ゆれる乙女心の自己管理は、不慣れなものですから、毎日が脳内じゃじゃ馬馴らし状態です。
日本に帰って来てから、あちこちに散らばり、根をはって生きる友達宅をお邪魔してまわり、それはそれでのんびりと、いい風を自分の中に取り入れて快適なのですが、やっぱりリズムがうまく取れない。
快適、のんびり、癒し系で自由気ままな暮らし、なはずなのに、先日、ハリ治療に通ったら、頭皮がぶよぶよにゆるんで、首や腰や、いろんなところが凝り固まっている!との指摘。
最近、確かに目が疲れやすかったり、首が痛かったり、枕が決まらなかったりっていう感じで、爆睡!ってしてないんですよ。
なんでかなーって、思いつつ、今朝は、独りで早起きして、いつもはぼーっとうどんとか朝バナナをかじったりしながら、テレビ見て、、、という日常を一味かえて、家族みんなの洗濯物を洗濯して(父親のパンツももちろんわしづかみで一緒に洗いますよん)、軽く掃除をしてごみ出しして、サラダ作って、朝ごはんを作って、原稿書いて、、、と、モンゴルでの一人暮らしの時のようにしてみたのです。
実家といえども、居候の身なのですが、、、昨日は遅かったみたいで両親がぐっすり寝てたわけで、ちょっとくらいはやってみっか、みたいな軽い気持ちだったのです。
他人の家って勝手がわからないから、変な家事をやると、それぞれの家庭のハウスルールがあるから、かえって、二度手間になるんじゃないか、とかみょうちきりんなドギマギとした気遅れがあって、結局、文字通りの「居候」ででくのぼうみたいになってしまう私。
モンゴルだと、初対面のうちに旅の途中で、夜中に訪問し、そのまま泊めていただいた翌日っていうシチュエーションでも平気でストーブの薪くべやってたり、お茶を作るのを手伝ったりできるんだけどなぁ。
家事からスタートした本日、えらく気分がすっきりしています。
体を動かすって大事です。ようやく実家が自分の家、という気がしてきました。
それにしても、もうちょっと日本でも自信を持って家事ができるようにならないといけないなぁ。
モンゴルでなんで平気かって言ったら、やっぱり調査中の居候生活が長かっただけでなく、その家庭生活そのものが私の研究テーマだったから、一から十までの過程や秘訣みたいなものを、各家庭の主婦や新妻の心得みたいなものを聞き取りしながら、自分でも実践していたからなんでしょうね。
「赤の他人」の立場から「うちの息子の嫁に・・・」とか「自分の妻に・・・」とか言ってもらえるくらいになれるっていうのはね、強いですよ。やっぱり。
大体、モンゴル男性は、「関白宣言」が服着て歩いているみたいなわけで、結婚とか肉体関係ができちゃった(うふっ)みたいな決定的な関係性ができるまでは、イタリアのラテンジゴロもまっつぁおなくらい、女の子を夢見心地にしてくれる待遇で迫って来ます。
素朴な遊牧民の、ついこの前まで少年でしたー、みたいな初々しい男の子だって、その辺の日本男児よりは、ずっとずっと女の子を大切にお姫様のようにエスコートできます。
んでもって、いったん、「家」に入ることになったとたんに、お姫様はシンデレラに転落!
普通のシンデレラ物語の逆回転です。
まぁ、家事に対して、協力しないこと、この上ありません。
外での仕事は遊び要素も多いから割と手伝っているけれど、基本的に、炊事、洗濯、掃除、整理整頓、買い物から力仕事に至るまで、家事と呼ばれるものは、女がやるもの、みたいな風潮です。
男性は、「いざ」というときに役に立てばいい、という感じで、女性も「やらされている」とぶうたれることもない。
そんなこんななので、エセ嫁の私も、それなりに家事をしこまれます。
水汲み、モンゴルのミルクティー(スーテイツァイ)を作り、乳製品やら小麦菓子やらを作ったり、肉の保存加工から毛皮なめしだの革ひもづくりだの、、、あらゆることを、それこそ興味津津でやらせてもらったものです。
日本での家事は、家庭科で一通りやっているにも関わらず、戸惑います。
掃除機、炊飯器、洗濯機(全自動洗濯機は先日、浜比嘉島で初めて使いました)、電子レンジ、電子オーブンなどなど、日本には優秀な専用機械がたくさんありますが、その数だけ裏ワザ、みたいなものもいっぱいあって、、、さらに台所回りなんかは、なんとバリエーションがあることか!
