自分を元気づける言葉は? ブログネタ:自分を元気づける言葉は? 参加中
ぽかぽか陽気の土曜日。ブログネタ「自分を元気づける言葉は?」に参加します。
「神様は自分に耐えられない試練を課すことはない。」かなぁ?

去年、モンゴルで起業6年目でようやく軌道に乗り、自腹切り分を回収できた、と思ったら、モンゴル人マネージャーに裏切られて、私個人の預金を全部をだまし取られ、会社の車なども差し押さえられ、会社としてせっかくうまくいきそうだった活動も休止状態にせざるを得なくなり、ストレスで腎臓病と高血圧を患い、気温40度の猛暑にヒステリーを起こしたら、そのまま脳梗塞状態で半身麻痺。それからしばらく、脅迫電話や犬の散歩中に車にひかれそうになったり、家の中のものがなくなったり、恋人がダメ男と化して別れ、友達と呼べる人が周りに一人もいない・・・といった孤独を感じるという、当時の自分にとって、「人生これ以上の不幸はない」というくらい、もろもろをいっぺんにしょい込むことになりました。

両親もそのまたさらに上も、バテレン・・・じゃなかった、キリスト教徒なのですが、私は幼児洗礼を受けることもなく、両親の「信仰は本人の心がみつけるもの」という方針で、とくにキリスト教の教えをゴリゴリに受けていたわけではなかったのですが、、、ほんとのほんとにピンチになったとき、自分の心に浮かんだ言葉は聖書の言葉でした。

でも、仏教でも同じこと、言ってますね。
きっと世界の真理なのですよ。

もし、ほんとに生きていることが辛くて、さびしくて、耐えられないものならば、きっと私は死んでいたはず。でも、生きているのには、何かしらの意味があるのです。
他人にとって、意味がなくても、私にとっては大きな意味があること。
生きるということは、他人のためではなく、自分自身が自分であるための道を歩むということで、自分を発見している過程なのです。

アメリカに留学しているとき、アメリカ人はよく「God bless you」とか「God loves you」とあいさつしてました。その時は、よくわからなかったのですが、今は、この言葉がどれだけ多くの人を安心させ、幸せにするか、この言葉、誰かに祝福され、愛されているっていうことがどれほど、自分を救ってくれるのか、と実感しています。


誰かに無条件に愛されていると信じることができること。

これは、最高のギフトだと思います。

その愛が男女間の愛でなくてもよい。家族愛でなくてもよい。

でも、ただ、愛する、ということで相手を大切に思える、ということは救いなのだなぁって。

元気づけられる、勇気づけられる言葉。

私はひとりじゃないって思えること。これはすごいパワーをくれます。

すべてに見捨てられた、自分を愛してくれる人は誰もいない。

異国の地で、私はほんとに怖かったのです。
動かない体。日本に帰りたくても帰るお金も手元になくって、旅行のハイシーズンだからチケットも取れなかった。
その時、思い切って母に相談し、日本で、母が大学で私の後輩であり、母の友人でもあった元モンゴル航空の東京支社に勤めていた人に予約をとってもらって、帰ることができました。

弁護士を雇っても、警察に訴えても、にっちもさっちもいかなくって、モンゴル人はなんと強欲で残酷なのか、と恨んだこともあったけれど、でも、そういう現象の中で、私は自分の過ちに気付くことができました。

悪かったことを悔い改め、すべてを断ち切り、新たな道を歩むためには、共同経営者やマネージャーと袂をわかたなければいけない、と私は、彼らが裏切るよりも前に考えていたのです。言い換えれば、彼らを切り捨てたいと考えることで、私もまた彼らを裏切っていた。自己中心的な考えで、自分だけ助かろうと思っていたのだ、とようやく気付くことができたのです。

すべてを捨てて、自分が自分らしく生きるべき道を進むこと。
そのために捨てたものを惜しまないこと。
失ったと考えるよりも、それを必要な人に与えた、と思うほうが自分も幸せになれること。

自分の中に起こった大いなる変化は、なかなかうまく説明できないけれど、あらゆる出来事を、神様からの贈り物だ、と受け止めることで、それがどれほど今の自分にとって理解しがたい、価値判断のしがたいものであったとしても、いつの日か、それを自分が受けた意味がわかるっていうこと。
その日のために、今、受けたプレゼントを、今の自分にとって必要不可欠な素晴らしい、かけがえのないものなのだ、とありがたく思うことで、病気でも、けがでも、金銭的な大損失でも、いさかいでも、素晴らしいものに思えてくる。

試練をプレゼント、と思うことによって、ファイトもわいてくるし、これを乗り越えたら、次はどんな素晴らしい発見があるんだろう、とわくわくしてくるのです。

それは、ちょうど、山登りと一緒。どれだけ苦労しようとも、危険があろうとも、一歩一歩、確実に前に、前にと進むことによって、あるいは、しんどかった分だけ、頂上に到達したときの爽快感は格別なのです。山から下りてから入る温泉は最高なのです。

そして、神様の贈り物は、決して他人に渡せるものではないんですね。転売不可。
誰かが背負った荷物を、誰か別の人がかわりに背負うことはできない。
でも、一緒に歩むことはできるのです。
応援の言葉は、「がんばれ!」じゃなくて、「大好きだよ。」なんだと。
最近は、そんな風に、大好きな人たちに声援を送っています。