8月15日、終戦記念日。
日本史上最初で最後の敗戦記念日。
1度負けて、2度の過ちを犯さぬことを誓った日本人を誇りに思いたい。。。
っていう真摯な気持ちと共に、戦争が終わって本当によかった!って思うのです。
モンゴルでは、ベルリン陥落だの、ロシア革命だのモンゴル革命勝利だのと、とかく勝利のお祝いが一杯。
でもね、私は日本人が負けたことを記念日としたんじゃなくって、戦争が終わったことを心から喜んでいたんだって思うんですね。
玉音放送はザーザーと雑音ばかりで天皇陛下のお言葉はよく聞こえなかったけれど、とにかく、「戦争が終わったんだ」っていう開放感が胸いっぱいに広がった、、、と祖父母たちは言ってました。
負けたってことの悔しさではなく、戦争が終わったことの喜びを胸にした、自分の肉親がいとおしいです。
この人たちのDNAを受け継いで私はこの世にいるってこと。
平和について、原爆の日と共にかみ締める日です。
それと同時に、この日は、わが人生の師匠である写真家・高橋昇師匠のお誕生日。
去年、ガンで亡くなられてしまったけれど、師匠がこの世に生を受けたこと、そして、師匠に導かれてやってきたこのモンゴル国で出会えたことを、神様に感謝しています。
辛いこと、哀しいことも一杯あるけれど、それもまた、人生。
自分の心をふさいでしょぼくれたっていいことないぞって。
なくなられる前、師匠は開高先生についての本をたてつづけに上梓しました。
サイン入りで、メッセージ付きで実家に送られてくる著書を嬉しく思いながら、ちょっと心配になっていたのです。「走りすぎなんじゃないか・・・」って。
「開高健 夢賭ける草原」という本を2006年に出版しています。
私をモンゴルに導いてくださった「オーパチーム」の面々が開高先生について回想するコーナー。
ここに出てくる方々が、私のモンゴル人生を豊かに、宿命的なものにしてくれました。
恩師がいて、上司がいて、人生の師匠がいて・・・。
この本に、なんと、私も登場しちゃっているんです。
先生の「オーパオーパ!」にひきづられてモンゴルにいついちゃった日本人女性として。
これも、もしかしたら、師匠の遺言だったのかもしれないなぁ。。。
良かったときも悪かったときも、いつも師匠は私を支えてくれていました。
一緒にいられた時間はほんとに短かったと思うのですが、出会ってから、日々、師匠のことを考え、師匠に恥ずかしくない生き方をしようってがんばっています。
初めて師匠からいただいた本は、椎名誠さんがモンゴルで映画を撮影しにきてたときの誕生日。
「神とともに行け! 草の海よ、大地の民よ。チンギス・ハーンへの旅。」という写真集でした。
椎名監督、渡辺一枝さん、岳君はじめ、映画のスタッフの方たちが寄せ書きしてくれました。
今でも私の大切な宝物。
開高健先生と高橋昇師匠、恩師・鯉渕信一先生がモンゴルで歩まれた道を、私もまた歩んでいます。
モンゴルでいった場所は圧倒的に私のほうが多いのだけれども、モンゴルの本質、真髄を味わった、という意味では、まだまだオーパチームにはかないません。
いただいた作品集はいっぱいあって、それぞれに短いメッセージと共にサインをいただいています。
最初の「チンギス・ハーンへの旅。」には、「一瞬がすべて。すべてが一瞬」とあります。
写真家として、0コンマ何秒という世界で闘ってきた師匠らしいメッセージ。
だけど、ほんとにそうですね。
同じ一瞬は二度とこない。
だけど、一度味わった一瞬は永遠なんです。
師匠との一期一会。
なくなられたことは未だ信じたくないけれど、なくなられても、生きていらっしゃっても、私にはかわらぬ愛を注いでくださっていると感じます。
制作会社時代、へとへとに消耗しきって、精神的にもズタボロになって、トボトボと某テレビ局にテープの納品に行った帰り、ばったり師匠と会いました。
もう泣きそうなくらい情けない格好で、ふらふらしてたのです。
師匠はだまって、ほかほかの今川焼きが何個も入ったぬくもりのある紙袋を、ずいっと私にくれました。
それから、ポンポンと頭をたたいて、「暇になったら、いつでも遊びにこいや」って言ってくれました。
いろんなことを一瞬にして、悟られちゃったんだなぁ、かなわないなぁ、って思いながら、会社への帰り道にある公園で泣きながら、まだ温かい今川焼きをほおばりました。
