ブログネタ:最近夢中になっているもの 参加中「最近、夢中になっているもの」はなんですか?
私は、今回の短い日本滞在で、どっぷり「彼」につかっています。
もう20年も「彼」のことが知りたくて、知りたくて、遠回りをしたり、寄り道をしたり、離れてみたり、そっぽむいてみたり。
「私にはとても手に負えない」って、やけっぱちになってみたりもしたけれど、やっぱり大好きで、すごいなー、こんな男、人類史上、もう二度と巡り合うことなんかできないって思ってしまう「彼」。
最近、そんな「彼」の一面がまたぐっと近くに。
もったいぶってごめんなさい!
「彼」の名は、モンゴルの英雄・チンギスハーン!
今年の夏、モンゴルで初公開された、100%モンゴル国産の国家プロジェクト規模の映画「Never die, Chingis khaan」(「死んではならぬ -チンギスハーンー」って感じかな、日本語に直すと)の日本語翻訳をプロデューサー兼ジェネラルディレクターのエルデネボルガンさんから依頼されて、ここ数日間はどっぷりヒアリングです。
渡された脚本が短いバージョンなのに、試写用の映像は2時間半もの超大作。
つまりは1時間ほど脚本上はカットされちゃってるので、まずはそこからセリフ起こしをしています。
短いバージョンの翻訳は、たぶん2,3日あればできちゃうんだけど、カットされている部分にこそ、チンギスハーンと、彼をとりまく、敵、味方の生きざまや人生哲学がてんこもり。
なので、どっちにしても翻訳権はもらえているので、納得いくまで、とことん突き詰めていこうって思ってます。
日本での上映までの道筋は、まだこれからだけど、きっと実現します。
モンゴル人ならではのチンギスハーン像。そして、彼のライバル達、側近の男たちがどれほどかっこよく、時代を駆け抜けていったか。もう大興奮です。
モンゴル人ならではの感性やこだわりが画面のここかしこにちりばめられていて、まちがいなくモンゴル映画史上、名を残すであろう大作です。
監督さんはすでに、Part2,Part3の構想、クランクインに向けて準備中なのですが、私は、ともかくPart1を日本の人たちに紹介したい!って情熱で燃えています。
角川映画で、日本人俳優がモンゴルの英雄を日本語で演じたことにも、その膨大なる製作費にも、びびることも焦ることも、妬むこともなく、いろんな資金面での困難や、スタッフの裏切りなどの紆余曲折や厳しい試練を乗り越えて、ただひたすらに命を削って制作した監督の想い、スタッフの想い、モンゴル国民の想いを、きっちり日本で見てほしい。
浅野忠信さん主演の「モンゴル」は斬新なチンギスハーン像や歴史的解釈、ファンタジーともいえる演出が素晴らしい国際的な超大作でした。
でも、私を夢中にさせ、私をモンゴルの大地に導き、今なお、私の心をつかんだまま離さない、モンゴルの蒼き狼、チンギスハーンというモンゴルが生んだ世界の英雄の登場を描ききった作品は、やはりモンゴル人にしか作れなかっただろう、という迫力です。
どこで自分が何をしていようとも、完全に断ち切ることができなかったモンゴル。
それはまさに、私の人生における北極星であり、揺るぎない存在。
チンギスハーンに夢中です。
今、たんたんとこの作品を見ながら思うこと。
映画は確かに人が作り出した創りモノだけれども、想いを紡ぐことで生まれる感動というすさまじい熱を持つ素晴らしさを持っているのです。
エルデネボルガンさんは、約4年間、命を削りながらこの大作を作り、身体をボロボロにして、10月、一時帰国直前の私と打ち合わせをする日に、病気で倒れました。心臓発作で、あわてて病院搬送の手続きをすることになり・・・。
結局、10月中に脚本などの資料を預かることができなくなってしまい、もろもろの日本でやるべき交渉事や翻訳作業がずれこんじゃいました。
年末年始のあわただしさや、年明けの私のモンゴルでの仕事の関係上、今すぐに、トントン拍子で話を進めるってことは難しい気がしますが、慌てることなく、着実な道筋をつけて、一人でも多くの人に、この素晴らしいモンゴル映画を見ていただけるチャンスを作りたいって思ってます。
私は、モンゴル語通訳になれるなら、モンゴル国がどんなことがあっても、見つめ続ける、と夢の中でチンギスハーンに誓いました。それが1990年の12月のこと。夢の中に出てきた荒野にとどろいた声が、そう誓わせたのです。
そして、目が覚めた日の昼ごろに、クライアントから呼び出しがかかり、「チンギスハーンの陵墓探し ゴルバンゴル計画」の通訳に抜擢されることが決まりました。
そして、今、2008年12月。私には、チンギスハーンの生涯を追うモンゴル映画の大作を世に送り出すお役目がまわってきています。
これは、チンギスハーンの祝福であり、そして呪いでもあるのかもしれません。
いろんなことがあっても、結局、私はモンゴルから離れることはできないのです。
私は、今回の短い日本滞在で、どっぷり「彼」につかっています。
もう20年も「彼」のことが知りたくて、知りたくて、遠回りをしたり、寄り道をしたり、離れてみたり、そっぽむいてみたり。
「私にはとても手に負えない」って、やけっぱちになってみたりもしたけれど、やっぱり大好きで、すごいなー、こんな男、人類史上、もう二度と巡り合うことなんかできないって思ってしまう「彼」。
最近、そんな「彼」の一面がまたぐっと近くに。
もったいぶってごめんなさい!

