
モンゴル国はついに日中も氷点下に突入だそうです。
厳寒期用の防寒装備をぜーんぶモンゴルにおいてきてしまった私は、モンゴル復帰がすでに億劫になっています。
愛犬・ソートンが待っているという事実さえなければ、もうこのまま日本に永住したいほど、この国、快適です。
さて、私にとっては、ミストサウナで暮らしている!と思うくらいのしっとり感あふれる日本の空気ですが、それでも、大和撫子のお肌には、これからカサカサ乾燥シーズンなんですね。
エアコンでカサカサになるなぁ、と思ってたけど、そっか、暖房でもなるんですね。
ロボぴちょん君は、部屋にうるおいを与えながら空気洗浄してくれるんですって。すごいなぁ。
モンゴルにあったら、すっごい人気者になりますね。
とにかく冬の空気がきたないウランバートル。
乾燥かっさかさになる集中暖房。
環境にも優しいんでしょうね。
退治してほしいもの・・・
ついでに腹黒いモンゴル人の欲得で渦巻いたどすぐろい陰謀を一掃していただきたいです。
人間関係にもうるおい、ほしいです。
金が動かなければ、目の前の石ころひとつ、動かさない、とすらいわれる市場経済化によって、労働対価をすべて金計算、といわれても過言ではない、くらいすさまじい人もいるのは、とてもさびしいことです。
ただ働きを強要っていうわけではないけれど、90年代のモンゴル人はもっと無償で人助けをすることを当たり前って見返りを期待しないでも、反射神経レベルで困っている人を助けてくれてました。
「ありがとう」とか「ごめんなさい」って言葉、今はしょっちゅう聞くけれど、90年代では、どちらの言葉も滅多に使いませんでしたね。
それは、別に傲慢だからってことじゃなく、当たり前のことをしている「お互い様」の親切に、いちいち「ありがとう」っていうのは水臭い。
お礼がほしくて動いているわけではない、というモンゴル人の優しいプライドがあったから。
逆に「ごめんなさい」についても、騎馬民族のプライドですね。
自分は絶対、悪くない。
謝ったら、命を取られても文句をいえない、くらいの状況以外は、自分の非を認めない。
相手に許しを乞わなくても、友達なら許すのが当たり前だし、許せないなら、もう友達じゃないから一生袂を分かつ、というきっぱり感がありました。
いずれにせよ、日本人の私にはなじまない風習ではありましたが、当時のモンゴル人の誇り高さは、何かすがすがしいものがありました。
かっこいい!って。
最近は、「ありがとう」も「ごめんなさい」も日常会話でよく使われるようになりましたが、逆に、せちがらくなっている気がします。
ぴちょん君、モンゴルにも、日本の麗しい人間関係の潤いと、クリーンで親切な助け合い精神をもたらしてくださいな。