取っ手が取れるTファールの一番安いセットとコッフェルと蒸し器と圧力釜は使えるけれど、それ以外のものは、てんで自信がありません。日本で一番びびるのが、米を炊くことです。
そんなに大失敗することはないんだけれど、どうも自分が使っている道具じゃないと、水加減とか不安で不安で。。。
もっと自信を持ってやれば、パキパキできると思うんだけれども、きっと私は日本の家事のゴールというか理想形をあんまりちゃんと知らないからなんだろうなぁ。
「こうすればよい」という最低合格ラインを把握できれば、そこを目指して一直線、なんだけど。
実家の母はなんでもパキパキ独りでやっちゃうし、そのパキパキ度はものすごいハイテンポなので、とてもじゃないけどついていけないのです。
小さい頃は、父方の実家にいたのですが、祖父母の家では、家政婦のおばちゃんという、家事のエキスパートがバリバリとやってて、私は「お嬢様」だったせいで、ちっとも見てないんですよ。
「おじょうさま、あぶのうございますけん、あちらであそんどってください」みたいな。ダメだなぁ。
汚すの専門で、「子供はそのくらいが、よぉございます」とちっとも嫌な顔しなかったおばあさんで。。。
家事のプロの仕事は徹底的で、「私にゃ、あんな真似はできん・・・」と。幼稚園までのことでしたが。
友達の家に行くと、どこもシンプルなんだけれども、彼女たちらしい素敵で、おしゃれなカタチになっていて、私が触れてはいけないっていう気遅れがあります。
食器洗いは好きなんだけど。料理とかね。献立とかっていわれるとドギマギする。
モンゴル料理の時のザックザック感とは違ったところで、田舎暮らしをちゃんとできる人たちは、素朴な材料で、きちんとした美しい日本の食生活を実践することができているのです。私にはその美しさを演出することがまだ、できない。。。
まぁ、そんなこんなの気遅れがあった日々ですが、本日、思い切って、母の領分であった家事に手を出してみたのですが「ありがとう」と感謝されて、やり直しになっていることもなかったみたいなので、ほっとしています。
自分が20年ほど暮らしていた実家なんだけど、それでも主婦の領分に踏み込む時って勇気がいるもんです。
ぐるぐるまわる洗濯物を見つめながら、(動物占いは放浪狼ですもの)ようやく、自分が日本にいるんだなぁって実感できるようになりました。(今まではなんだったのか、というと自分でもよくわかんないんだけど)
おかしな話ですが、一人暮らしで身につけた「なんちゃって家事」でも、実家の生活の流れにのれるところがでてきたことがちょっと嬉しかったりします。
日本に帰って来てから、あちこちに散らばり、根をはって生きる友達宅をお邪魔してまわり、それはそれでのんびりと、いい風を自分の中に取り入れて快適なのですが、やっぱりリズムがうまく取れない。
快適、のんびり、癒し系で自由気ままな暮らし、なはずなのに、先日、ハリ治療に通ったら、頭皮がぶよぶよにゆるんで、首や腰や、いろんなところが凝り固まっている!との指摘。
最近、確かに目が疲れやすかったり、首が痛かったり、枕が決まらなかったりっていう感じで、爆睡!ってしてないんですよ。
なんでかなーって、思いつつ、今朝は、独りで早起きして、いつもはぼーっとうどんとか朝バナナをかじったりしながら、テレビ見て、、、という日常を一味かえて、家族みんなの洗濯物を洗濯して(父親のパンツももちろんわしづかみで一緒に洗いますよん)、軽く掃除をしてごみ出しして、サラダ作って、朝ごはんを作って、原稿書いて、、、と、モンゴルでの一人暮らしの時のようにしてみたのです。
実家といえども、居候の身なのですが、、、昨日は遅かったみたいで両親がぐっすり寝てたわけで、ちょっとくらいはやってみっか、みたいな軽い気持ちだったのです。
他人の家って勝手がわからないから、変な家事をやると、それぞれの家庭のハウスルールがあるから、かえって、二度手間になるんじゃないか、とかみょうちきりんなドギマギとした気遅れがあって、結局、文字通りの「居候」ででくのぼうみたいになってしまう私。
モンゴルだと、初対面のうちに旅の途中で、夜中に訪問し、そのまま泊めていただいた翌日っていうシチュエーションでも平気でストーブの薪くべやってたり、お茶を作るのを手伝ったりできるんだけどなぁ。
家事からスタートした本日、えらく気分がすっきりしています。
体を動かすって大事です。ようやく実家が自分の家、という気がしてきました。
それにしても、もうちょっと日本でも自信を持って家事ができるようにならないといけないなぁ。
モンゴルでなんで平気かって言ったら、やっぱり調査中の居候生活が長かっただけでなく、その家庭生活そのものが私の研究テーマだったから、一から十までの過程や秘訣みたいなものを、各家庭の主婦や新妻の心得みたいなものを聞き取りしながら、自分でも実践していたからなんでしょうね。
「赤の他人」の立場から「うちの息子の嫁に・・・」とか「自分の妻に・・・」とか言ってもらえるくらいになれるっていうのはね、強いですよ。やっぱり。
大体、モンゴル男性は、「関白宣言」が服着て歩いているみたいなわけで、結婚とか肉体関係ができちゃった(うふっ)みたいな決定的な関係性ができるまでは、イタリアのラテンジゴロもまっつぁおなくらい、女の子を夢見心地にしてくれる待遇で迫って来ます。
素朴な遊牧民の、ついこの前まで少年でしたー、みたいな初々しい男の子だって、その辺の日本男児よりは、ずっとずっと女の子を大切にお姫様のようにエスコートできます。
んでもって、いったん、「家」に入ることになったとたんに、お姫様はシンデレラに転落!
