ブログネタ:お金と愛、どっちが大事? 参加中ブログネタ、「お金と愛、どっちが大事?」に参加します。 このテーマ、2007年6月中旬、突然、ふってわいたドラマチックな展開からこっち、ずーっと考えてきました。2002年に起業して5年、ようやく軌道にのり、自腹切った分をとりかえし、これからだ!っていう時に、共同経営者だったモンゴル人とその兄と姉婿との共謀で、預金の一切合財と会社名義の車を鍵と書類ごと持ってかれた上に、おもいもかけないでっちあげで脅迫されました。
命がとられるかってビビったり、こんなことに負けてたまるか!一生懸命、身を粉にして、全身全霊かけて必死で稼ぎ、爪に火を灯すように倹約に倹約を重ねて、積み重ねた大事な財産を、欲得だけで動くような相手に、まんまと騙し取られて泣き寝入りなんかするもんか!弁護士を雇い、警察に訴え、それはそれは、ささくれだちました。
会社で稼いだお金だけじゃなくって、それまで学生時代からちまちま貯めてたものまで持っていかれたから、当時のショックはでかかった。。。なんつったって、その当時で5階建てマンション、建てられるくらい(安かったからねー)のお金はあったわけですから。
それが巧妙な書類の小細工やらなにやらで、ぜーんぶ、持ってかれた。
当時の私は、きっと般若であり鬼であり、もうすっごくギスギスしていたと思います。
自分は間違ってない。お金は大事。これがなきゃ、どうやって生活できるか?
手持ちの現金がなかった上に、さらに高血圧、腎臓病、そして脳梗塞気味で半身麻痺。心細くなっていたというのに、当時、頼ろうと思っていた男友達もまた、全然頼れる器じゃなくって、孤独のどん底。。。
愛犬のえさと散歩だけはかかすわけにはいかない、と人間らしい食事はほとんどとらず、臓物のミンチの雑炊を愛犬・ソートン(シェパード当時4歳)とわけあって食べたこともありました。
お金がないって、みじめだなぁ。彼らに奪われたお金、使ってたら、アパート買えた、車も買えた、地方のNPOの活動にも寄付できた、困った人が頼ってきたときに、用立てできた、、、美味しいものも食べれた、習い事もできた、、、
お金に不自由してなかったときは、ひたすら倹約して、通帳にお金がたまるのを楽しみにしていたのに、いざ、使えないとなったら、なんか、いろいろ欲望が渦巻き、さらにそれが、自分の体と心を蝕んでいきました。
結局、にっちもさっちもいかなくなり、病気療養のために日本に一時帰国。
病院で検査を受け、実家の両親のもとで、少しずつ、自分を取り戻していきました。
自分を取り戻すこと。
周囲の人たちに感謝すること。
仕事が軌道に乗り、どんどん自分の思うがままに仕事もお金もはいってくるようになってて、それを当たり前のように享受していた私が、忘れかけていたこと。
モンゴルは建設ラッシュで、不動産バブル。高級アパートだって、別荘だって、鉱山利権だって、有力者の知り合いと組めばなんとかなっちゃってた、当時。
お金があったら、買えたのに、と思ったけれど、よくよく考えたら、お金があっても、そういうことには使わんな、と気がついた。
「金持ち父さん」にインスパイアされて、不労所得がえられる収入源を確保する、ファイナンシャルリトラシーが大事、とか、モンゴルでだったら、簡単に投資できて、簡単に利益もバックできる、なんてことも考えちゃったりしてたけど、、、
結局、そういうことを求めること自体、私は後ろめたい、というか自分らしくないなって感じてました。
だから、経済成長の勢いに乗って、バンバン不動産に投資して儲けて「金持ち父さん」的勝ち組になることを夢見ていたモンゴル人共同経営者たちの一族と歯車がかみあわなくなってきてしまっていたのでした。
