旅人カフェ・アンドをオープンさせたのが2005年の秋頃。そしてモンゴル帝国建国800周年記念の2006年、テレビのドラマやドキュメンタリー、報道などの番組撮影コーディネートにかけずりまわって、モンゴルホライズンがようやく軌道にのり、本来、自分がもっとも得意としている取材コーディネート、通訳という仕事でやっていけそうになったのと裏腹に、カフェスタッフが材料をちょろまかしたり、国際電話かけまくっていたり、そもそも原価計算とメニューの値段設定がめちゃめちゃで、お客様が入ってくれれば入ってくれるほどにカフェが赤字になっていく、という手痛い失敗を経験し、2006年8月で泣く泣く閉店。その後、2006年9月からお店をそのままテナントに貸して2007年6月、モンゴル側共同経営者たちの造反があるまでは、それなりに順調だった。。。
んでもって、謀反にあって、車両は3台、預金もガレージといった不動産も持っていかれて、、、唯一残ったのがカフェ物件だったわけですが、これまた相手方の狙いだったようで、どうしてもにっちもさっちもいかなくなっていた。。。
ドアの南京錠まで開かなくなっちゃっててどうにもしょうがないなぁ。。。と思っていたのですが、アメブロ仲間「にくさん」のアイディアで、金のこで、キコキコ地道に切る事2ヶ月。
暇なときにちょっとずつ、であったり、おまけに私はまたもや酷い腱鞘炎を患ってしまっていて、全然あかーん!!!
なぁんて時に、なんと、なんと、正義の味方・・・じゃなかった、とおりかかったお友達。
事情を話したら、「よっしゃ、おっちゃんがなんとかしたる」と職場からすんごいごっついワイヤーカッターとか工具を持ってきてくれて、ものの10分足らずでバチン、バチンと南京錠ではなく、鉄扉の方をきってくれました。うーん。。。コロンブスの卵、やね。
なんと実に1年ぶりにお店の中に入りました。
がらーんとしていて、内装もサクラベーカリーのケーキを入れていたショーウィンドーや冷蔵庫、テーブルや椅子などがあるだけで、奥のオフィスだった方は、買ったときそのまま。
電気もちゃんとついたし、水道の水も最初はすんごい錆水だったけど、浄水器はちゃんと使えていて。。。
かわいそうだったなぁ。ごめんね。1年以上もほったらかしにしちゃってて。
でも、ちゃんと待っててくれたんだねって、言葉にならない感慨がありました。
なんで1年もほったらかしにしちゃってたかっていうと、まぁ、お店に寄り付きたくなかったから。
そもそも、モンゴル側が謀反に走ったのは、彼らが不動産仲介業に乗り出し、私と袂をわかつことになった、とわかっていたのに、私がちゃんと株の買取とかちゃんときっぱりしていないでほったらかしちゃったことも原因だったのです。
2006年になるまでの会社の経費のほとんどは私が持ち出しで、給与も受けず、朝から晩まで働いて、会社の資産となったものも私の個人財産で買っていたのに、出所をちゃんと会社の財務諸表に計上されていなかった、、、などなど素人同然の私は完全に財務関係でモンゴル側に嵌められた形だったんですね。
馬鹿だったなぁ。
そういえば、最初にア○ガ○ン△○トルにモンゴルにいられなくしてやるようにモンゴルCIAに密告してやる、と脅されたのもこの店のテーブルだった。。。
でも、そんな嫌な感じになる前に、2005年、とある親方日の丸筋のボランティアの人たちのアテンドですれ違いがあり台無しになった誕生日パーティーもこの店でやったんだっけ。とても素敵なサプライズパーティーで、それを企画してくれたのもア○ガ○ン△○トルだった。。。
酷いことをされたからといって、100%その人が悪人だって責める気持ちにはなれないほどに、私には素敵な思い出がたくさんあるんだなぁ。。。
そして、このお店、ほんとに夢を膨らませてくれる、なにか不思議な力のある場所なんだなぁ。
お店の経営っていうことに対して、自分がやりたいって方向と「モンゴルではこうだから」って押し切られた方向が全然違っていて、私の夢はどんどんズタズタに引き裂かれ、縮小され、歪曲され、私は次第にやる気を失い、他人任せになり、お店が赤字でも、本来の自分の仕事ができればそれでいい、なんて意地になってしまっていた。そんなことがモンゴル人と心のすれ違いを生じさせていったんだなぁ。