普通のシンデレラ物語の逆回転です。
まぁ、家事に対して、協力しないこと、この上ありません。
外での仕事は遊び要素も多いから割と手伝っているけれど、基本的に、炊事、洗濯、掃除、整理整頓、買い物から力仕事に至るまで、家事と呼ばれるものは、女がやるもの、みたいな風潮です。
男性は、「いざ」というときに役に立てばいい、という感じで、女性も「やらされている」とぶうたれることもない。
そんなこんななので、エセ嫁の私も、それなりに家事をしこまれます。
水汲み、モンゴルのミルクティー(スーテイツァイ)を作り、乳製品やら小麦菓子やらを作ったり、肉の保存加工から毛皮なめしだの革ひもづくりだの、、、あらゆることを、それこそ興味津津でやらせてもらったものです。
日本での家事は、家庭科で一通りやっているにも関わらず、戸惑います。
掃除機、炊飯器、洗濯機(全自動洗濯機は先日、浜比嘉島で初めて使いました)、電子レンジ、電子オーブンなどなど、日本には優秀な専用機械がたくさんありますが、その数だけ裏ワザ、みたいなものもいっぱいあって、、、さらに台所回りなんかは、なんとバリエーションがあることか!
取っ手が取れるTファールの一番安いセットとコッフェルと蒸し器と圧力釜は使えるけれど、それ以外のものは、てんで自信がありません。日本で一番びびるのが、米を炊くことです。
そんなに大失敗することはないんだけれど、どうも自分が使っている道具じゃないと、水加減とか不安で不安で。。。
もっと自信を持ってやれば、パキパキできると思うんだけれども、きっと私は日本の家事のゴールというか理想形をあんまりちゃんと知らないからなんだろうなぁ。
「こうすればよい」という最低合格ラインを把握できれば、そこを目指して一直線、なんだけど。
実家の母はなんでもパキパキ独りでやっちゃうし、そのパキパキ度はものすごいハイテンポなので、とてもじゃないけどついていけないのです。
小さい頃は、父方の実家にいたのですが、祖父母の家では、家政婦のおばちゃんという、家事のエキスパートがバリバリとやってて、私は「お嬢様」だったせいで、ちっとも見てないんですよ。
「おじょうさま、あぶのうございますけん、あちらであそんどってください」みたいな。ダメだなぁ。
汚すの専門で、「子供はそのくらいが、よぉございます」とちっとも嫌な顔しなかったおばあさんで。。。
家事のプロの仕事は徹底的で、「私にゃ、あんな真似はできん・・・」と。幼稚園までのことでしたが。
友達の家に行くと、どこもシンプルなんだけれども、彼女たちらしい素敵で、おしゃれなカタチになっていて、私が触れてはいけないっていう気遅れがあります。
食器洗いは好きなんだけど。料理とかね。献立とかっていわれるとドギマギする。
モンゴル料理の時のザックザック感とは違ったところで、田舎暮らしをちゃんとできる人たちは、素朴な材料で、きちんとした美しい日本の食生活を実践することができているのです。私にはその美しさを演出することがまだ、できない。。。
まぁ、そんなこんなの気遅れがあった日々ですが、本日、思い切って、母の領分であった家事に手を出してみたのですが「ありがとう」と感謝されて、やり直しになっていることもなかったみたいなので、ほっとしています。
自分が20年ほど暮らしていた実家なんだけど、それでも主婦の領分に踏み込む時って勇気がいるもんです。
ぐるぐるまわる洗濯物を見つめながら、(動物占いは放浪狼ですもの)ようやく、自分が日本にいるんだなぁって実感できるようになりました。(今まではなんだったのか、というと自分でもよくわかんないんだけど)
おかしな話ですが、一人暮らしで身につけた「なんちゃって家事」でも、実家の生活の流れにのれるところがでてきたことがちょっと嬉しかったりします。