体のために気を遣っていることは? ブログネタ:体のために気を遣っていることは? 参加中
重心って、大事だな。心の重さが、人の生きざまの振り子の中心になっているんだって。

私は子供の頃から、感情の起伏が激しく、直観やひらめきが鋭敏で、それは、よく作用することもあれば、悪く作用することもあります。

理性も人一倍だと思うんだけど、それ以上に情緒が底なし沼か海のようです。

命というのは、肉体が形をもつよりも先に自分に与えられ、自分として宿っているんだと感じています。
母の胎内にいる時にきいていた音、覚えていたりしませんか?

自分が肉体を持って、この世で息をするよりも前の音楽の記憶。旋律から与えられるバイブレーションは、初めて、自分が母とつながっていたへその緒を伝わって覚えている、ようで。
最近、話をしていて、その胎児にも記憶力があるものなのか、と驚愕。

胎教って大事なんだなぁ。これから自分にそういう機会を授かるかどうかは別として。

つまりはそういう振り幅の極端な私は、バランスが崩れると大病につながるのです。
怒りや憎悪は、誰か他人に向けられたものでも、自分自身に対してでも、その波動が健康をむしばむ。

大きな幅で揺れることが悪いんじゃない。
振り幅の大きさは、そのまま、自分の器になっていくわけですから、どんどん広げ、掘り下げていけばいい。

問題なのは、重心を自分自身が管理できるかどうか。

食事の取り方も睡眠も、運動も、人づきあいも、バランスが大事。

いつも楽ちんで、のんびりで、自分の好きなようにって、自由自在でハッピーなようだけれど、やっぱり、そういう居心地の良さだけではバランスが取れなくなっちゃう。

心が常に平安で静まった状態がずっと続くというのは苦手です。
あまりにもベタナギの鏡のようにたいらかで波の立たない水面というのは嫌いです。
水面は、さざ波が立ったり、うねりがあったり、流れや満ち引きなどがあるほうが見ていて面白いもの。

安穏と落ち着いた、穏やかな暮らしを続けるのはできない。
時に負荷をかけたり、まったく遮断、閉鎖して受け付けない、という極端な行動を自分で意識して、自分の幅を広げ、自分にゆさぶりをかけてしまうから、私はちっとも安定しない。

だから、しばしば、バランスが取れなくなって失敗したり、けがや病気をすることもあるけれど、それもまた、自分の体の耐久性を高めるために必要なことなんだって意識することで、自分が健康な状態に戻すという力がついてくる。

風邪をひくことが悪いんじゃなくって、風邪をひいてから治すまでの過程をどう自分が管理するかが大事。

何よりも大事なのは心のバランスです。

その中でも、怒りと憎悪と悲嘆といった負の精神状態の管理。
怒りというのはすごいエネルギーを持っています。
悲嘆は心を沈め、闇に引きずり込みます。
憎悪は心身を蝕みます。

いずれにせよ、マイナスなものっていうのは、上から下に落とすもので、重力がある以上、上に上がるよりも下にさがる方が強いパワーがあり、小さなエネルギーで実行出来てしまう。

だから自分が意識しなくても、外部から、そういった負の感情をぶつけられると、巻き込まれてしまいがち。

相手に負のパワーをぶつけられた時に、自分自身がそのパワーを吸収するだけの柔軟さや余裕を持っていないから、戸惑い、相手のパワーに反発することで、自分もまた負のエネルギーを発するモノになってしまう。

重心を上手に使えるようになれば、どれほどの憎悪を受けようとも、怒りをぶつけられようとも、それらをしっかり受け止めたうえで、プラスパワーに変換して、相手に返してあげられるようになるはずです。

たまには怒った方がいいとも思います。
たまには嘆いたり、落ち込んだりした方がいい。

自分にとっては良薬であっても、世の中にとっては、猛毒だったりすることもある。
人のためによかれと思ってしたことや言ったことが、他人にとっては、取り返しのつかない傷になってしまったり、悪影響を及ぼしてしまうこともある。

聖人のようにふるまおうなんてすれば、自分自身が、高慢ちきになってしまう。自分だけが正しい、「よい存在」だ、なんて勘違いしちゃう。助長するのはよくない。

身体の調子が良い状態ってどういうときかを知るには、調子の悪い時も経験してみないとだめ。

だから、思いっきり自堕落にふしだらに傍若無人になってみるのも一興。
無軌道な暴走をしてみると、それがいかにアホらしいか身を持って実感できます。

嘘をついたり、他人を馬鹿にしてみたり、何かを盗んだりしたら、それは全部自分に跳ね返ります。
でも、そういう悪いこと、やってみないとわかんなかったりする。

悪いことしたら、ちゃんとその後始末は自分でやらなきゃいけない。
後始末もせずに、ほったらかしにして、「自分が悪いんじゃない」なんて開き直ったら、そのまま負の世界に根を張ることになります。

世の中がどれほど汚らしく、ずるく、理不尽であったとしても、自分自身がそれに染まる必要はない。
周囲の環境と違った異質の存在でいることは、楽なことではないけれど、それもまた世の中のバランスという意味では大事な存在なのです。
偏るのはよくない。みんな同じである必要もない。

自分個人の体だけれど、私だけの心だけれど、それは世界に通じている。
身体に良いものを食べれば、自然にも害のないものを排出できる。
自分の心によいものをめぐらせれば、世の中もよいものがまわるようになる。


身体のために気を遣うということは、心に気を遣うということで、それはすなわち、心身の全てを受け止め、飲みこんでしまうこと。
全てをうけとめた上で、それらの玉石混交、阿鼻叫喚、混沌としたなかで、自分の立ち位置、心の重心をどこに置くことが一番、バランスをとれるのかを見極めることだと、最近考えるようになっていて、そのように行動しようと心がけています。

重心さえしっかりしていれば、どれほど大きな振れ幅でゆさぶられようとも、ちゃんと自分自身を保つことができるから。