両親は、「命あってのものだね。健康になってよかった。お金は戻ってこないってあきらめなさい。お金のことはもういいから、これから気をつけなさい」と言い続けてくれました。
でも、私はモンゴルでビジネスを展開している日本人の多くが、モンゴル人に少なくない額の財産を騙し取られて、裁判で負けたり、泣き寝入りしたり、撤退している例があることを知り、何が何でも、モンゴルの司法制度にのっとって、正義を勝ち取り、財産を取り戻したい、と意地になってました。
壮絶な闘い、わけのわからない理屈。離れていくモンゴル人の友達や恋人。仲違いすることでひしひしと感じる孤独。
そんな中で、モンゴル人の友達が、プロテスタント系の教会に連れて行ってくれました。自分は教会に通うようになり、神様が自分の中にいるって気づいてから、すごく楽になったよ、と。
日本やアメリカで子供の頃は、教会に通っていたけれど、モンゴル研究を始めてからは、むしろ否定的に感じていた教会に、20年近くぶりに再び訪れようとは思いもよらなかったけれど、ともかく、行ってみました。モンゴルで表紙すら開いたことなかったのに、なぜか持ってきていた聖書を持って。
教会に行って、「神様、再び、私は教会に戻ってきました。私は私を裏切った彼らを批判することを止め、全てを神様にゆだねます。罪深き私をお許しください」と心の中で祈りました。
その瞬間に、体の中というか頭の中に衝撃を受け、気がついたら、私、号泣してました。
なんでだか、よくわかんないけれど、心が震えて、驚いたー。
それから、毎朝毎晩、聖書を読み、神様と話してみました。
お金のことはさておき、ともかく、私は他人を批判するのを止め、自分を批判するのを止め、全てを許し、許されることを望もうと。
どんどん軌道が外れて、お金、お金といい始め、お酒に溺れてしまったボーイフレンドは、彼の方から去っていきました。自分がフラないですんでよかったなー、と思い、彼の幸せを祈りました。
私が幸せであるように、私と関わった全ての人が幸せになりますように。
そのうち、私は、誰かのために、自分が力になれることがある、ということをとても幸せに感じるようになりました。
教会の献金は収入の10%、というレビ記に書かれていることにしたがっているのですが、当時はモンゴルでは仕事できなかったから、見栄張ってでも500tgが精一杯。下手すりゃ100tg(10円)払ったら、次の1週間はバスもタクシーも使わずに、15km圏内は徒歩、という状況。
でも、続けてたら、仕事が入るようになり、仕事で得た報酬の10%を献金すると、なんだかスッキリと充実した気分になるのでした。教会の献金で、ホームレスだった人たちのシェルターの活動資金や貧困世帯の子供達が遠足にいけたりするっていうことが嬉しかったのです。
自分が誰かのために何かができるということが、これほど幸せなことだとは!
そのうち、段々、共同経営者たちのことを恨んだり、憎んだりする気持ちも薄れてきました。
彼らは車やお金を差し押さえて、私を苦しめようとしているけれど、実際、それで私が本当の意味で、苦しんだのは、炎天下続きの真夏にストレスがかかりっぱなしだった14日間だけ。それから後は、悔しいなぁとは思っていても、車を自分で運転していたわけではないから、お金がなければ歩けばよいわけだし、お金がなくても、友達や年上の知人に頼ればご飯の心配もなくって、むしろ、会社のお金のやりくりでイライラしないで済む分、気楽になっちゃいました。
悲惨な状況になったことを友達やおじさん、おばさんたちに相談していると、そのうち、いろいろなささやかな仕事を紹介してくれるようになったりして、ひとつひとつこなしているうちに、生活費には困らなくなりました。
