ブログネタ:1年だけ別の仕事をするなら何? 参加中ブログネタに参加しまーす。
「1年だけ別の仕事をするなら何がいいか?」
日本の伝統的な慣習だった「終身雇用」制度は私たちの年代では、もはや、神話、みたいなもんじゃないかしら?
リスクを負ってでも自分のやりたいことを実現するための起業や、よりよい職場環境やチャレンジのための転職をする同級生は、国内外で活躍中の昨今。
私自身は大学1年から始めた通訳業が英語からモンゴル語にその比重を移しつつも、やはり基軸。
子供の頃から、外国の人とつながっていきたいって漠然と思っていたことが実現しているのは幸せです。
通訳だけっていっても、いろいろな業種の方、様々な分野での専門知識をカバーしなければいけないので、通訳という仕事を通じて、いろんな職業を「体験」する機会はたくさんありました。
今でも、そんな「体験」が発展して、コーディネーターをやり、翻訳業や作家もどきみたいに文章を書くことをお仕事にさせていただいたり、テレビ番組や映画の演出や制作を生業にしてみたり、旅行の企画開発から法律関連の仕事など、私の暮らしは、職業一本化ができていません。
あえていうならば、職業「よろづモンゴル屋」。
でも、学生時代からやってきたモンゴル屋稼業だけでは、自分の世界が狭くなる、この狭い業界で「第一人者」だ、なんておこがましい、天狗になり、年齢不相応の報酬にあぐらをかいてしまいそうになる自分が嫌で、とりあえず、「最低賃金・労働環境のところで働いてみよう」と思ってとびこんだのがテレビ制作会社だったのでした。まさに最低労働環境で、心身ともにボロボロにされ、命からがら、みたいなところもありましたし、収入は半分以下なのに労働時間は8倍以上という信じられない状況。
そんななかでも耐え抜き、アイディアややる気を失わずにがんばれる人たちが素晴らしいテレビ番組を作っていくんだなぁって思います。
最近は、やっぱりその厳しい労働環境で、発想自体が画一的というか、「浅い」企画ばかりでモンゴル関連のテレビ番組は、リサーチに力も入れてないみたいだし、予算も少ないみたいだから、それほど自分の心をうつってものもない、、、けれど。
でも、日本に帰ってきて多チャンネルをザッピングしていると、オォーッ!ていうのもたまにあります。
人間としての幅や奥行きを自分なりに拡充していく努力はどんな職業についたとしても、常に続けていかなければ、世知辛い世の中、ほんとに大変だと思います。
そんな中で、自分が1年という期間限定で今の生活環境と違う仕事に就けるという条件なら何がやりたいか?
1年だけで、まったく今と違う業種について、何が身につくか、仕事として成立させて社会に貢献できるかっていうと自信がありません。どんな業種だったとしても。
なので、まず半年ほどの猶予で、自分なりの準備をさせていただけるという付帯条件を勝手につけてみます。
ならば、北米の国立公園で自然環境レンジャーをやってみたいです。
毎年1か月ほど、モンゴルの国立公園のレンジャーさんにくっついて野生生物の調査をしたりしているのですが、モンゴル国は自然環境保護について、国会でしょっちゅう議論しているわりに、予算は低いし、レンジャー一人当たりに支給される装備品は不足しているし、担当管轄地域は日本人の理解をはるかに超えた広大な地域をほとんど空身で馬やバイクでパトロールしなければいけないという厳しい環境です。
給料自体も低いから、レンジャーだけでは生活が成り立たず、自分で家畜を飼い、遊牧民兼業で、夏などは旅行者のガイドなどもしています。
でも、どれも「生活のため」というのが前提なので、それぞれの力量や技能は決して高いとはいえない。
ただ体力はすごいもんです。
国立公園の責任者をやっている人は、たいてい生物学者で博士号などを持っている現場主義者。
年間のほとんどはフィールドに出ていますし、1日に40km近くを徒歩でがしがし歩きながら、野生動物の足跡や糞などの痕跡を丹念に追うのです。
私は専門はモンゴル学、どっちかというと民族学的なアプローチで研究していたのですが、対象が遊牧狩猟民だったので、関心は野生生物と人間の関係性みたいなものです。
猟師にくっついて秋から厳冬期にかけてそれぞれ3日から14日間あまり雪深い針葉樹林・タイガの中を、野宿したりしながら、自然について学びました。狩猟民は自然を熟知しているけれど、慣習的に獲物を絶滅させないための知恵などはあっても、昨今のように山や森に入り込んでくる人口が多くなってくると、やっぱり統括的な自然環境保護という意識にはかけていて、とにかく「自分の家族と自分が生き延びる」ということが最優先事項なので、「言ってることとやってることが違う!」ってこともしばしば。