1年たって、ボロボロになって立ち去ったこの場所に戻ってきたとき、自分がこんなにも穏やかで、ワクワクした気持ちでいられるなんて驚きました。
バチーンと小気味よく硬い鉄の扉がはじけるように開いて、ガチャッと少し癖のある鍵穴にぴったりと入った鍵がまわってドアが開いたとき、私の頑なだった心の扉も開いたような気持ちになりました。
1年以上も訪れていなかったお店なのに、空気はちっともよどんでいなくて、塵や埃だらけだったけれど、清潔な感じで、埃さえなければ、ついこの前までやってました、という感じの整然と片付けられた厨房。
それほど大掛かりな修繕工事などはなくてもすぐに使えそうだなって思いました。
まだ私はこのお店を手放したいとは思わないな。
両隣の店舗がひとつはテナントが抜けた抜け殻になり、もうひとつは売りに出ている。
両隣、両方ともが私のこのお店を欲しがり、モンゴル側共同経営者は賃貸契約、売買契約、いずれも私から奪い取ったらいつでもサインできるように話を進めていたらしいけれど、結局、どちらも私が踏ん張っている間に、去ることになってしまったようです。
これって物件に何か影響があるのかなぁ?
お金儲けしようとするには、場所はいいけれど、どうもお金が呼び込まれるっていう場所じゃないってきがするんですよね。場所が持つ力っていうのかなあ。。。ヒトがすいすい入ってくるって活気があんまりないのです。
やっぱり国会議事堂のすぐ北側っていうことで、気の流れがちょっと悪いのかもしれん。
場所的にはとってもよいけれど、なんか人の足が止まらないっていうかね。
でも、出来ることを淡々とやり続け、この場所で得られるものを求めてくる人たちにとっては、きっと必要な場所になるという気がします。
購入を決めたときもそうだった。ホーショール屋さんで、ボロボロで薄暗い感じでヒトが入らなくなって経営難で場所を変えてやり直そうってしていたオーナーさんが急いで手放したがっていたお店。
物件の間取りを変えて、日の光が入るようにしてみたけれど、やっぱり気の流れがイマイチなんだよね。
でも、少しずつ、自分の気持ちを変えていくように、ポジティブにうまい活用方法を考えて、やる気のある人たちで協力しあえば、きっと場所のエネルギーもいい方向に向かっていく。そんな感じ。
店構えって大事だなぁ。
なんで失敗したのかっていうと、失敗じゃなくって、私にとって、モンゴルホライズンという小さな会社にとって、通るべき道だったんだなって、思いました。
必死でお店をやりくりしながら、目を吊り上げ、がんばっていたときには見えてこなかった、いろんなダメだった点が見えてきた。
最初の内装工事からして、見積もり比較してから業者を決めたがった私を無視してモンゴル側経営者の知り合いだとういう業者の言うがままになるしかなくなって、文句ぶつぶつ工事費を出し、結局、設計図や施工図面で見せてもらったものとスペックも材料もデザインそのものが違うものでも、知らないうちにサインされていて、しかも領収書も明細書ももらえない、という詐欺同然でも文句言えなかった、、、という妥協の産物。そこからしてダメダメ。
それでも、友達やモンゴル人の教え子やかわいい妹分、弟分たちは、「いいお店ですね。素敵ですね。」とほめてくれて、知り合いのおじさんやおばさん達も、お店をのぞいて人が入ってないと、わざわざ自分の知り合いを電話で呼び出してコーヒーを飲んでくれたりしながら、だんだんいいペースが出来てきていた。
なんとか細々やれていたのに、私は、理想の売り上げや経営状態にこだわって、スタッフに不満たらたらだった。