そして、実に久々に長期でのJICAの調査の仕事が入り、自分が行きたかった旅にも愛犬・ソートンを連れてでることも可能になりました。
これらは、自分の心の持ち方一つで、生活そのものがガラリと変わる、というよい経験になりました。
未だに、会社のゴタゴタはスッキリ解決はしていないけれど、私は、自分らしく生きることの素晴らしさを気づかせてくれた、かつての共同経営者たちに感謝しています。
傲慢で、ともすればモンゴル人を馬鹿にしたような態度をとってしまっていたことを反省する機会を得られたことは本当によかった。
お金はまだまだ若いんだし、能力もあるわけだし、人脈もあるし、仕事の経験もすごく濃厚にあるわけだから、自分が必要なお金は好きなだけ自由に稼ぐことができる。
私にはまったく理解できない帳簿のつけ方で、いかに税金をちょろまかそうか、と考える人たちとの摩擦など気にせず、自分で税理士さんのところに行き、あるいは税務署員に相談したりして、ストレスなく納税することもできるようになりました。
一見、私はホントに悲惨で、無知蒙昧であったがために、モンゴル式財務に熟知したモンゴル人たちに、まんまと搾取された、ともいえるんだけど、でも、以前に感じたように、私は、モンゴルという人生道場で修業する授業料をモンゴルの人たちに支払ったんだ、とモンゴルの市場経済の流通網の中に、私のお金を流しこんだんだ、と思ってしまえば、何千万円の損失と思えていたものも、ちっとも惜しくなくなってしまいました。
お金は大事だし、お金を大切に愛することは大事だけれど、お金は使うものであって、自分がお金に振り回されちゃいけない、ということ。
当たり前なことだけど、実感として骨の髄までしみこんだ教訓です。
私は自分が財産に対する執着心から解放されたことで、逆に多くの富が自分に流れ込んできているのを感じます。
素敵な友人に囲まれ、健康な体とやりがいのある仕事、たっぷりある自由な時間。
多忙な生活を送る日本人の人たちが望むべく、全てを手にすることができています。
今、足りないものはなにかって?
それこそ、愛ですよ、愛
すっかりお金騒動に振り回されて、色恋沙汰も引きちぎって奮闘しちゃいました。
でも、真実の自分を取り戻した今、私に必要なのは、愛をたっぷり共有できる素敵なパートナー。お金が無意味だとは思わないし、お金ってパワーになるけれど、それでも、最後に勝つのはやっぱり愛! 許し、許され、愛し、愛され、いつも笑って生きられれば、お金もそのうち入ってきます。
笑う門には福来る。
特定の恋人がいなくても、大好きな人がいっぱいいて、素直に大好きだよ!っていえること、いってもらえること、こういうことこそ、幸せなんです。
命がとられるかってビビったり、こんなことに負けてたまるか!一生懸命、身を粉にして、全身全霊かけて必死で稼ぎ、爪に火を灯すように倹約に倹約を重ねて、積み重ねた大事な財産を、欲得だけで動くような相手に、まんまと騙し取られて泣き寝入りなんかするもんか!弁護士を雇い、警察に訴え、それはそれは、ささくれだちました。
会社で稼いだお金だけじゃなくって、それまで学生時代からちまちま貯めてたものまで持っていかれたから、当時のショックはでかかった。。。なんつったって、その当時で5階建てマンション、建てられるくらい(安かったからねー)のお金はあったわけですから。
それが巧妙な書類の小細工やらなにやらで、ぜーんぶ、持ってかれた。
当時の私は、きっと般若であり鬼であり、もうすっごくギスギスしていたと思います。
自分は間違ってない。お金は大事。これがなきゃ、どうやって生活できるか?
