モンゴルでは地平線は、「天の裾」=テンゲリンハヤー、と言います。
モンゴルを訪れる、あるいは生息する鳥は、たまーに、迷い込んでくるペリカンやピンクフラミンゴみたいな意外なレア鳥を含めると500種近くいる、ときいたことがあります。
フラミンゴまで迷い込んでくるって、どういうこと?って思うんだけど、民主化以前はちょくちょくあったようです。
ペリカンは何年かに一度、くらいの「たまーに気が向いたから寄ってみました」みたいな頻度でモンゴル西部のハルオス湖などでひと夏いたりするんだそうで、ペリカンの嘴で作った馬の「汗コキ」なんかは、駿馬を作る縁起ものアイテム、なんだとか。
今日は、大学の後輩で、モンゴルをあつーくでぃーぷに語れる数少ないお友達・あやこんが、モンゴルの精鋭民族楽器の演奏家グループ「アジナイ・ホール」と共演するというゴージャスなミニライブにご招待いただいたので、新井薬師まで行ってきました。
ぽーっとなりました。
歌ってるあやこんが開いていくのを感じました。
私も開いちまいました。
沖縄から帰って来たばかりの頃、感性の毛穴が開きっぱなし状態になり、「なんでもウェルカム!」と感情豊かになりすぎて、情報収集過多で人酔いし、結果的に、もろもろの物議をかもしだして、大反省をし、強制的に、「感情シャットアウト」を昨日の夜、福島の裏磐梯から帰って来てから、したわけですが、思わず、また、開いてしまいました。
うーむ・・・困ったものです。
感情をあらわにすることがあまりない民族の居住地域で暮らすには、今の状態はかなり、疲れます。
モンゴルもまた、同じことだしなぁ。
居場所がなくなってきた感があります。ふぅ。
感性が研ぎ澄まされるのはとても素敵なことだと思いますが、それも限度ってものがあります。
人を好きになるとか、感動する、とかいうのも10代、20代の女の子なら可愛いというか、成果が高く、得るものも大きいと思いますが、今の自分には、この多感な状態はもてあまし気味。
モンゴルを訪れる鳥の中に、「キョクアジサシ」という北極から南極までを1年かけて渡る、壮大な、その割にちいさなアジサシがいます。彼らはなんで、そんな渡りをするのかよくわかりませんが、時々、ウギーノールあたりに短期滞在をするんだそうです。
居場所を定めず、ふらふらしているってわけでもなく、一応、滞在期間やルートは決まっているようです。
寒いところが好きなのか?暑いところが好きなのか?よくわからない鳥だけれども、ひとつ処に自分の居場所を決めるのがきらいな、文字通りの風来坊なんだろうなぁ。
モンゴルで越冬するのも多いけれど、若いうちはかなり遠くまで渡りをするという鳥もいます。
クロハゲワシなんかがその一例。
モンゴル高原から朝鮮半島の南端あたりまでわたって、越冬している例もあるそうです。
近場だと、カラスやとんびなんかも何千羽に規模で群を作って、短距離移動をしています。
自分の暮らしを、渡り鳥的に定めて、約7年。
相変わらず、自分の居場所やライフスタイルが定まりません。
最近、世界的に恐慌状態に突入しそうだっていうのに、この状態はあまり喜ばしいことではないような気もするのですが、今の状態では、ちゃんと仕事しようっていう気持ちに高めない限り、仕事をしないだろうなぁ。
地平線、といえば、私には、なみなみならぬ思いがあります。
会社の名前に入れているのもそのため、でした。
でも、その思い入れがガッツリ、バッサリと傷つけられた感があり、もう、どうしたもんかなぁ、って自分でも戸惑っています。
地平線を目指して、がんばって、走って、走って、走ってみたら、結局、その先はなーんもなかった!空漠な「虚無」だけが広がっていた・・・ネバーエンディグストーリー状態の自分の心。
とても残念です。
ですが、そういう既存のものに頼らずとも、自分で天の裾をグイグイひっぱって、次の目標というか居場所を作っていくしかないんだろうな。