もともとは、留学していた頃から、この場所の前を通るたびに、「こういうところで喫茶店とかできたらいいなぁ」ってインスピレーションがあり、会社を作ってからも毎日、毎日、ホーショール屋になってからも、「もっといい活用法あるのになぁ。お金が出来たら、こういう場所が欲しいいなぁ」って思いながら通っていた場所が突然、売りに出て、しかも私達はオフィスの賃貸料をいきなり3倍に値上げされて出て行くしかないってなっていた時に、母親に相談してお金を出してもらい、自分のお金も搾り出して、やっとのことで購入したんだよね。自分で決めて、自分で買った。。。なのに、最初は共同経営者名義になっていて、それはおかしいってがんばって、会社名義に書き換えたのだった。
私は自分でがんばってたのに、がんばり方を間違えていた。モンゴルで会社を経営するっていうこと、財産をやりくりするってことをわかっていなかった。
だから、いきなりドーン!って突き落とされちゃったんだ。
弁護士と一緒になったって、自分の思った方向に行ってるんだかどうだかわからないし・・・って疑心暗鬼になっていた。
そんなとき、誕生日の前日にパーンとあいたカフェの扉。
自分の進むべき道が開けた感じです。
奪われたって思ってけれど、うん、ちゃんと戻ってくるはず。
私ががんばって稼いだ分は、ちゃんと私のために使われるべき。私が望むように資産運用はされるべきなんだ。
モンゴル人の共同経営者やマネージャー達は、私の預金額相当で自分の新居を買ったり、賃貸用のマンションを建てたり、ランドクルーザーを買ったりしてしまった。使いこみっていう奴ですね。彼らの考え方は、「どういうやり方で入手したとしても金は金。自分達の好きなように使ってこそ金の価値がある」といったもの。私には全然理解できないけれど、ほんとにお金が大好きな人たちなのだ。
彼らは私がガミガミと虐げていた日々に耐えた自分達の我慢の駄賃だ、当然の取り分だ、外国人なんか追い出しちまえ!そのための手はずは十分に整えたって自信たっぷりだったけれど、私もまた一歩も退いていない。
彼らが私の預金通帳を破棄して、預けていたお金を使い込んだって、私の懐はちっとも痛んでいない。
経営難にだってなっていない。会社としては活動できないけれど、私個人としての人助けはできるし、日本での仕事だって、この国で暮らせる分、会社を維持するために自腹を切る分くらいは稼げてる。
むしろ、自分が妥協せずに仕事ができるようになって幸せ。
モンゴルでキリスト教の教会に通うようになるなんて思ってもみなかったけれど、こんなにも神様とともに歩んでいるっていう実感しながら暮らせるようになっているのも、2007年の謀反があってこそ。
1年かけて、よどんでしまい、欲望の坩堝みたいになってしまっていたカフェが浄化されたような気がしています。
もしかしたら、古い建物だから、取り壊しって話になっているのかもしれない、、、けれど、それでも、私は無理してでもこの物件を手に入れてよかったって感謝しています。
縁結びの作用っていうのは、人の関係だけでなく、モノにも働くって思えるし、時間や仕事のタイミングにさえも働く。
そして、私はむちゃくちゃ良縁に恵まれているんだって、感謝できるようになりました。
去年、大切なヒトと死別したり、腎臓を痛め、高血圧になり、脳圧が上がり、緊急処置をとらなければいけないほどに脳内血管がボロボロで、一度は半身不随になりかかったり、ストレスや恐怖でパニック症状が出たり、挙句の果てに、わけのわからぬ誤診で盲腸に間違われたり、、、恋人と仲違いしたり、散々だったけれども、完全に一人ぼっちになることはなかったわけです。
いろんな人に裏切られたけれど、逆に10年以上会えなかった親友に再会し、新しい仲間ができ、新しい仕事を始め、自分の存在意義を再確認することもできた。
人は考え方一つで幸せにもなれるし、不幸にもなれる、ということを実感し、モンゴル人の楽観主義を見直せるようになったりもしました。
無駄なことなんかひとつもなくて、人はいろんな出来事によって変わっていく。
私が去年の自分とは生まれ変わったようだって思える感覚は実際、生まれ変わったんだろうな。
自分がいたらなかった点、欠点、悪かった点、全てを1年かけて飲み込み、昇華できました。
ならば、この1年間、ずっと私が望んできたように、きっと、共同経営者やマネージャー達もいろんなことを考え、悔い改めることもあるんじゃないかしら?