モンゴルで会社を起業して、うまく仕事がとれても、モンゴル人スタッフにバンバン搾取されているような気がして、やってられない、みたいにぐちったときも、「お前、そんなみみっちいこと言ってるんじゃないよ。なさけない。幻滅だ! 俺なんか、能を撮れるようになるために何千万をつぎ込んでるって思ってるんだぃ!お前にとってのモンゴルはそんなみみっちい金の話をする場所じゃないだろう!」と飲み屋デガツンと怒鳴られました。
あの時の師匠の一喝がなかったら、私は、きっと去年のモンゴル人共同経営者の裏切りに粉々になり、息絶えてたかもしれません。
もっともっと遊びにいっておけばよかった。
もっともっと、いっぱい美味しいものを食べさせてもらえばよかった。
そんな風に思うときもあるけれど、だけど、私は一生、かけがえのない師匠との時間をいただいているのだから、それで十分って気もします。
人生の師と仰げる人とめぐり合えることって、この世の中、そんなによくあることじゃないんだなって、この年になって気づくのです。
お釈迦様のような、大地そのもののような、大空のような、温かくてでっかい、でも、ときどきお茶目でこずるいことを言って、いひひひひ、なんていたずら坊主みたいに笑ったりして。
どんなときでも、私の人生を応援し、認めてくれた人がいたっていうこと。
それは私の誇りであり、生きる支えであり、これから自分がそういう人になって、誰かに私が受け取った大きな愛情のバトンを渡したいって思うのです。
開高健先生から高橋昇師匠に渡されたバトン。
開高先生がなくなられてからずっと、高橋師匠は開高先生のことを話しては涙ぐんでいました。
そして、開高先生から、モンゴルから卒業して、次は日本だ!っていいながら、やっぱり開高先生と向き合い続けていた。。。ライフワーク。
私もまた、高橋師匠のことを語り、師匠を思い出しては、涙を流し、慟哭し、寂寞な気持ちを抱えながら、もっとモンゴルを探りたい、味わいたいとこの国で孤独な奮闘を続けるのでしょう。
でも、それは哀しいことではなく、やはり人間として生まれ、人間として死ぬ以上、幸せなことなのです。
師匠が「オーパオーパ!」の文庫本に書いてくださった言葉。
「鳴いて鳴いて家畜になる。泣いて泣いて人になる。」
モンゴルの諺です。
愛する師匠を慕って流す涙の分だけ、私は強く優しく大きな人間になれる、そう信じています。
日本史上最初で最後の敗戦記念日。
1度負けて、2度の過ちを犯さぬことを誓った日本人を誇りに思いたい。。。
っていう真摯な気持ちと共に、戦争が終わって本当によかった!って思うのです。
モンゴルでは、ベルリン陥落だの、ロシア革命だのモンゴル革命勝利だのと、とかく勝利のお祝いが一杯。
でもね、私は日本人が負けたことを記念日としたんじゃなくって、戦争が終わったことを心から喜んでいたんだって思うんですね。
玉音放送はザーザーと雑音ばかりで天皇陛下のお言葉はよく聞こえなかったけれど、とにかく、「戦争が終わったんだ」っていう開放感が胸いっぱいに広がった、、、と祖父母たちは言ってました。
負けたってことの悔しさではなく、戦争が終わったことの喜びを胸にした、自分の肉親がいとおしいです。
この人たちのDNAを受け継いで私はこの世にいるってこと。
平和について、原爆の日と共にかみ締める日です。
それと同時に、この日は、わが人生の師匠である写真家・高橋昇師匠のお誕生日。
去年、ガンで亡くなられてしまったけれど、師匠がこの世に生を受けたこと、そして、師匠に導かれてやってきたこのモンゴル国で出会えたことを、神様に感謝しています。
辛いこと、哀しいことも一杯あるけれど、それもまた、人生。
自分の心をふさいでしょぼくれたっていいことないぞって。
なくなられる前、師匠は開高先生についての本をたてつづけに上梓しました。
サイン入りで、メッセージ付きで実家に送られてくる著書を嬉しく思いながら、ちょっと心配になっていたのです。「走りすぎなんじゃないか・・・」って。
「開高健 夢賭ける草原」という本を2006年に出版しています。
私をモンゴルに導いてくださった「オーパチーム」の面々が開高先生について回想するコーナー。
ここに出てくる方々が、私のモンゴル人生を豊かに、宿命的なものにしてくれました。
恩師がいて、上司がいて、人生の師匠がいて・・・。
この本に、なんと、私も登場しちゃっているんです。
先生の「オーパオーパ!」にひきづられてモンゴルにいついちゃった日本人女性として。
これも、もしかしたら、師匠の遺言だったのかもしれないなぁ。。。
良かったときも悪かったときも、いつも師匠は私を支えてくれていました。
