含みます)で構成されていますが、ひとつの大きな家族みたいに助け合い、くっつきあって生きているのでした。

生きるも死ぬも一緒だよ、みたいな。

でも、全然悲壮感がなくって、ノンキなんですよ。
死の直前にいたっても、ほんとノンキでしたからね。死ぬ人も、後に残される人も。
死ぬ3日前まで、私がたちあったおばあさんは、自分の家に人を招いて茶飲み話してましたからね。

あっという間に死んじゃって、あっという間に集落全体が哀しみに沈んでどんよりして、あっという間に葬式することになって、そして、あっという間に埋葬が終わった途端に、「人が死んだキャンプ地には長いをすると死にトリツカレル」とかいって、さっさと集落全体がお引越し。

もう面白いというか文化人類学的には興味深い行動がてんこ盛りでした。

みんな、悲しくないわけではないのです。
死を悼む心がないわけでもない。

でも、ともかく生きている人たち最優先なのでした。
そして、トナカイの数が少なくていっぺんには移動できない人たちもいるから、何度もピストンをして、一日5kmとか10kmとかの短距離でも、移動していく。
取り残す、なんてことはしないのです。

とにかくこい人間関係には驚かされます。
親しくなると、勝手に人の荷物をごそごそ探って、「あ、これいいな。貸して」とか言い出すし。
「貸して」といわれて、貸さないと、「あいつはけちんぼだ」と悪評が一気に広まってしまうので、むげに断ることもできず。
そして、私は何回かのフィールド調査の結果、持ち物は最小限に少なく、どこかにあるものは、自分で持っているほうが便利でも持っていかないで、他人に借りるほうがいい、と学びました。

モンゴルには、「うちになくても、お隣にある」という格言があります。
皆、ドラえもんに出てくるガキ大将「ジャイアン」みたいな人たちなのです。
「のびたのモノは俺のもの。俺のものも俺のもの」。

でも、そんな風にシンプルで、屈託なく貸し借りができちゃう関係の方が、本来は健全で、ある意味横並びにお金を十分に持たないコミュニティの方が、面白おかしい、仲良しなご近所づきあいができるのかもしれないなって思ったものでした。

自分をさらけ出してしまうこと。なかなか難しいんだけれど、怒りや哀しみのような感情も含めて、ぶちまけちゃうと、意外とモンゴル人とはハラをわったつきあいができるような気もします。

ただ、お金が絡むと狼になっちゃうから、お金の管理だけはご注意を!