裏磐梯での撮影をしていた時も思ってたんだけど、日は暮れるし、また昇るわけだから。
頭のよい人は、ガッカリすることなく、さっさと次のステージというか、自分の活躍の舞台を作っているわけだし、要領のよい人は、目をつむり、口を閉じ、耳を塞いで、うまいことやっている。
そういう世渡りの才能がない私は、やはり、がむしゃらでもいいから、自分自身の決断をしていかなきゃいけない。
旅、ってものを考えていかなきゃいけないのです。
他人にどう思われようが、自分は自分の道を行く!って胸を張って、前をびしっと向けるだけの道を作っていかなきゃいけない。
なんか、短い話なのですが、恋愛だのに浮かれていた気持ちがバツン、と突然切れまして、ただいま、自分探しモードです。
このモードチェンジが始まると、次は、仕事モードへの暖機が始まります。
キョクアジサシと一緒で、結局、私は落ち着かないでジタバタと自分の活動拠点を探してふらつくのがお似合いなのやもしれませぬ。
誰かと摩擦をするのが嫌だ、とかっていうことではなく、もうそんなことは通り越して、摩擦を起こさねばならぬほど、自分は偉くもないし、議論をする力もないし、興味すら失ってしまった。。。
今、自分の興味があるのは、次のステップで私は何ができるだろうか?何を探したいのだろうか?と自分の胸に手を当てて、本心を探ること。
迷っていてもいいじゃないか、目的地がなくてもいいじゃないか。
道が間違っててもいいじゃないか。
ただ、今、ここでぬるま湯みたいに求めていた地平線は、私の居場所ではなかったってこと。
春、モンゴルに旅だったとき、焦がれて焦がれていた場所は、もう誰か特定の人の私有地になっちゃってたってこと。
モンゴルでも放牧地が「私有地化」しちゃってて、乗馬トレッキングがやりづらいことこの上ないって地域が増えているのですが、まさか自分の心の居場所まで、しかも日本でそんなことになっちまってたなんて、驚きです。
世の中生きづらくなって来ました。
モンゴルを訪れる、あるいは生息する鳥は、たまーに、迷い込んでくるペリカンやピンクフラミンゴみたいな意外なレア鳥を含めると500種近くいる、ときいたことがあります。
フラミンゴまで迷い込んでくるって、どういうこと?って思うんだけど、民主化以前はちょくちょくあったようです。
ペリカンは何年かに一度、くらいの「たまーに気が向いたから寄ってみました」みたいな頻度でモンゴル西部のハルオス湖などでひと夏いたりするんだそうで、ペリカンの嘴で作った馬の「汗コキ」なんかは、駿馬を作る縁起ものアイテム、なんだとか。
今日は、大学の後輩で、モンゴルをあつーくでぃーぷに語れる数少ないお友達・あやこんが、モンゴルの精鋭民族楽器の演奏家グループ「アジナイ・ホール」と共演するというゴージャスなミニライブにご招待いただいたので、新井薬師まで行ってきました。
ぽーっとなりました。
歌ってるあやこんが開いていくのを感じました。
私も開いちまいました。
沖縄から帰って来たばかりの頃、感性の毛穴が開きっぱなし状態になり、「なんでもウェルカム!」と感情豊かになりすぎて、情報収集過多で人酔いし、結果的に、もろもろの物議をかもしだして、大反省をし、強制的に、「感情シャットアウト」を昨日の夜、福島の裏磐梯から帰って来てから、したわけですが、思わず、また、開いてしまいました。
うーむ・・・困ったものです。
感情をあらわにすることがあまりない民族の居住地域で暮らすには、今の状態はかなり、疲れます。
モンゴルもまた、同じことだしなぁ。
居場所がなくなってきた感があります。ふぅ。
感性が研ぎ澄まされるのはとても素敵なことだと思いますが、それも限度ってものがあります。
人を好きになるとか、感動する、とかいうのも10代、20代の女の子なら可愛いというか、成果が高く、得るものも大きいと思いますが、今の自分には、この多感な状態はもてあまし気味。
