犬と共にモンゴルを旅する。
今年の夏は、自分にとって、「モンゴルを見つめなおす」大切な夏でした。
愛犬・ソートンと共に、見渡す限りの花々の咲き乱れる大草原、どこまでも続いている荒涼とした沙漠、先の見えない密集したブッシュを旅しました。

大好きな、素敵な人たちと共に旅をすること。
心の充足感。

今まで、ずっと会社の仕事だから、とソートンを誰かのところに預けて旅に出ていたけれど、彼をゆだねて安心、とできる場所がウランバートルになくなってしまったこともあり、仕事の旅でも、誠心誠意でお願いして、快諾していただき、彼を一緒に連れて行くことができました。

幼子を持つお母さんもそうだと思うのですが、「働く」ことと「育む」ことを両立させるのは、とてもタイヘンだけれども、でも、思い切って、「私は両立する」と決めてしまえば、なんとかなっちゃうものなのだなぁ。

でも、今回のバヤンウルギー行きは、そういう私情を持ち込むことが許されないミッションでもあり、ソートン自身にとっても、決して快適に暮せるわけはないのが明らかだったので、鳥インフルエンザの調査の帰り道、ダルハンに寄り道して、バヤンウルギー出身のトゥバ人(モンゴル留学時代からの友人!)の家で預かってもらっています。

今、私はウランバートルで一人暮らしをしているのですが、仕事がひと段落しちゃうと、一人暮らしはかなり空白時間が大きいということを久々に実感しています。

朝、目覚めるとき、早起きして(といっても5時半くらいなんだけど)なんだか損な気分になっちゃう。
いつもは、ソートンが私が目覚めた気配で飛び起きて、お散歩をねだってのしかかってきたりするのに、目覚めても独り。
特にやることなし。
いや、掃除とか整理整頓とか資料作りとか、原稿執筆とか、そういうことは山盛りになってたりするんだけれど、早朝からやるって言う意味では・・・

冷凍庫に保存してあるソートン用の餌2kgが場所をとっている。

掃除をすると、どこからわいてくるのか、箒で掃いても、雑巾がけしても、掃除機使っても、あとからあとからソートンの抜け毛。
床に染み付いたトム(ソートンの息子でした。3月に病気にかかって天に召されました)の小さな足跡は、いくら拭いても消えない。

そんなところでかすかだけれど、くっきりと残した彼らの名残でひとりぼっちじゃないと思ったり。

逢いたいなぁ、って。

もうすぐダルハンに行きます。
今回は車手配が別会社なので連れてかえるために別途、車を使わないといけないし、多分、仕事が終わるまでは連れて帰れないけれど、逢うことは逢える。
抱きしめてあげることはできる。

でも抱きしめてあげるのではなく、私が抱きしめたいんだなってこと。

彼は私になくてはならない存在。

イギリス人は、老後の友は犬っていうらしいんだけど、まったく同感。
老後じゃなくても、犬は家族の一員として大きな貢献、役割を果たし、限りない愛情を家族に与えてくれる存在なのです。