他人に属するものを奪って得た成功や業績なんて長続きするもんじゃない。
少し余裕ができてくれば、自分のしでかしたことの罪深さを恥じるってこともできるようになるって信じてる。
私が悪かったところもあったかもしれないけれど、だからといって、そこにつけこんで、卑怯なことをして、「してやったり」なんて、胸を張っていられることは、厚顔無恥ってだけで全然、強くないし、本当の富でも成功でもないんだってことを私は知っている。彼らもきっとそのうちわかるはず。
自分の失敗や罪を認めることってとても苦しいし辛いことだから、時間はかかると思うけれど、それでも彼らが悔い改めたとき、私はすっきりと受け止められる人でありたいって思う。
またカフェのオープンの時のように笑い合って、これからのことにワクワクし合える関係でいたいと思う。
なぜならば、自分が神様に許されたことに感激して泣いた時の幸せを、彼らもまた味わって欲しいと思うから。
自分が悪い、あるいは誰かをにくい、むかつくって思い続ける人生ってやっぱり不幸。
そういう人を許して受け入れることができるようになった時、ほんとにすっきり幸福感を得られるようになった。
もう2度とあかないんじゃないか?入れないんじゃないか?
このまま無駄に何百ドルもの維持費や税金を支払い続けて、結局、モンゴル人に奪われちゃうんじゃないか?なんて思っていたときは、びくともしなかった扉が、まぁ、いいや。でもほったらかしにしておいたら、お店が傷んでかわいそう。せめて、掃除だけでもしたいなぁ。水道の水を流して錆をとってあげたいなぁって思っていたら、あっというまに扉は開いた。私が力をかけることもせず、無理やりでもなく、あっさり。
このカフェの中に入れたことで、私はほんとに心を全開にできました。
まだまだ問題は続きそうだけれど、それはまた別の話。
去年、ご迷惑をかけた方々、相談に乗っていただいた方々に会うと、皆、「例の話、解決ついたの?」と聞いてきます。
「うーん、まだまだ。でも、そのうちね。あせらずとも大丈夫。きっと取り戻すから」と私は笑って答えます。
意地になって、財産とかプライドとかを固執し、自分の本来の姿を見つめられない人の気持ちが正しい方向に向くまでは時間がかかるものです。
私も今の心境になるまで1年近くかかりました。でも、これってすっごい成長だと思うし、自分が去年どん底に突き落とされたって思ってた喪失感がどれほどちっぽけなものであったかを気づけたってありがたいことです。
財産を奪われることなんてたいしたことがない。愛するものの命を失うことに比べればどってことない。
財産なんて、がんばれば、また奪われたその何倍も何十倍も自分の手で築き上げることができる。
私がモンゴルに起業しに来た時は、たった一つのダッフルバックと200万円くらいの現金しか持ってこなかった。経営ノウハウもゼロ、契約の仕方や法律運用の仕方も知識ゼロ。契約書や公式文書の書き方も知らなかった。
でもわずか3年間で車両を購入し、一等地に不動産物件を購入し、預金もたっぷり築くことが出来た。
それが全部、モンゴルに奪われたとて、モンゴルのものはモンゴルの元に、と開高健先生の言葉にもあるように、身一つで日本に帰ることになったって惜しんではいけない。
だって、そういうことを成し遂げられる力がついたのだから、これからだっていくらでも自分を大きく、財産も増やすことだってできる。
私は自分のお金は使ったけれど、それ以上にこの国で知恵がつき、感情が豊かになり、タフになり、そして他人に頼ってもらえる人になれた。これはいくらお金があっても、自分で歩まなければ身につかない、ホンモノの財産で、私がモンゴルで得たものは、どれほど権力があっても、財力があっても、知力があっても、他人は私から奪うことができない。
