モンゴルの人たちは、自分の気持ちにとても素直で、他人の気持ちより自分の気持ちを最優先。
でも、お互いのそんなところを暗黙の了解で許容している。
だから、自己中心的なんだけど、あまりにきっぱりとストレートだから、表面だった摩擦もなく。

人を愛するということも野生の本能のままに、とても素直。
だから、話がびっくりするくらい、トントントーン!と急展開。
あんまり深く考えたりする暇もないくらいに愛情があふれて川になる。

でも、海なし国の悲しさか、そんなにもあふれんばかりの愛情が、海に到達するのはほんの一滴。
モンゴル人の愛情の多くは、沙漠のどこかに涙と一緒に吸い込まれていったり、すっかりカラカラに干からびて、天の雲になったりするのです。
それでも、まったくへこたれることなく、また誰かを愛している。
だから、一瞬、一瞬の愛情に全力投球で迷いなく、全部を降り注ぐ。
愛情の全てを愛する相手に一滴残らず届けるために。
愛さずにいられないのは、モンゴルという乾いた大地の人口密度ゆえの寂しさからだろうか?
血の熱い人たちに囲まれていると、自分も時々熱くなるけれど、やっぱり、彼らほどの濃さで、いろんなことを飲み込むのは難しかったりするのです。

日本に一時帰国して、たまっていたいろんな想いが乾いた心からわきだして、どんどんどんどん湧き出して。
すっかり潤い、癒されて、つやつやと全てがしっとりいい感じ・・・。
だったはずなのに、自分の心の泉はとどまることを知らず。
いっぱい、いっぱいにあふれた行き場のない想いに戸惑うのです。

誰かを好きになったとき、すぐ近くに、そんな想いを受け止める深い、大きな器があればいいけれど。
世の中そんなに都合がよくはいかないもので。

あふれる想いを、自分が愛する器に注ぎたくても、その器は別の想いでいっぱいで。
だから自分の想いが溢れて、せっかくのバランスが崩れてしまう。

湧き出す想いと受け止める想いがうまくかみあってないっていうときは、独りで静かに、その想いをおてんとうさまに差し出してみる。

行き場のない想いを返す場所は、やはり天の上。
いつかまた、雨になって、霧になって、朝露になって、私のもとに戻ってくればいい。

今、私は誰かへの愛情を表面張力でこらえているのです。

想いがつのって、息ができないほどになっても、機が熟していないって思ったら、いくじがないので、この想いを天に差し出して、おてんと様のおぼしめしを待とうと思います。

モンゴルは今、とても寒く、かわいているので、うるうるの自分の気持ちは凍結され、フリーズドライで長期保存が利く時期。

逃避行といえばそうなんだけど、そうやって、自分のバランスをとりながら、仕事をしている。
感情さえも仕事道具になるのです。

モンゴルに暮らす私。自分を一番大切にしても、後ろ指差されない国だから、こんな風に心があふれて、切なくて、息ができないくらいにワジワジするときは、思いっきりドライにバリバリ働けるモンゴルで、こんないじけた自分をふっとばしたい、、、そんなモチベーションもあり、だと思います。

そんなわけで、少し長く、できるだけ長く、日本にいたいと思ったけど、もう一仕事、こっちでやったら、いったんモンゴルに戻ろうと思います。