「彼」の名は、モンゴルの英雄・チンギスハーン!
今年の夏、モンゴルで初公開された、100%モンゴル国産の国家プロジェクト規模の映画「Never die, Chingis khaan」(「死んではならぬ -チンギスハーンー」って感じかな、日本語に直すと)の日本語翻訳をプロデューサー兼ジェネラルディレクターのエルデネボルガンさんから依頼されて、ここ数日間はどっぷりヒアリングです。
渡された脚本が短いバージョンなのに、試写用の映像は2時間半もの超大作。
つまりは1時間ほど脚本上はカットされちゃってるので、まずはそこからセリフ起こしをしています。
短いバージョンの翻訳は、たぶん2,3日あればできちゃうんだけど、カットされている部分にこそ、チンギスハーンと、彼をとりまく、敵、味方の生きざまや人生哲学がてんこもり。
なので、どっちにしても翻訳権はもらえているので、納得いくまで、とことん突き詰めていこうって思ってます。
日本での上映までの道筋は、まだこれからだけど、きっと実現します。
モンゴル人ならではのチンギスハーン像。そして、彼のライバル達、側近の男たちがどれほどかっこよく、時代を駆け抜けていったか。もう大興奮です。
モンゴル人ならではの感性やこだわりが画面のここかしこにちりばめられていて、まちがいなくモンゴル映画史上、名を残すであろう大作です。
監督さんはすでに、Part2,Part3の構想、クランクインに向けて準備中なのですが、私は、ともかくPart1を日本の人たちに紹介したい!って情熱で燃えています。
角川映画で、日本人俳優がモンゴルの英雄を日本語で演じたことにも、その膨大なる製作費にも、びびることも焦ることも、妬むこともなく、いろんな資金面での困難や、スタッフの裏切りなどの紆余曲折や厳しい試練を乗り越えて、ただひたすらに命を削って制作した監督の想い、スタッフの想い、モンゴル国民の想いを、きっちり日本で見てほしい。
浅野忠信さん主演の「モンゴル」は斬新なチンギスハーン像や歴史的解釈、ファンタジーともいえる演出が素晴らしい国際的な超大作でした。
でも、私を夢中にさせ、私をモンゴルの大地に導き、今なお、私の心をつかんだまま離さない、モンゴルの蒼き狼、チンギスハーンというモンゴルが生んだ世界の英雄の登場を描ききった作品は、やはりモンゴル人にしか作れなかっただろう、という迫力です。
どこで自分が何をしていようとも、完全に断ち切ることができなかったモンゴル。
それはまさに、私の人生における北極星であり、揺るぎない存在。
チンギスハーンに夢中です。
今、たんたんとこの作品を見ながら思うこと。
映画は確かに人が作り出した創りモノだけれども、想いを紡ぐことで生まれる感動というすさまじい熱を持つ素晴らしさを持っているのです。
エルデネボルガンさんは、約4年間、命を削りながらこの大作を作り、身体をボロボロにして、10月、一時帰国直前の私と打ち合わせをする日に、病気で倒れました。心臓発作で、あわてて病院搬送の手続きをすることになり・・・。
結局、10月中に脚本などの資料を預かることができなくなってしまい、もろもろの日本でやるべき交渉事や翻訳作業がずれこんじゃいました。
年末年始のあわただしさや、年明けの私のモンゴルでの仕事の関係上、今すぐに、トントン拍子で話を進めるってことは難しい気がしますが、慌てることなく、着実な道筋をつけて、一人でも多くの人に、この素晴らしいモンゴル映画を見ていただけるチャンスを作りたいって思ってます。
私は、モンゴル語通訳になれるなら、モンゴル国がどんなことがあっても、見つめ続ける、と夢の中でチンギスハーンに誓いました。それが1990年の12月のこと。夢の中に出てきた荒野にとどろいた声が、そう誓わせたのです。
そして、目が覚めた日の昼ごろに、クライアントから呼び出しがかかり、「チンギスハーンの陵墓探し ゴルバンゴル計画」の通訳に抜擢されることが決まりました。
そして、今、2008年12月。私には、チンギスハーンの生涯を追うモンゴル映画の大作を世に送り出すお役目がまわってきています。
これは、チンギスハーンの祝福であり、そして呪いでもあるのかもしれません。
いろんなことがあっても、結局、私はモンゴルから離れることはできないのです。