どれほど私の悪口を言いふらしたり、インターネットで中傷したとしても、そうした行動をしている人たちは私を真正面から見て議論できないってことをわかっている。私は彼らから目をそらすことなく見つめることができるけれど、彼らは私を見つめることはできない。
もちろん、私だって、ある側面から見たら酷いことをしたっていう身に覚えもあるし、他人を言葉で傷つけてしまったことをいくら反省しても悔やみきれないってこともある。許せない!って誰かが私に対して思っているならそれは相手の心の問題。
私は許して欲しいと思っている。
だから、私もまた誰かが私に不快なことをしたとしても許してるわけで。
誰かを許すって別に上から目線じゃなくって、自分が楽になるために一番簡単なことなんですね。
自分が嫌いだって思っている人が近くに寄ってくるだけで、むかついて、動悸がおかしくなって、頭に血がのぼっていた私なのに、ア○ガ○ン△○トルから電話がかかってきても全然平気で普通に応対できていた。
心は平静なまま。
よくかけてきたなぁ、、、って思ったけれど、でも虚勢を張っているのがよくわかった。気の毒にのぉ。
でも、人の失敗って何度でもしちゃうものだけれど、そのたびに許されるべきものだと思うし、その失敗で何に気づくかが大事なことで、それもまた私達の生きるプロセスなんだろうなって。
長くなっちゃったけれど、旅人カフェ・アンドはどういう形になるかわからないけれど、何かまた、いろんな人たちと繋がっていける、素敵な空間として復活させたいって思っています。
これは神様が下さった誕生日プレゼントなんだなって思っているのです。
だって、他人に貸して賃貸料をもらえれば経営は安定するけれど、あの場所が持っている可能性を私が広げるチャンスを持てなくなっちゃう。
それに、他人に貸そうとすると、どうしても法的な手続き上、モンゴル人の共同経営者が立会いで公証役場で手続きしなければいけないけれど、自分の会社で話を進めようとするために必要な手続きはもう済んでいて、私が社長として書類を作り、お役所周りや交渉をすればいい話ですもの。
自分でがんばれ!っていうメッセージ、ありがたく受け取りました。
扉が開いたとき、一緒にいてくれた、にくさんにも大感謝。
これからどんなことをやっていこうか、今、わくわくしながら計画を練っています。
私が本当にア○ガ○ン△○トルと○ン○ナラン、○ンフバ○ラ○に望んでいること。
それは、誰かに嫌な思いをさせることなく、正しいやり方でお金をしっかり稼いで成功して欲しい。
そのために、私のお金が彼らに使われてしまったのならば、それはそれでいい。
あとで返してくれればそれでいいのです。
今すぐ、なんて彼らを追い詰めるのはもうやめます。
他人のものを不当に奪って、自分の思い通りに使う、なんてことは間違ったことだって早く気づいて欲しい。
せっかく、お金儲けが大好きで、そして、上手なのだから、しっかり実力で稼いで、早く私から財産を奪うって行為が意味のないことだってわかってほしい。
嫌がらせになってないから。
でも、彼らの行為によって、困るモンゴル人たちがいっぱいいるのです。
私は自分のためにお金を欲しいといっているわけじゃない。分けてあげなきゃいけない人は他にもまだたくさんいるのです。
もう自分は溜め込んだりしない。お金の流れを止めてよどませたりしないで、正しいと思ったこと、必要だと思ったときに、自分が納得した形で、自分が築き上げた財産を世の中に流して生きたい。
奪われたっていう言い方も撤回します。
2007年、彼らはどうしても、なりふりかまわずとも、お金が欲しくて、欲しくて必要だったんです。
