ブログネタ:【ハロウィン企画第三弾】西洋のおばけと日本のおばけ、どっちが怖い 好き?? 参加中神秘の島・浜比嘉島から帰って来ての第一弾ブログネタ。ハロウィン企画もいよいよ最終回なんですね。今回のテーマは「西洋のおばけと日本のおばけ、どっちが怖い 好き?」です。
おばけって、いわゆる「化け物」=異形の者だったり、異界からの意思をもったモノだったり、人を襲ったりするってものと、「幽霊」といわれるような、元・人間で霊魂になっても自分たちと同じ世界に居続ける存在、と自分の中では大別されるんですよ。大きくわければ。素人的には。
京極夏彦さんの妖怪シリーズや水木しげるさんの鬼太郎シリーズ好きの私としては好き、軍配は一も二もなく日本のおばけです。
西洋のおばけは、いまいち共感できません。
ホラー映画でのイメージが強すぎて、陰惨でグロテスクで人間を襲う存在としてインプットされちゃってるからかなぁ。
ただその場に居合わせただけで、なぜ、襲うか?その理不尽さが納得いかん!!
でも、私はそういう場所には基本的に、本能的に立ち寄らないようにしているので、西洋おばけはあまりご縁がないように思います。
幼少時に近所にあった、某私鉄の特別線でたどりつく、小学生・中学生の娯楽の殿堂、中学生のグループデートの定番だった「と〇Xえん」の西洋おばけ館は、「ホンモノが出る!」と都市伝説がモーレツな勢いで定着してほんとに閉鎖されちゃったわけですが、あれは、西洋おばけ館でありながら、出没するモノは、極めて日本的なバックボーンを持った存在であったのでした。
日本の怪談が恐ろしいのは、「いつ自分の身に降りかかってもおかしくない」といった、人生経験的な教訓に裏付けされているからだと思います。日本人だからこそ、理解できる理不尽さであったり、人間関係の悲しさであったり。生活に根付き、社会問題がこってりとてんこもりされたお化け話ほど、人は関心を持って聞き入り、写真に写るだの、ビデオ映像が歪むだの、その場で聞こえなかった音が入っているだのという話を検証してみよう、と思ったりするのです。
「リング」シリーズや、「着信アリ」、「呪怨」といった日本発世界に発信、ハリウッドや韓国でもリメイクされるといったグローバル展開されているホラー映画も、生活文化や社会現象が世界中で共通認識を持てるようになったからこそ、異国でも人気が出て、注目されているわけで。
「おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さー」
と長調で元気に歌いつつも、「だけどちょっと、だけどちょっと僕だって怖いな」と、嘘だ、作り話だと決めつけつつも、立ち止まり、振り返ったときに、「ひょっとして、ほんとだったら、どうしよう? 自分がおばけと出くわしたらどうしよう?」という疑問を持った時、それが自分の判断力だったり、理性だったり、度胸だったりが試されるときなのです。
ミイラ男だの、死人が何度も行き帰ってくるだけでなく伝染するゾンビだの、たまたま出くわしただけでどこまでもしつこくおいかけてくるジーパーズクリーパーズだのと、理性や判断力など知恵や精神力で対抗しきれない、体力勝負、持久力戦に持ち込まれ、「とりあえず自分じゃない誰かが殺されても、自分が生き残っていることを感謝して、よし、としよう」みたいな精神状態あ当たり前になるスプラッターな西洋モノは大嫌いじゃ!
日本の怪談は、自縛霊が集結する幽霊スポットとか、悪霊が封じ込められている岩だのという類のものについては、「そうなっても仕方がないかぁ」と納得できる背景設定もわりと念いりで「5W1H」があって、ちゃんと「人間まっとうに生きなきゃなぁ」という身につまされる教訓や、おばけに対するシンパシーや憐みの情を持ちやすく、かつ、仏教的に「供養」というたとえ、相手がこの世にいきる自分たちに対して危害を加える存在であったとしても、なんとかして「救いたい」、「浄化してあげたい」といった優しい日本人の心が物語の底流として流れているのです。
ただ「おばけ」という存在を駆逐すればよい、というのではなく、お化けも人間も皆ハッピーになれる解決策を模索する、という日本的おばけ対応策は、世知辛い世の中だからこそ、世界的に誇りを持って、大事にしていきたい方法であると思います。
そんなわけで怖いけれど、他人ごとじゃないけれど、、、好き、なのは日本のお化けです。
だからといって、お化けに遭遇したいわけじゃないから、寄ってこないでくださいね。
おばけって、いわゆる「化け物」=異形の者だったり、異界からの意思をもったモノだったり、人を襲ったりするってものと、「幽霊」といわれるような、元・人間で霊魂になっても自分たちと同じ世界に居続ける存在、と自分の中では大別されるんですよ。大きくわければ。素人的には。
京極夏彦さんの妖怪シリーズや水木しげるさんの鬼太郎シリーズ好きの私としては好き、軍配は一も二もなく日本のおばけです。
西洋のおばけは、いまいち共感できません。
ホラー映画でのイメージが強すぎて、陰惨でグロテスクで人間を襲う存在としてインプットされちゃってるからかなぁ。
ただその場に居合わせただけで、なぜ、襲うか?その理不尽さが納得いかん!!
