運動会の競技、何が好きだった? ブログネタ:運動会の競技、何が好きだった? 参加中
10月10日が東京オリンピック開催日で「体育の日」として記念祝日としての地位を保ててたのっていつまで?
今はHappy Mondayとかいってずれちゃうんだっけか?
日本にあまりいないので、日本の祝祭日を忘れてしまった。
モンゴルにいても、親方日の丸筋でお仕事しておられる方々は、ちゃーんと日本の祝祭日もモンゴルの祝祭日も把握されていることでありましょうが、庶民の私にとっちゃ、仕事のシーズンは、「土日も昼も夜も関係ねー!」だし、逆に、仕事オフシーズンにしちゃえば、「毎日がにっちようびー!」なわけで。。。
ダルハンから帰ってきてからこっち、一度もテレビを見ていないため、まさに浮世離れしております。

てなことはおいといて・・・

運動会といえば、私の高校時代はとーっても楽しかったです。
秋は記念祭という、いわゆる文化祭やらクラスマッチやらに全身全霊を傾けるわが母校では、運動会は春の行事。5月末くらいで、このイベントによって、クラス替えや新入生たちが学校に馴染み、クラス一丸となるのです。

少子化って言葉とは無縁で、1学年が9クラス。
都立高校だったわけですが、男女比が2:1という私にとっては、もうパラダイスみたいな学校でした。

しかも、男の子は皆、かっこよくて頭良くて、ユーモアあふれて、レディファーストが自然とできちゃってて、しかも文武両道、女の子も、皆さん、かわゆくて、サバサバしてて、頭良くて、ユーモアとウィットあふれてて、面倒見がよい。良妻賢母やキャリアウーマン候補がわんさかいたとです。
進学校だったから、っていうところもあるのでしょうが、ともかく、皆、頭がよいのですが、行事も多く、行事の合間に定期試験があるといった感じ。

学校が一番大事にしていたのが、「生徒の自主性」と「自由」な校風。

なので、どの行事も全て、生徒主体の実行委員会によって予算組みから運営までまかされていました。

また学年の垣根も低く、これもまた運動会が大貢献していたのです。
9クラスを3つずつに区切り、学年の垣根をなくして、赤組・青組・黄組にわけます。
3年生は、受験の関係で理系と文系にわかれていて人数もちょっとまばらなので、3年有志というのも組まれてました。

ほんでもって、花形は、チアリーダー!
そう、応援団であります。

1、2年生の女の子はほとんどがこの応援団に属してたんじゃないかなぁ。
2年生がリーダーとなって、衣装をデザインし、チアリーディングの振り付けを作り、昼休みには1,2年生合同で猛特訓!

それから男の子から「学生服(通称・学ラン)」を借りたり、男子応援団のたすきやハチマキを作るのも女の子たちの役目。
こういう持ちつ持たれつな親密関係から、ラブが生まれることもよくありました。

応援団の応援合戦も競技のひとつで、かっこよい振り付けのチアガールのダンス勝負だったりと、それはまぁ、ニギヤカでした。

足がぶっといとか、スタイルが悪い、とかそんなの全然気にすることなく、かわゆい手作りの衣装で1日、日焼けも気にせず、はじける!

これはとっても楽しかったです。

スポーツが苦手、走るの嫌い、とかっていうコンプレックスを感じることなく、自分が自分らしく、元気一杯、楽しく、そして、学年やクラスの垣根をとっぱらって皆が一丸となって盛り上がる。
高校生ならではの、はじけまくった行事でありました。

応援団も苦手、という人は、さらに仮装大会というのもありまして、「欽ちゃんの仮装大将」もまっつぁおなくらい、本格的で大掛かりな仕掛けを作ったり、、、これまた審査の対象。

今はどうなっているのかわからないけれど、私にとっては、高校の運動会は、まさに応援団に始まり、仮装大会に終わった気がします。

チアリーダーの猛特訓がどれだけすごかったか?というと、ン十年たった今でも、高校1年生の時の赤組のマドンナの「Material girl」も、全校合同のセックスピストルズもバッチリ踊れちゃう、くらいなのです。(わかる人だけわかる・・・。皆もきっと踊れる、と思う)

運動オンチといじけることなく、運動会を皆で準備し、皆で練習し、皆で盛り上がって、はじけられたこと。
そんな高校時代を送れたことに母校の校風や先輩方、同級生や後輩、先生方、投票に参加してくださったご近所の皆さんやその他いろんなことに感謝したいです。
今でも、わが母校の後輩たち、はじけてるのかなぁ?