手持ちの現金がなかった上に、さらに高血圧、腎臓病、そして脳梗塞気味で半身麻痺。心細くなっていたというのに、当時、頼ろうと思っていた男友達もまた、全然頼れる器じゃなくって、孤独のどん底。。。
愛犬のえさと散歩だけはかかすわけにはいかない、と人間らしい食事はほとんどとらず、臓物のミンチの雑炊を愛犬・ソートン(シェパード当時4歳)とわけあって食べたこともありました。
お金がないって、みじめだなぁ。彼らに奪われたお金、使ってたら、アパート買えた、車も買えた、地方のNPOの活動にも寄付できた、困った人が頼ってきたときに、用立てできた、、、美味しいものも食べれた、習い事もできた、、、
お金に不自由してなかったときは、ひたすら倹約して、通帳にお金がたまるのを楽しみにしていたのに、いざ、使えないとなったら、なんか、いろいろ欲望が渦巻き、さらにそれが、自分の体と心を蝕んでいきました。
結局、にっちもさっちもいかなくなり、病気療養のために日本に一時帰国。
病院で検査を受け、実家の両親のもとで、少しずつ、自分を取り戻していきました。
自分を取り戻すこと。
周囲の人たちに感謝すること。
仕事が軌道に乗り、どんどん自分の思うがままに仕事もお金もはいってくるようになってて、それを当たり前のように享受していた私が、忘れかけていたこと。
モンゴルは建設ラッシュで、不動産バブル。高級アパートだって、別荘だって、鉱山利権だって、有力者の知り合いと組めばなんとかなっちゃってた、当時。
お金があったら、買えたのに、と思ったけれど、よくよく考えたら、お金があっても、そういうことには使わんな、と気がついた。
「金持ち父さん」にインスパイアされて、不労所得がえられる収入源を確保する、ファイナンシャルリトラシーが大事、とか、モンゴルでだったら、簡単に投資できて、簡単に利益もバックできる、なんてことも考えちゃったりしてたけど、、、
結局、そういうことを求めること自体、私は後ろめたい、というか自分らしくないなって感じてました。
だから、経済成長の勢いに乗って、バンバン不動産に投資して儲けて「金持ち父さん」的勝ち組になることを夢見ていたモンゴル人共同経営者たちの一族と歯車がかみあわなくなってきてしまっていたのでした。
両親は、「命あってのものだね。健康になってよかった。お金は戻ってこないってあきらめなさい。お金のことはもういいから、これから気をつけなさい」と言い続けてくれました。
でも、私はモンゴルでビジネスを展開している日本人の多くが、モンゴル人に少なくない額の財産を騙し取られて、裁判で負けたり、泣き寝入りしたり、撤退している例があることを知り、何が何でも、モンゴルの司法制度にのっとって、正義を勝ち取り、財産を取り戻したい、と意地になってました。
壮絶な闘い、わけのわからない理屈。離れていくモンゴル人の友達や恋人。仲違いすることでひしひしと感じる孤独。
そんな中で、モンゴル人の友達が、プロテスタント系の教会に連れて行ってくれました。自分は教会に通うようになり、神様が自分の中にいるって気づいてから、すごく楽になったよ、と。
日本やアメリカで子供の頃は、教会に通っていたけれど、モンゴル研究を始めてからは、むしろ否定的に感じていた教会に、20年近くぶりに再び訪れようとは思いもよらなかったけれど、ともかく、行ってみました。モンゴルで表紙すら開いたことなかったのに、なぜか持ってきていた聖書を持って。
教会に行って、「神様、再び、私は教会に戻ってきました。私は私を裏切った彼らを批判することを止め、全てを神様にゆだねます。罪深き私をお許しください」と心の中で祈りました。
その瞬間に、体の中というか頭の中に衝撃を受け、気がついたら、私、号泣してました。
なんでだか、よくわかんないけれど、心が震えて、驚いたー。
それから、毎朝毎晩、聖書を読み、神様と話してみました。
お金のことはさておき、ともかく、私は他人を批判するのを止め、自分を批判するのを止め、全てを許し、許されることを望もうと。
どんどん軌道が外れて、お金、お金といい始め、お酒に溺れてしまったボーイフレンドは、彼の方から去っていきました。自分がフラないですんでよかったなー、と思い、彼の幸せを祈りました。
私が幸せであるように、私と関わった全ての人が幸せになりますように。
そのうち、私は、誰かのために、自分が力になれることがある、ということをとても幸せに感じるようになりました。
教会の献金は収入の10%、というレビ記に書かれていることにしたがっているのですが、当時はモンゴルでは仕事できなかったから、見栄張ってでも500tgが精一杯。下手すりゃ100tg(10円)払ったら、次の1週間はバスもタクシーも使わずに、15km圏内は徒歩、という状況。
でも、続けてたら、仕事が入るようになり、仕事で得た報酬の10%を献金すると、なんだかスッキリと充実した気分になるのでした。教会の献金で、ホームレスだった人たちのシェルターの活動資金や貧困世帯の子供達が遠足にいけたりするっていうことが嬉しかったのです。
自分が誰かのために何かができるということが、これほど幸せなことだとは!