それも仕方ないな、って思うけれど。
今の体重や体力ではついていけないと思うけれど、やっぱり制度的にもエコツーリズムの一環をになっている北米の国立公園レンジャーの仕事を覚えることができたら、モンゴル国のエコツーリズムの振興にもすごく役立つと思うのです。
まずは一生懸命減量しなきゃいけない。少なくともー15kgは。
知識的には、英語であったとしてもついていくことはできると思います。
その素養となるような教育は、これまでの経験で受けているつもり。
でも、実践現場は頭で理解しているものとは全然違うところで、問題解決の手法などを自分なりに会得できるはず。
北米の国立公園をドキュメンタリー番組の取材したときに、その制度や各レンジャーの知識伝達能力の高さに舌を巻きました。有無を言わさぬ説得力のある確固的な組織体制や理念は、なにかとゆるく、「予算不足」を理由に腰砕けになりがちなモンゴルとは全く違う。
それはレンジャー一人一人が、厳しい訓練を受け、高いプライドや理念を常に大切にしているからなんじゃないかなぁって思うんです。自分自身が自然と対峙するための揺らぎない信念を持ってレンジャーという職業についているからこそ、よそからやってきたビジターに対して毅然とした態度が取れるし、自信をもって案内できるし、ビジターの要求や願望を瞬時に把握し、それに対応できるんだと。
ほんとかどうかはわからないけれど、そんな気がしています。
今の状況で円高が続くなら、とっとと減量して、体力トレーニングをして緩み切り、たるみきったブクブクの体を絞り、残りわずかな貯えを総べて米ドルに変えて、アメリカに飛んでしまいたい。
全てをふりすてて、飛び込むことで、次の境地が拓ける。
ならば、モンゴルという自分の「ホーム」を捨てて、私の中での「最高峰」を目指すっていう選択も「あり」かな?ってね。
1年間という期間限定と、必ず、それがモンゴル国で自分が生きていくために役に立つと信念が持てるなら、仮定の話ではなく、本気で考えようって思います。
ただし、愛犬・ソートンが一緒にいけるっていうのが、最低条件。そして、これが一番大変だったりして。
「1年だけ別の仕事をするなら何がいいか?」
日本の伝統的な慣習だった「終身雇用」制度は私たちの年代では、もはや、神話、みたいなもんじゃないかしら?
リスクを負ってでも自分のやりたいことを実現するための起業や、よりよい職場環境やチャレンジのための転職をする同級生は、国内外で活躍中の昨今。
私自身は大学1年から始めた通訳業が英語からモンゴル語にその比重を移しつつも、やはり基軸。
子供の頃から、外国の人とつながっていきたいって漠然と思っていたことが実現しているのは幸せです。
通訳だけっていっても、いろいろな業種の方、様々な分野での専門知識をカバーしなければいけないので、通訳という仕事を通じて、いろんな職業を「体験」する機会はたくさんありました。
今でも、そんな「体験」が発展して、コーディネーターをやり、翻訳業や作家もどきみたいに文章を書くことをお仕事にさせていただいたり、テレビ番組や映画の演出や制作を生業にしてみたり、旅行の企画開発から法律関連の仕事など、私の暮らしは、職業一本化ができていません。
あえていうならば、職業「よろづモンゴル屋」。
でも、学生時代からやってきたモンゴル屋稼業だけでは、自分の世界が狭くなる、この狭い業界で「第一人者」だ、なんておこがましい、天狗になり、年齢不相応の報酬にあぐらをかいてしまいそうになる自分が嫌で、とりあえず、「最低賃金・労働環境のところで働いてみよう」と思ってとびこんだのがテレビ制作会社だったのでした。まさに最低労働環境で、心身ともにボロボロにされ、命からがら、みたいなところもありましたし、収入は半分以下なのに労働時間は8倍以上という信じられない状況。
そんななかでも耐え抜き、アイディアややる気を失わずにがんばれる人たちが素晴らしいテレビ番組を作っていくんだなぁって思います。
最近は、やっぱりその厳しい労働環境で、発想自体が画一的というか、「浅い」企画ばかりでモンゴル関連のテレビ番組は、リサーチに力も入れてないみたいだし、予算も少ないみたいだから、それほど自分の心をうつってものもない、、、けれど。
でも、日本に帰ってきて多チャンネルをザッピングしていると、オォーッ!ていうのもたまにあります。
人間としての幅や奥行きを自分なりに拡充していく努力はどんな職業についたとしても、常に続けていかなければ、世知辛い世の中、ほんとに大変だと思います。
そんな中で、自分が1年という期間限定で今の生活環境と違う仕事に就けるという条件なら何がやりたいか?