だから、私は彼らに対して融資し続けている。そういうことなんだと思うことにします。
ちょっとご乱心してしまったけれど、もしかしたら、まだ本来のお金のあるべき姿を見失っているのかもしれないけれど、私はずっと、いつまでも私の誕生日を祝ってくれた彼らが正しい道に戻ってきてくれることを、待っています。
その日が早く来るように、○ン○○ランが一生懸命がんばって、お金を稼いで活躍してくれることを祈ります。
それが私にとっても幸せなことに繋がるからです。
まだ○ンフ○ランはモンゴルホライズンの一員だから、私は彼を許します。仲間として迎え入れる用意があります。
あかずの扉をあけたら、そこには私達の未来の形がありました。
んでもって、謀反にあって、車両は3台、預金もガレージといった不動産も持っていかれて、、、唯一残ったのがカフェ物件だったわけですが、これまた相手方の狙いだったようで、どうしてもにっちもさっちもいかなくなっていた。。。
ドアの南京錠まで開かなくなっちゃっててどうにもしょうがないなぁ。。。と思っていたのですが、アメブロ仲間「にくさん」のアイディアで、金のこで、キコキコ地道に切る事2ヶ月。
暇なときにちょっとずつ、であったり、おまけに私はまたもや酷い腱鞘炎を患ってしまっていて、全然あかーん!!!
なぁんて時に、なんと、なんと、正義の味方・・・じゃなかった、とおりかかったお友達。
事情を話したら、「よっしゃ、おっちゃんがなんとかしたる」と職場からすんごいごっついワイヤーカッターとか工具を持ってきてくれて、ものの10分足らずでバチン、バチンと南京錠ではなく、鉄扉の方をきってくれました。うーん。。。コロンブスの卵、やね。
なんと実に1年ぶりにお店の中に入りました。
がらーんとしていて、内装もサクラベーカリーのケーキを入れていたショーウィンドーや冷蔵庫、テーブルや椅子などがあるだけで、奥のオフィスだった方は、買ったときそのまま。
電気もちゃんとついたし、水道の水も最初はすんごい錆水だったけど、浄水器はちゃんと使えていて。。。
かわいそうだったなぁ。ごめんね。1年以上もほったらかしにしちゃってて。
でも、ちゃんと待っててくれたんだねって、言葉にならない感慨がありました。
なんで1年もほったらかしにしちゃってたかっていうと、まぁ、お店に寄り付きたくなかったから。
そもそも、モンゴル側が謀反に走ったのは、彼らが不動産仲介業に乗り出し、私と袂をわかつことになった、とわかっていたのに、私がちゃんと株の買取とかちゃんときっぱりしていないでほったらかしちゃったことも原因だったのです。
2006年になるまでの会社の経費のほとんどは私が持ち出しで、給与も受けず、朝から晩まで働いて、会社の資産となったものも私の個人財産で買っていたのに、出所をちゃんと会社の財務諸表に計上されていなかった、、、などなど素人同然の私は完全に財務関係でモンゴル側に嵌められた形だったんですね。
馬鹿だったなぁ。
そういえば、最初にア○ガ○ン△○トルにモンゴルにいられなくしてやるようにモンゴルCIAに密告してやる、と脅されたのもこの店のテーブルだった。。。
でも、そんな嫌な感じになる前に、2005年、とある親方日の丸筋のボランティアの人たちのアテンドですれ違いがあり台無しになった誕生日パーティーもこの店でやったんだっけ。とても素敵なサプライズパーティーで、それを企画してくれたのもア○ガ○ン△○トルだった。。。
酷いことをされたからといって、100%その人が悪人だって責める気持ちにはなれないほどに、私には素敵な思い出がたくさんあるんだなぁ。。。