そのうち、段々、共同経営者たちのことを恨んだり、憎んだりする気持ちも薄れてきました。
彼らは車やお金を差し押さえて、私を苦しめようとしているけれど、実際、それで私が本当の意味で、苦しんだのは、炎天下続きの真夏にストレスがかかりっぱなしだった14日間だけ。それから後は、悔しいなぁとは思っていても、車を自分で運転していたわけではないから、お金がなければ歩けばよいわけだし、お金がなくても、友達や年上の知人に頼ればご飯の心配もなくって、むしろ、会社のお金のやりくりでイライラしないで済む分、気楽になっちゃいました。
悲惨な状況になったことを友達やおじさん、おばさんたちに相談していると、そのうち、いろいろなささやかな仕事を紹介してくれるようになったりして、ひとつひとつこなしているうちに、生活費には困らなくなりました。
そして、実に久々に長期でのJICAの調査の仕事が入り、自分が行きたかった旅にも愛犬・ソートンを連れてでることも可能になりました。
これらは、自分の心の持ち方一つで、生活そのものがガラリと変わる、というよい経験になりました。
未だに、会社のゴタゴタはスッキリ解決はしていないけれど、私は、自分らしく生きることの素晴らしさを気づかせてくれた、かつての共同経営者たちに感謝しています。
傲慢で、ともすればモンゴル人を馬鹿にしたような態度をとってしまっていたことを反省する機会を得られたことは本当によかった。
お金はまだまだ若いんだし、能力もあるわけだし、人脈もあるし、仕事の経験もすごく濃厚にあるわけだから、自分が必要なお金は好きなだけ自由に稼ぐことができる。
私にはまったく理解できない帳簿のつけ方で、いかに税金をちょろまかそうか、と考える人たちとの摩擦など気にせず、自分で税理士さんのところに行き、あるいは税務署員に相談したりして、ストレスなく納税することもできるようになりました。
一見、私はホントに悲惨で、無知蒙昧であったがために、モンゴル式財務に熟知したモンゴル人たちに、まんまと搾取された、ともいえるんだけど、でも、以前に感じたように、私は、モンゴルという人生道場で修業する授業料をモンゴルの人たちに支払ったんだ、とモンゴルの市場経済の流通網の中に、私のお金を流しこんだんだ、と思ってしまえば、何千万円の損失と思えていたものも、ちっとも惜しくなくなってしまいました。
お金は大事だし、お金を大切に愛することは大事だけれど、お金は使うものであって、自分がお金に振り回されちゃいけない、ということ。
当たり前なことだけど、実感として骨の髄までしみこんだ教訓です。
私は自分が財産に対する執着心から解放されたことで、逆に多くの富が自分に流れ込んできているのを感じます。
素敵な友人に囲まれ、健康な体とやりがいのある仕事、たっぷりある自由な時間。
多忙な生活を送る日本人の人たちが望むべく、全てを手にすることができています。
今、足りないものはなにかって?
それこそ、愛ですよ、愛

すっかりお金騒動に振り回されて、色恋沙汰も引きちぎって奮闘しちゃいました。
でも、真実の自分を取り戻した今、私に必要なのは、愛をたっぷり共有できる素敵なパートナー。お金が無意味だとは思わないし、お金ってパワーになるけれど、それでも、最後に勝つのはやっぱり愛! 許し、許され、愛し、愛され、いつも笑って生きられれば、お金もそのうち入ってきます。
笑う門には福来る。
特定の恋人がいなくても、大好きな人がいっぱいいて、素直に大好きだよ!っていえること、いってもらえること、こういうことこそ、幸せなんです。