1年だけで、まったく今と違う業種について、何が身につくか、仕事として成立させて社会に貢献できるかっていうと自信がありません。どんな業種だったとしても。
なので、まず半年ほどの猶予で、自分なりの準備をさせていただけるという付帯条件を勝手につけてみます。
ならば、北米の国立公園で自然環境レンジャーをやってみたいです。
毎年1か月ほど、モンゴルの国立公園のレンジャーさんにくっついて野生生物の調査をしたりしているのですが、モンゴル国は自然環境保護について、国会でしょっちゅう議論しているわりに、予算は低いし、レンジャー一人当たりに支給される装備品は不足しているし、担当管轄地域は日本人の理解をはるかに超えた広大な地域をほとんど空身で馬やバイクでパトロールしなければいけないという厳しい環境です。
給料自体も低いから、レンジャーだけでは生活が成り立たず、自分で家畜を飼い、遊牧民兼業で、夏などは旅行者のガイドなどもしています。
でも、どれも「生活のため」というのが前提なので、それぞれの力量や技能は決して高いとはいえない。
ただ体力はすごいもんです。
国立公園の責任者をやっている人は、たいてい生物学者で博士号などを持っている現場主義者。
年間のほとんどはフィールドに出ていますし、1日に40km近くを徒歩でがしがし歩きながら、野生動物の足跡や糞などの痕跡を丹念に追うのです。
私は専門はモンゴル学、どっちかというと民族学的なアプローチで研究していたのですが、対象が遊牧狩猟民だったので、関心は野生生物と人間の関係性みたいなものです。
猟師にくっついて秋から厳冬期にかけてそれぞれ3日から14日間あまり雪深い針葉樹林・タイガの中を、野宿したりしながら、自然について学びました。狩猟民は自然を熟知しているけれど、慣習的に獲物を絶滅させないための知恵などはあっても、昨今のように山や森に入り込んでくる人口が多くなってくると、やっぱり統括的な自然環境保護という意識にはかけていて、とにかく「自分の家族と自分が生き延びる」ということが最優先事項なので、「言ってることとやってることが違う!」ってこともしばしば。
それも仕方ないな、って思うけれど。
今の体重や体力ではついていけないと思うけれど、やっぱり制度的にもエコツーリズムの一環をになっている北米の国立公園レンジャーの仕事を覚えることができたら、モンゴル国のエコツーリズムの振興にもすごく役立つと思うのです。
まずは一生懸命減量しなきゃいけない。少なくともー15kgは。
知識的には、英語であったとしてもついていくことはできると思います。
その素養となるような教育は、これまでの経験で受けているつもり。
でも、実践現場は頭で理解しているものとは全然違うところで、問題解決の手法などを自分なりに会得できるはず。
北米の国立公園をドキュメンタリー番組の取材したときに、その制度や各レンジャーの知識伝達能力の高さに舌を巻きました。有無を言わさぬ説得力のある確固的な組織体制や理念は、なにかとゆるく、「予算不足」を理由に腰砕けになりがちなモンゴルとは全く違う。
それはレンジャー一人一人が、厳しい訓練を受け、高いプライドや理念を常に大切にしているからなんじゃないかなぁって思うんです。自分自身が自然と対峙するための揺らぎない信念を持ってレンジャーという職業についているからこそ、よそからやってきたビジターに対して毅然とした態度が取れるし、自信をもって案内できるし、ビジターの要求や願望を瞬時に把握し、それに対応できるんだと。
ほんとかどうかはわからないけれど、そんな気がしています。
今の状況で円高が続くなら、とっとと減量して、体力トレーニングをして緩み切り、たるみきったブクブクの体を絞り、残りわずかな貯えを総べて米ドルに変えて、アメリカに飛んでしまいたい。
全てをふりすてて、飛び込むことで、次の境地が拓ける。
ならば、モンゴルという自分の「ホーム」を捨てて、私の中での「最高峰」を目指すっていう選択も「あり」かな?ってね。
1年間という期間限定と、必ず、それがモンゴル国で自分が生きていくために役に立つと信念が持てるなら、仮定の話ではなく、本気で考えようって思います。
ただし、愛犬・ソートンが一緒にいけるっていうのが、最低条件。そして、これが一番大変だったりして。