モンゴルを訪れる鳥の中に、「キョクアジサシ」という北極から南極までを1年かけて渡る、壮大な、その割にちいさなアジサシがいます。彼らはなんで、そんな渡りをするのかよくわかりませんが、時々、ウギーノールあたりに短期滞在をするんだそうです。
居場所を定めず、ふらふらしているってわけでもなく、一応、滞在期間やルートは決まっているようです。
寒いところが好きなのか?暑いところが好きなのか?よくわからない鳥だけれども、ひとつ処に自分の居場所を決めるのがきらいな、文字通りの風来坊なんだろうなぁ。
モンゴルで越冬するのも多いけれど、若いうちはかなり遠くまで渡りをするという鳥もいます。
クロハゲワシなんかがその一例。
モンゴル高原から朝鮮半島の南端あたりまでわたって、越冬している例もあるそうです。
近場だと、カラスやとんびなんかも何千羽に規模で群を作って、短距離移動をしています。
自分の暮らしを、渡り鳥的に定めて、約7年。
相変わらず、自分の居場所やライフスタイルが定まりません。
最近、世界的に恐慌状態に突入しそうだっていうのに、この状態はあまり喜ばしいことではないような気もするのですが、今の状態では、ちゃんと仕事しようっていう気持ちに高めない限り、仕事をしないだろうなぁ。
地平線、といえば、私には、なみなみならぬ思いがあります。
会社の名前に入れているのもそのため、でした。
でも、その思い入れがガッツリ、バッサリと傷つけられた感があり、もう、どうしたもんかなぁ、って自分でも戸惑っています。
地平線を目指して、がんばって、走って、走って、走ってみたら、結局、その先はなーんもなかった!空漠な「虚無」だけが広がっていた・・・ネバーエンディグストーリー状態の自分の心。
とても残念です。
ですが、そういう既存のものに頼らずとも、自分で天の裾をグイグイひっぱって、次の目標というか居場所を作っていくしかないんだろうな。
裏磐梯での撮影をしていた時も思ってたんだけど、日は暮れるし、また昇るわけだから。
頭のよい人は、ガッカリすることなく、さっさと次のステージというか、自分の活躍の舞台を作っているわけだし、要領のよい人は、目をつむり、口を閉じ、耳を塞いで、うまいことやっている。
そういう世渡りの才能がない私は、やはり、がむしゃらでもいいから、自分自身の決断をしていかなきゃいけない。
旅、ってものを考えていかなきゃいけないのです。
他人にどう思われようが、自分は自分の道を行く!って胸を張って、前をびしっと向けるだけの道を作っていかなきゃいけない。
なんか、短い話なのですが、恋愛だのに浮かれていた気持ちがバツン、と突然切れまして、ただいま、自分探しモードです。
このモードチェンジが始まると、次は、仕事モードへの暖機が始まります。
キョクアジサシと一緒で、結局、私は落ち着かないでジタバタと自分の活動拠点を探してふらつくのがお似合いなのやもしれませぬ。
誰かと摩擦をするのが嫌だ、とかっていうことではなく、もうそんなことは通り越して、摩擦を起こさねばならぬほど、自分は偉くもないし、議論をする力もないし、興味すら失ってしまった。。。
今、自分の興味があるのは、次のステップで私は何ができるだろうか?何を探したいのだろうか?と自分の胸に手を当てて、本心を探ること。
迷っていてもいいじゃないか、目的地がなくてもいいじゃないか。
道が間違っててもいいじゃないか。
ただ、今、ここでぬるま湯みたいに求めていた地平線は、私の居場所ではなかったってこと。
春、モンゴルに旅だったとき、焦がれて焦がれていた場所は、もう誰か特定の人の私有地になっちゃってたってこと。
モンゴルでも放牧地が「私有地化」しちゃってて、乗馬トレッキングがやりづらいことこの上ないって地域が増えているのですが、まさか自分の心の居場所まで、しかも日本でそんなことになっちまってたなんて、驚きです。
世の中生きづらくなって来ました。