お客様のお見送りをして、無事、今シーズンの大きなお仕事、終了!
モンゴルのハイシーズンである夏になると、毎年、更新が億劫になり、かつ今回はPCの故障や不具合で写真がアップできず・・・となったわりには、まぁ、更新したほうですよね?
これも、皆様からのコメントやメッセージにパワーをいただき、ブログ更新を自分も楽しめたからです。
あらためて、皆様に感謝、感謝です。
ほんとは、本日、アマルバヤスガラン寺院のツァムを見にいくつもりだったのですが、コンサルさんのお見送りをしたあとで、どどどーっと疲れが噴出した!
っつーか、体の芯がふにゃーっと空気抜け状態になっちゃいました。
ま、いいかー、、、
ツァムだけ見にいくっつーのもなぁ。。。みたいな感じ。
うまくいえないのですが、特にいっしょに行くっていう人も確定してないし、ゆるくてもいいっかなー。
とはいえ、やっぱり6時半には目が覚めたので、洗濯と掃除をし、お風呂(ジャグジー使っちゃおっと!)の用意をしながら、更新です。
ツァムは見に行くのはやめたけれど、(というのも、やっぱり日帰りで往復600km以上になるっていうのは、ドライバーさんにも負担だし、単発なイベントだけを目的にするんだったら、もうちょっと用意周到にやりたい、とかいいわけが自分の内部にズラズラと並べ立てられるようになったから)、その代わりに久々に教会のミサに行ってこようと思います。なんだかんだとナーダム直前のミサ以降、用事が入っていけなくなっていたのが、心にひっかかっていたので。
11時きっかりにミサスタートというのも気持ちがよいものです。
聖歌隊の人たちや牧師さんたちは10時くらいからすでに日曜学校や歌を歌ったりとにぎやかなのです。
モンゴルの、というか今、通っている教会では、わりと聖書中心なのですが、まだまだキリスト教普及が難しいこの国では、他宗教の否定があるのがちょっと気になるところだけど、その辺は自分の心にフィルターがあれば、特に気にしなくてもいいな、と思うようになりました。
誰かの言葉に左右されて自分が生きる道に迷う、というのは違うかな、と。
つまりは、私の旅の軌跡を振り返ってみると、結構、モンゴルのお寺さん、巡っているんですね。
それも観光名所ということではなく、どこのお寺さんもちゃんと僧侶や小僧さんが僧院で生活している「生きた」お寺さんなのです。仏様に手を合わせることを偶像崇拝という言葉でバカにしたり、否定したりしいなければいけないほど、祈りという行動が悪魔的だとも思わないし。
バヤンウルギーではちょうどラマダン時期が調査時期と2年連続で重なってしまったのですが、一日5回の祈りの時間を知らせるモスクからのアザーンの声やコーランを唱える鷹匠さんの姿はとても美しく、荘厳な気持ちにさせてくれました。
食事をいただくときに、アッラーを讃え、祈りをささげることも、特に抵抗感はありません。
カザフの人たちも異教徒が信仰もないのにマネだけをする、と否定するってこともないし。
キリスト教徒であることを、隠さないこと、ということと強烈にアピールして他宗教を否定することは違うんじゃないか、という疑問はもちろん、毎回、ちょっと心にひっかかってしまうのですが、とはいえ、一人でのお祈りと違って、大勢による祈りや聖歌というのは、大きなパワーが共鳴して、自分の内部から振動する大きな力を感じることができます。
友達に会いに行くようなワクワク感を持って、教会に行く、というのはやっぱ、ビギナーだからかなぁ?
ともあれ、ツァムレポートを楽しみにしていただいていた皆さん、ごめんなさい!
でもツァムの準備風景など、いずれ、写真も含めてエイビーロード記事でアマルバヤスガラン寺院の紹介をしようかな、と思っているので、それをご笑覧くださいませ。
来年は、もうちょっと早めに情報収集して、一緒に行きましょうね!
