多分しないけどお金と時間があったらしたいこと ブログネタ:多分しないけどお金と時間があったらしたいこと 参加中
ブログネタで「多分しないけどお金と時間があったらしたいこと」に参加します。

人間が生きるにあたって必要とする、タダでは手に入らないものがお金。
あるいは、ほしいと言っても手に入らないもの時間。

この二つが自分が欲しいだけ手に入るっていう仮定で話をすると、あまりに壮大になりすぎて、「しない」んじゃなくて、「できない」夢。

それは、人類まるごと抱えられるくらいの余裕をもって、自然と人類が共存できる楽園づくりにチャレンジしてみたいなぁ。

地球上にある、あらゆるお金を集めて、お金自体の価値をなくしてしまいたい。
その上で、自分が手に入れるものしか、自分の口に入れられないっていう条件で人がどれだけ、自分の力で生きられるのかを体験してみたいです。

お金が無価値になってしまえば、お金稼ぎにあくせくする必要はなくなります。
本当に人間が必要だっていうものは、食べ物であり、自分でものを作る知恵と助け合う力。

無限のお金は、無価値と同じになる。
持てる人と持てない人がいる不均衡が、今のような劣等感や不幸を生み出すならば、私はすべてのお金を自分が手に入れて、お金に力があるっていう幻想的な信頼をぶち壊してしまいたい。

人は今、お金があれば、食べ物が手に入れられるって思っているけれど、実際には、この地球上にある食糧供給ポテンシャルってほんとに、全人類や野生生物をまかないきれるほどあるのかしらん?
世界中に散らばっている飢餓に苦しむ人たちの多くは、お金がないから食べられないんじゃなくて、食べるものがないから生きられないっていう環境に置かれているのではないか、と思うのです。

お金があれば、うんと遠くからおいしい食糧素材を手に入れられる生活が当たり前って思っているなら、その人は、明日の食事を心配したほうがいい。

今、私たちに必要なのはお金ではなく、自分個人が持てる時間でもなくって、生きる力をみんなが持てるようにすること。そのために、十分なお金があったらいいなぁ。

地球規模っていうのは極端なので、せめて日本だけでも、できないかしら?

麻生内閣で喧々諤々している定額生活給付金。あれも、国民全員分を集めれば2兆円くらいにはなるそうです。
2兆円あれば、あぶく銭をぱーっとつかう、瞬間経済活性化よりも、国民全体の生活コストを切り下げるためのシステム構築、できないのかなぁ?

今の日本、極端な言い方すれば、資本主義、市場経済主義の国なのに、国民のために、っていっていることは、実際にやるなら共産主義っぽい。横並びに皆にわけちゃって結局、せっかくの大きな富がずたずたのハシタガネになっちゃうの。
国民全員がもらえちゃうならば、結局、12000円ー20000円分は無価値なわけでしょ?

それくらいなら、相続税だなんだと、国民から取り上げて、なんにも使えなくなっている土地を畑にして、国の食糧自給率を上げるための国営農場にして、失業者の人たちもそこで働けば、当面、食うところと住むところには困らないっていうふうにしちゃえばいいのに。

私にはお金も時間もあまり残されてはいないけれど、日本の国には、1億人を超える大勢の人たち全員にばらまけるだけのお金があるわけですし、たとえ、今、生きている人が死んじゃったとしても日本っていう国は残っているであろうから、やればいいのになぁ。

人類の理想的な楽園っていうのは、そんな風に、お金にあくせくしなくても、労働を喜びとして、自分が働いた分が報酬として自分の生活を豊かにし、お互いができることで助け合いながら生きていける、死ぬことにも、生きることにも不安のない生活がおくれる場所だと思います。

そして、2兆円もあって、みんながそういうことを望めば、日本国内だけでも楽園になって、かつて、マルコポーロたちが夢見た理想郷を、今、この世界に提言できると思うのに。

ま、たぶん、お金と時間があり、知恵もあったとしても、日本はそんなこと、しないと思うけどね。