今年は、久々に、星空を、夜空を堪能する機会に恵まれています。
月の動きを気にするようになったり、流星群のみならず、惑星の接近、その他の天体ショーに関心を寄せるようになったり。
少しずつ心に余裕ができてきたのか、初心を取り戻すことで、子供の頃、心の底から楽しんでいたことを、今、また幸福感たっぷりに満喫できる感動を取り戻せたからなのか?

モンゴル人は、流れ星は、「誰かの命が落ちた証」といって、流れ星を見ると「あれは自分の星じゃない。誰かの星だ」と素早くつぶやきます。

最近でこそ、「天体観測ツアー」とか天体望遠鏡据え付けのツーリストキャンプも出てきていますが、星の名前や天体現象をきちんと知っている人は少ないです。

13世紀のモンゴルは、西洋・東洋の天文学知識・叡智を集約し、日食や月食、流星群などの天体ショーの予測や、占星術についてもチベット占星術、インド、西洋、漢文化などあれゆるものを取り入れていたようなのですが・・・

知らないわけではなく、知識を一般に普及させていないっていう今の教育には残念なものを感じます。

モンゴル国は、緯度が高いので、日本で出ている星座早見表を使うときはちょっとしたコツがいります。
また早見表には載せていないような等級の星も見えてしまうので、空の星密度が濃いのです。

私は日本に帰って来て、東京は灯りが明るすぎて、主要な登場人物、的な星しか見えないことに驚いたり、なんで、日本の方がモンゴルで「天の川が見える」ことに大感激していたのか、ようやく理解できるようになりました。

今回、浜比嘉島でのイベント中、オリオン座流星群の極大期が重なってました。
浜比嘉島を訪れた初日にも、私はレンタルハウスの屋上でびゅんびゅんと流れ落ちる流星を見て喜んでいたのですが、忙しすぎるせいか、普段、流れ星を見る暇もないせいか、他の人たちは、見損なっちゃってたみたい。

イベントが終わって、極大期よりはだいぶ、控え目になっていたけれど、今年のペルセウス座流星群も極大期以降も1週間くらいはびゅんびゅん流れていたから、残留スタッフと一緒に、一坪くらいの小さな浜辺に寝転んで、星空を見上げていました。

ちょうど大潮だったので、満潮時に迫っていた夕暮れは、どんどん迫ってくる波を見つめるのがおもしろかったのですが、夕飯を食べ終わって、すっかり夜も更けてから同じ場所に、真っ暗やみの恐怖をはねのけて訪れると、潮はすっかり引いて、遠くの方でかすかに聞こえる波の音。

真白な誰もいない、明かりのない砂浜で、友達と3人で寝ころんでみました。
ひんやりとした砂と、かすかな波音。泡盛やオリオンビールで心地よくほろ酔いにほてった頬をなでる風が気持ちよく、低い声でささやくようにしゃべるのも楽しかったです。

気がつけば、隣の友だちはぐっすり寝込んじゃっていて。ぐーぐーと高いびき。

大きな火の玉みたいな流れ星がどすんと水平線に落ちるのや、東西をびゅーん!と長い尾を引いて切り裂くのや、天頂からおちるのがあって、眠りに落ちたナイトをそっと放置して、黙って夜空に目を凝らして、流れ星を堪能しました。

浜辺に出るまでの間、100mくらいの真っ暗な森を潜り抜けなければいけません。
その濃密な闇に息がつまりそうに、心臓がせりあがりそうな恐怖を感じ、脈拍はばくばくと早打ちしていたのが、嘘のよう。

それは、よくある、母なる胎内をくぐりぬけて再生するというほら穴に似ていました。

新月直前だったから、余計に星がよく見えたのです。

どんなお願いごとをしたのか、っていうと、恥ずかしくてかけないや。
でも、何よりも世界人類平和になりますように。

そして、またこれからも浜比嘉島を訪れて、今のような幸せを感じられたらいいなって思いました。

大地に寝転んで見上げる星は格別。
都会ではなかなか難しいかもしれないけれど、時々は、こんな時間を作るようにしようって思っています。