そして、このお店、ほんとに夢を膨らませてくれる、なにか不思議な力のある場所なんだなぁ。
お店の経営っていうことに対して、自分がやりたいって方向と「モンゴルではこうだから」って押し切られた方向が全然違っていて、私の夢はどんどんズタズタに引き裂かれ、縮小され、歪曲され、私は次第にやる気を失い、他人任せになり、お店が赤字でも、本来の自分の仕事ができればそれでいい、なんて意地になってしまっていた。そんなことがモンゴル人と心のすれ違いを生じさせていったんだなぁ。
1年たって、ボロボロになって立ち去ったこの場所に戻ってきたとき、自分がこんなにも穏やかで、ワクワクした気持ちでいられるなんて驚きました。
バチーンと小気味よく硬い鉄の扉がはじけるように開いて、ガチャッと少し癖のある鍵穴にぴったりと入った鍵がまわってドアが開いたとき、私の頑なだった心の扉も開いたような気持ちになりました。
1年以上も訪れていなかったお店なのに、空気はちっともよどんでいなくて、塵や埃だらけだったけれど、清潔な感じで、埃さえなければ、ついこの前までやってました、という感じの整然と片付けられた厨房。
それほど大掛かりな修繕工事などはなくてもすぐに使えそうだなって思いました。
まだ私はこのお店を手放したいとは思わないな。
両隣の店舗がひとつはテナントが抜けた抜け殻になり、もうひとつは売りに出ている。
両隣、両方ともが私のこのお店を欲しがり、モンゴル側共同経営者は賃貸契約、売買契約、いずれも私から奪い取ったらいつでもサインできるように話を進めていたらしいけれど、結局、どちらも私が踏ん張っている間に、去ることになってしまったようです。
これって物件に何か影響があるのかなぁ?
お金儲けしようとするには、場所はいいけれど、どうもお金が呼び込まれるっていう場所じゃないってきがするんですよね。場所が持つ力っていうのかなあ。。。ヒトがすいすい入ってくるって活気があんまりないのです。
やっぱり国会議事堂のすぐ北側っていうことで、気の流れがちょっと悪いのかもしれん。
場所的にはとってもよいけれど、なんか人の足が止まらないっていうかね。
でも、出来ることを淡々とやり続け、この場所で得られるものを求めてくる人たちにとっては、きっと必要な場所になるという気がします。
購入を決めたときもそうだった。ホーショール屋さんで、ボロボロで薄暗い感じでヒトが入らなくなって経営難で場所を変えてやり直そうってしていたオーナーさんが急いで手放したがっていたお店。
物件の間取りを変えて、日の光が入るようにしてみたけれど、やっぱり気の流れがイマイチなんだよね。
でも、少しずつ、自分の気持ちを変えていくように、ポジティブにうまい活用方法を考えて、やる気のある人たちで協力しあえば、きっと場所のエネルギーもいい方向に向かっていく。そんな感じ。
店構えって大事だなぁ。
なんで失敗したのかっていうと、失敗じゃなくって、私にとって、モンゴルホライズンという小さな会社にとって、通るべき道だったんだなって、思いました。
必死でお店をやりくりしながら、目を吊り上げ、がんばっていたときには見えてこなかった、いろんなダメだった点が見えてきた。
最初の内装工事からして、見積もり比較してから業者を決めたがった私を無視してモンゴル側経営者の知り合いだとういう業者の言うがままになるしかなくなって、文句ぶつぶつ工事費を出し、結局、設計図や施工図面で見せてもらったものとスペックも材料もデザインそのものが違うものでも、知らないうちにサインされていて、しかも領収書も明細書ももらえない、という詐欺同然でも文句言えなかった、、、という妥協の産物。そこからしてダメダメ。