一緒にいられた時間はほんとに短かったと思うのですが、出会ってから、日々、師匠のことを考え、師匠に恥ずかしくない生き方をしようってがんばっています。
初めて師匠からいただいた本は、椎名誠さんがモンゴルで映画を撮影しにきてたときの誕生日。
「神とともに行け! 草の海よ、大地の民よ。チンギス・ハーンへの旅。」という写真集でした。
椎名監督、渡辺一枝さん、岳君はじめ、映画のスタッフの方たちが寄せ書きしてくれました。
今でも私の大切な宝物。
開高健先生と高橋昇師匠、恩師・鯉渕信一先生がモンゴルで歩まれた道を、私もまた歩んでいます。
モンゴルでいった場所は圧倒的に私のほうが多いのだけれども、モンゴルの本質、真髄を味わった、という意味では、まだまだオーパチームにはかないません。
いただいた作品集はいっぱいあって、それぞれに短いメッセージと共にサインをいただいています。
最初の「チンギス・ハーンへの旅。」には、「一瞬がすべて。すべてが一瞬」とあります。
写真家として、0コンマ何秒という世界で闘ってきた師匠らしいメッセージ。
だけど、ほんとにそうですね。
同じ一瞬は二度とこない。
だけど、一度味わった一瞬は永遠なんです。
師匠との一期一会。
なくなられたことは未だ信じたくないけれど、なくなられても、生きていらっしゃっても、私にはかわらぬ愛を注いでくださっていると感じます。
制作会社時代、へとへとに消耗しきって、精神的にもズタボロになって、トボトボと某テレビ局にテープの納品に行った帰り、ばったり師匠と会いました。
もう泣きそうなくらい情けない格好で、ふらふらしてたのです。
師匠はだまって、ほかほかの今川焼きが何個も入ったぬくもりのある紙袋を、ずいっと私にくれました。
それから、ポンポンと頭をたたいて、「暇になったら、いつでも遊びにこいや」って言ってくれました。
いろんなことを一瞬にして、悟られちゃったんだなぁ、かなわないなぁ、って思いながら、会社への帰り道にある公園で泣きながら、まだ温かい今川焼きをほおばりました。
モンゴルで会社を起業して、うまく仕事がとれても、モンゴル人スタッフにバンバン搾取されているような気がして、やってられない、みたいにぐちったときも、「お前、そんなみみっちいこと言ってるんじゃないよ。なさけない。幻滅だ! 俺なんか、能を撮れるようになるために何千万をつぎ込んでるって思ってるんだぃ!お前にとってのモンゴルはそんなみみっちい金の話をする場所じゃないだろう!」と飲み屋デガツンと怒鳴られました。
あの時の師匠の一喝がなかったら、私は、きっと去年のモンゴル人共同経営者の裏切りに粉々になり、息絶えてたかもしれません。
もっともっと遊びにいっておけばよかった。
もっともっと、いっぱい美味しいものを食べさせてもらえばよかった。
そんな風に思うときもあるけれど、だけど、私は一生、かけがえのない師匠との時間をいただいているのだから、それで十分って気もします。
人生の師と仰げる人とめぐり合えることって、この世の中、そんなによくあることじゃないんだなって、この年になって気づくのです。
お釈迦様のような、大地そのもののような、大空のような、温かくてでっかい、でも、ときどきお茶目でこずるいことを言って、いひひひひ、なんていたずら坊主みたいに笑ったりして。
どんなときでも、私の人生を応援し、認めてくれた人がいたっていうこと。
それは私の誇りであり、生きる支えであり、これから自分がそういう人になって、誰かに私が受け取った大きな愛情のバトンを渡したいって思うのです。
開高健先生から高橋昇師匠に渡されたバトン。
開高先生がなくなられてからずっと、高橋師匠は開高先生のことを話しては涙ぐんでいました。
そして、開高先生から、モンゴルから卒業して、次は日本だ!っていいながら、やっぱり開高先生と向き合い続けていた。。。ライフワーク。
私もまた、高橋師匠のことを語り、師匠を思い出しては、涙を流し、慟哭し、寂寞な気持ちを抱えながら、もっとモンゴルを探りたい、味わいたいとこの国で孤独な奮闘を続けるのでしょう。
でも、それは哀しいことではなく、やはり人間として生まれ、人間として死ぬ以上、幸せなことなのです。
師匠が「オーパオーパ!」の文庫本に書いてくださった言葉。
「鳴いて鳴いて家畜になる。泣いて泣いて人になる。」
モンゴルの諺です。
愛する師匠を慕って流す涙の分だけ、私は強く優しく大きな人間になれる、そう信じています。