でも、私はそういう場所には基本的に、本能的に立ち寄らないようにしているので、西洋おばけはあまりご縁がないように思います。
幼少時に近所にあった、某私鉄の特別線でたどりつく、小学生・中学生の娯楽の殿堂、中学生のグループデートの定番だった「と〇Xえん」の西洋おばけ館は、「ホンモノが出る!」と都市伝説がモーレツな勢いで定着してほんとに閉鎖されちゃったわけですが、あれは、西洋おばけ館でありながら、出没するモノは、極めて日本的なバックボーンを持った存在であったのでした。
日本の怪談が恐ろしいのは、「いつ自分の身に降りかかってもおかしくない」といった、人生経験的な教訓に裏付けされているからだと思います。日本人だからこそ、理解できる理不尽さであったり、人間関係の悲しさであったり。生活に根付き、社会問題がこってりとてんこもりされたお化け話ほど、人は関心を持って聞き入り、写真に写るだの、ビデオ映像が歪むだの、その場で聞こえなかった音が入っているだのという話を検証してみよう、と思ったりするのです。
「リング」シリーズや、「着信アリ」、「呪怨」といった日本発世界に発信、ハリウッドや韓国でもリメイクされるといったグローバル展開されているホラー映画も、生活文化や社会現象が世界中で共通認識を持てるようになったからこそ、異国でも人気が出て、注目されているわけで。
「おばけなんてないさ、おばけなんて嘘さー」
と長調で元気に歌いつつも、「だけどちょっと、だけどちょっと僕だって怖いな」と、嘘だ、作り話だと決めつけつつも、立ち止まり、振り返ったときに、「ひょっとして、ほんとだったら、どうしよう? 自分がおばけと出くわしたらどうしよう?」という疑問を持った時、それが自分の判断力だったり、理性だったり、度胸だったりが試されるときなのです。ミイラ男だの、死人が何度も行き帰ってくるだけでなく伝染するゾンビだの、たまたま出くわしただけでどこまでもしつこくおいかけてくるジーパーズクリーパーズだのと、理性や判断力など知恵や精神力で対抗しきれない、体力勝負、持久力戦に持ち込まれ、「とりあえず自分じゃない誰かが殺されても、自分が生き残っていることを感謝して、よし、としよう」みたいな精神状態あ当たり前になるスプラッターな西洋モノは大嫌いじゃ!
日本の怪談は、自縛霊が集結する幽霊スポットとか、悪霊が封じ込められている岩だのという類のものについては、「そうなっても仕方がないかぁ」と納得できる背景設定もわりと念いりで「5W1H」があって、ちゃんと「人間まっとうに生きなきゃなぁ」という身につまされる教訓や、おばけに対するシンパシーや憐みの情を持ちやすく、かつ、仏教的に「供養」というたとえ、相手がこの世にいきる自分たちに対して危害を加える存在であったとしても、なんとかして「救いたい」、「浄化してあげたい」といった優しい日本人の心が物語の底流として流れているのです。
ただ「おばけ」という存在を駆逐すればよい、というのではなく、お化けも人間も皆ハッピーになれる解決策を模索する、という日本的おばけ対応策は、世知辛い世の中だからこそ、世界的に誇りを持って、大事にしていきたい方法であると思います。
そんなわけで怖いけれど、他人ごとじゃないけれど、、、好き、なのは日本のお化けです。
だからといって、お化けに遭遇したいわけじゃないから、寄ってこないでくださいね。
