貯金してる? ブログネタ:貯金してる? 参加中
世の中の景気、不景気にかかわらず、自分のこころがけ次第で増やすことができるのは、預金通帳の数字、です。
よく雑誌などでは、100万円とか200万円とか、目標金額を決めてためる、とか、「何か買う」対象を決めるというのがコツだって書いてありますね。500円玉貯金とか条件づけするとか。

就職していた3年弱以外は、基本的に私は不定期収入の人。
フリーランスで仕事をしていて、会社経営っつっても、フリーの延長みたいで、ここ2年弱は社会貢献があんまりできていません。景気にもちっとも貢献できていないどころか、所得だけ考えると、貧困層に入るんだなぁ、ってあらためて気が付きました。

お金は贅肉と同じで、あんまりため込んでもよくないと思います。
贅肉は、自分が食べた食糧のカロリー>身体を維持したり、運動したりして消費するカロリーの状態が続くと、確実にたまります。
お金も一緒。
収入>消費であり続ければ、確実にお金はたまるのです。

基礎代謝と一緒で、自分がどうしても必要なお金=生活維持費がいくらかをまず把握した上で、それを上回るだけの収入を得る手段を模索する。

日本では今、ワークシェアリングが注目されていますが、どんどん導入すればいいのに。

日本で働くと思うのは、映像業界などマスコミ系の製作業務が多いせいかもしれないけれど、とにかく労働拘束時間が長いです。

でも、働いている限り、あんまりお金を使うチャンスがありません。
編集作業や撮影などの時は、とかく仕事に集中しているので、ちゃんとした食事をとる気力もなく、ひたすらヘトヘトになるまで時間と闘って、つめこみまくるのです。
終電に駆け込んで、家に帰ってバタンキューだから、飲みに行ったりっていうこともない。
交通費などはプリペイドカードだから、通勤しているときのお財布の中は、テレフォンカードと2000円位。一応、銀行のキャッシュカードもあるけれど、ほとんど触らないし、いよいよって時じゃないと見ない場所に入れてます。

食事は1日3回なくても大丈夫だし、お酒も必ず飲まなきゃいけないものでもない。
友達と遊びに行くのも、仕事が忙しい時は無理して合わなくてもいいし、電話でだらだら話もあんまりしない。
インターネットがあれば、たいていのコミュニケーションはとれますもの。

そうやってそぎ落としていくと、日本での暮らしは、モンゴルでの暮らしと生活コストはあんまり変わりません。モンゴルで切り詰めるにしても、外国人からはお金を取るっていう方針の国なので、限界があるし、なんといっても、報酬相場が日本のほぼ10分の1ってな感じなので、同じ仕事をしても、懐に入ってくる金額が圧倒的に少ないのです。
そういう厳しい条件を乗り越えて、苦節10年、コツコツためていたものを一切合財、モンゴル人にだまし取られちゃいました。
これはン千万円まで通帳上の金額は増えていただけにショックでした。モンゴルのアバウトな金融制度と人を信用しすぎていた私がまぬけだったからで、誰もが遭遇するハプニングではないと思うけれど、身体の健康を壊滅的に壊して、精神的にも落ち込んで、イライラして人格が荒れ放題になりましたよ、3週間くらい。

お金のない自分にこれほど自分が不安になると思わなかったけれど、一人ぼっちで「貯める」ってことに生き甲斐を感じて、切り詰めに切り詰め、コツコツやっていればいつか「いいことができる」って信じていただけに、「トンビに油揚げをさらわれる」状態に、弟のように信じていた青年にシテヤラレタことはがっくりだったのです。

でも、しばらく司法の場で争ってみようとがんばったのですが、結局、「正義の勝利」を勝ち取るためのコストは「無駄遣い」のような気がしてきました。

どうして、10年ほどでン千万も貯められたかと言えば、プライベートでの遊びにお金を使わず、心身の疲労限界に達する働きづくめで、ほとんど使わなかったからで、貯金はできたけど、ちっとも生活が「裕福」っていう実感を持てないままに、その通帳は価値のないものになりました。

あーあ、お金、なくなっちゃった。

それから、私、思ったんです。
お金と贅肉は一緒だ、と。

身体に適度な脂肪は必要だし、食事は大切だけれど、贅肉はいらない。ありあまるほどの贅肉は、私がちっとも使わずため込んだ貯金と一緒なのです。

なので、今は、預金残高を把握しながら、収入を使ってます。
友達とご飯を食べに行ったり、飲みに行ったり、旅に出たり、ドライブしたり。
気に入った服を買い、気になるライブコンサートや舞台を見に行く。
温泉に行ったり、少し離れたところにいる友達を訪ねたり、知らない土地に行ってみる。

ビジネスを立ち上げたときは、収入は生活費以外はすべて事業の次なるステップへに回そうって思って貯金していたけれど、その「先」は結局、「お金を使いたくて仕方なかった」モンゴル人共同経営者たちの手に渡りました。世の中そんなもんで、自分が本来必要としているものは手元に残りました。

愛犬と自宅アパートと会社の権利。
取り戻したものは裕福さにかかわる理性と人間らしい愛情と生きていることに感謝する気持ち、笑顔と健康。
そして、「自分が自信をもってできることでお金を稼ごう」という原点に戻りました。