モンゴルのハイシーズンである夏になると、毎年、更新が億劫になり、かつ今回はPCの故障や不具合で写真がアップできず・・・となったわりには、まぁ、更新したほうですよね?
これも、皆様からのコメントやメッセージにパワーをいただき、ブログ更新を自分も楽しめたからです。
あらためて、皆様に感謝、感謝です。
ほんとは、本日、アマルバヤスガラン寺院のツァムを見にいくつもりだったのですが、コンサルさんのお見送りをしたあとで、どどどーっと疲れが噴出した!
っつーか、体の芯がふにゃーっと空気抜け状態になっちゃいました。
ま、いいかー、、、
ツァムだけ見にいくっつーのもなぁ。。。みたいな感じ。
うまくいえないのですが、特にいっしょに行くっていう人も確定してないし、ゆるくてもいいっかなー。
とはいえ、やっぱり6時半には目が覚めたので、洗濯と掃除をし、お風呂(ジャグジー使っちゃおっと!)の用意をしながら、更新です。
ツァムは見に行くのはやめたけれど、(というのも、やっぱり日帰りで往復600km以上になるっていうのは、ドライバーさんにも負担だし、単発なイベントだけを目的にするんだったら、もうちょっと用意周到にやりたい、とかいいわけが自分の内部にズラズラと並べ立てられるようになったから)、その代わりに久々に教会のミサに行ってこようと思います。なんだかんだとナーダム直前のミサ以降、用事が入っていけなくなっていたのが、心にひっかかっていたので。
11時きっかりにミサスタートというのも気持ちがよいものです。
聖歌隊の人たちや牧師さんたちは10時くらいからすでに日曜学校や歌を歌ったりとにぎやかなのです。
モンゴルの、というか今、通っている教会では、わりと聖書中心なのですが、まだまだキリスト教普及が難しいこの国では、他宗教の否定があるのがちょっと気になるところだけど、その辺は自分の心にフィルターがあれば、特に気にしなくてもいいな、と思うようになりました。
誰かの言葉に左右されて自分が生きる道に迷う、というのは違うかな、と。
つまりは、私の旅の軌跡を振り返ってみると、結構、モンゴルのお寺さん、巡っているんですね。
それも観光名所ということではなく、どこのお寺さんもちゃんと僧侶や小僧さんが僧院で生活している「生きた」お寺さんなのです。仏様に手を合わせることを偶像崇拝という言葉でバカにしたり、否定したりしいなければいけないほど、祈りという行動が悪魔的だとも思わないし。
バヤンウルギーではちょうどラマダン時期が調査時期と2年連続で重なってしまったのですが、一日5回の祈りの時間を知らせるモスクからのアザーンの声やコーランを唱える鷹匠さんの姿はとても美しく、荘厳な気持ちにさせてくれました。
食事をいただくときに、アッラーを讃え、祈りをささげることも、特に抵抗感はありません。
カザフの人たちも異教徒が信仰もないのにマネだけをする、と否定するってこともないし。
キリスト教徒であることを、隠さないこと、ということと強烈にアピールして他宗教を否定することは違うんじゃないか、という疑問はもちろん、毎回、ちょっと心にひっかかってしまうのですが、とはいえ、一人でのお祈りと違って、大勢による祈りや聖歌というのは、大きなパワーが共鳴して、自分の内部から振動する大きな力を感じることができます。
友達に会いに行くようなワクワク感を持って、教会に行く、というのはやっぱ、ビギナーだからかなぁ?
ともあれ、ツァムレポートを楽しみにしていただいていた皆さん、ごめんなさい!
でもツァムの準備風景など、いずれ、写真も含めてエイビーロード記事でアマルバヤスガラン寺院の紹介をしようかな、と思っているので、それをご笑覧くださいませ。
来年は、もうちょっと早めに情報収集して、一緒に行きましょうね!