経済とか景気とかっていうものは、「金は天下の回りモノ」というのが原則だと思います
需要と供給のバランスがとれた状態っていうのは、どっちかが傾いていないといけない。ずっとプラスマイナスゼロっていうわけにはいかないのです。イオン交換と一緒で、プラスとマイナスいったりきたりっていうのが動きをとめないためには必須。

今までため込んでいた分は、ダムの決壊みたいに流れ出てしまったので、新たに小さなビーバーみたいなダムを自分ができる範囲で作っています。

今の貯金方法は、ギャラを銀行振込みにしてもらうものと、「現金とっぱらい」といういわゆる、現金手渡しでいただくという2Way方式。

現金とっぱらいの仕事で生活費をまかない、銀行口座に振り込まれるものは半年は手をつけない。

ちなみに、モンゴルではあんまり貯金って重きをおかれていません。
金利も高いのになんでかなーって思ってたんだけど、大手銀行と言われるところでも、すぐに貸倒れになる傾向があるのと、インフレ率がすごいから、今のお金の価値は、半年後には確実に目減りしていたりするので、預金残高が増えてたところで、物価もあがっているから、あんまり意味がないからなんですね。
昨年11月に、ようやく「銀行の預け金額元本保証」の法令が成立したけれど、その翌月から、バタバタと経営破たん寸前の商業銀行が続出、ですからね。
特に、まとまった金額のドル預金を引き出そうとしても、できないって銀行に断られることもあるので、要注意です。

移動をよくする遊牧系の民族はどこでもそうだけれど、財産をお金ではなく「モノ」=資産でとらえているのです。

貯蓄のできない人たちは、いざっていうときに困り果てているけれど、ため込んだところで、モノの価値基準が変わっちゃえば、お金なんて紙屑。それこそ引き出せない預金なんざ、ストレスの種以外の何物でもないのです。

それでも貯金したいっていうならば、それこそ減量ダイエットのときのカロリー計算の逆をすればいい。

私の簡単な目安はこんな感じです。

(収入)-(生活最低必需経費)-生活満足経費(娯楽や趣味など)=貯蓄
所得(収入から税金や諸徴収料金をひいたもの)x10%が目安です。

理想は所得の10%を慈善事業などの寄付献金や、何か世の中のためになることに使う。
所得の10%以上を預金に回す。
40%くらいが生活必須コスト。
20%で娯楽交友費を賄う。

でも、これも感覚の問題なので、かっきり計算してやっているわけじゃなくて、傾向をみてみるとこんな感じでできていると、順調にお金がたまっているなぁ、っていうことです。

呼び水というか、いざという時の備えをできれば60万円くらい、すぐに現金として手元に戻せる状態にしておくとより安心して、貯金につぎ込めます。


でも、確実で安全な安定した暮らしをしようとすると、どうしても生活経費が膨大になります。
となると、娯楽というか心の余裕を切り詰めないと、貯金の数字は増やせませんね。

今のところ、私は「いざ預金」を目標金額にしたので、地道な貯金と精神的な充足生活を目指しています。

宵越しの金は持たないっていうのは、今のこの不況時代は、いかがなものかって思うけれど、逆にこうも思うのです。

過剰な期待をしなければ、人は、ほんとに好きなもの、欲しいものを執着せずに手放せば、きっとよい形で自分のところに戻ってくる、はずです。

生活がどん底な時は、手にしたお金が手元に残らないことにすごくイライラします。
でもイライラしながらでも、10円でも100円でも、1日の最後に財布にお金を残すようにして、その残額は貯金箱に入れる。そして、10円分、100円分の我慢をできた自分をほめてあげるんです。

子供の頃は友達が「1か月にいくら」っていうお小遣いをもらっているのがうらやましかった。
私も弟も、お小遣い制じゃなかったから、家事手伝いとか御遣いなどの軽い家族貢献をしないかぎりはお金を手にすることはなかったので。
お年玉もお年玉袋から取り出すところまでは楽しみなんだけど、結局、全部、「郵便貯金」にまわされて、しかも自分の通帳はみたことがなかったです。
ほんとに必要なものは、父か母に「予算申請」をした上で、家族として「ほんとにそれが必要か」と審議された上で、購入の是非と時期が決められるのです。
なんだかんだと、子供時代のコストは結構、家計を圧迫していたと思います。
お稽古ごとも、剣道、ピアノ、そろばん、水泳、野球など忙しくやっていたし、夏季講習や学習塾なんていうのも、行かせてもらっていたから。
でも、子供の頃から、「何かをするといくらかかる」ということと、「我が家の現在使える金額の上限はこれだけ」というのを知らされていたから、自分にかけられる予算内でできることを考える習慣がつけられたので、よい制度であったと思います。
「ない」といいつつ、貯め込み上手の母は、「へそくり」がいくら、と暴露しちゃっていたけれど、それはあくまでも「へそくり」なので、年に1,2度の「いざというとき」の大盤振る舞いで使い切ってしまうのでした。

結局、子供時代からの延長なのですが、私の貯蓄法の根本はこれ。

 「ちみちみ」と「ドバーン」の快感を習慣化する 
貯蓄とやりくり上手になるために必須の精神です。