それでも、友達やモンゴル人の教え子やかわいい妹分、弟分たちは、「いいお店ですね。素敵ですね。」とほめてくれて、知り合いのおじさんやおばさん達も、お店をのぞいて人が入ってないと、わざわざ自分の知り合いを電話で呼び出してコーヒーを飲んでくれたりしながら、だんだんいいペースが出来てきていた。
なんとか細々やれていたのに、私は、理想の売り上げや経営状態にこだわって、スタッフに不満たらたらだった。
もともとは、留学していた頃から、この場所の前を通るたびに、「こういうところで喫茶店とかできたらいいなぁ」ってインスピレーションがあり、会社を作ってからも毎日、毎日、ホーショール屋になってからも、「もっといい活用法あるのになぁ。お金が出来たら、こういう場所が欲しいいなぁ」って思いながら通っていた場所が突然、売りに出て、しかも私達はオフィスの賃貸料をいきなり3倍に値上げされて出て行くしかないってなっていた時に、母親に相談してお金を出してもらい、自分のお金も搾り出して、やっとのことで購入したんだよね。自分で決めて、自分で買った。。。なのに、最初は共同経営者名義になっていて、それはおかしいってがんばって、会社名義に書き換えたのだった。
私は自分でがんばってたのに、がんばり方を間違えていた。モンゴルで会社を経営するっていうこと、財産をやりくりするってことをわかっていなかった。
だから、いきなりドーン!って突き落とされちゃったんだ。
弁護士と一緒になったって、自分の思った方向に行ってるんだかどうだかわからないし・・・って疑心暗鬼になっていた。
そんなとき、誕生日の前日にパーンとあいたカフェの扉。
自分の進むべき道が開けた感じです。
奪われたって思ってけれど、うん、ちゃんと戻ってくるはず。
私ががんばって稼いだ分は、ちゃんと私のために使われるべき。私が望むように資産運用はされるべきなんだ。
モンゴル人の共同経営者やマネージャー達は、私の預金額相当で自分の新居を買ったり、賃貸用のマンションを建てたり、ランドクルーザーを買ったりしてしまった。使いこみっていう奴ですね。彼らの考え方は、「どういうやり方で入手したとしても金は金。自分達の好きなように使ってこそ金の価値がある」といったもの。私には全然理解できないけれど、ほんとにお金が大好きな人たちなのだ。
彼らは私がガミガミと虐げていた日々に耐えた自分達の我慢の駄賃だ、当然の取り分だ、外国人なんか追い出しちまえ!そのための手はずは十分に整えたって自信たっぷりだったけれど、私もまた一歩も退いていない。
彼らが私の預金通帳を破棄して、預けていたお金を使い込んだって、私の懐はちっとも痛んでいない。
経営難にだってなっていない。会社としては活動できないけれど、私個人としての人助けはできるし、日本での仕事だって、この国で暮らせる分、会社を維持するために自腹を切る分くらいは稼げてる。
むしろ、自分が妥協せずに仕事ができるようになって幸せ。
モンゴルでキリスト教の教会に通うようになるなんて思ってもみなかったけれど、こんなにも神様とともに歩んでいるっていう実感しながら暮らせるようになっているのも、2007年の謀反があってこそ。
1年かけて、よどんでしまい、欲望の坩堝みたいになってしまっていたカフェが浄化されたような気がしています。
もしかしたら、古い建物だから、取り壊しって話になっているのかもしれない、、、けれど、それでも、私は無理してでもこの物件を手に入れてよかったって感謝しています。
縁結びの作用っていうのは、人の関係だけでなく、モノにも働くって思えるし、時間や仕事のタイミングにさえも働く。
そして、私はむちゃくちゃ良縁に恵まれているんだって、感謝できるようになりました。
去年、大切なヒトと死別したり、腎臓を痛め、高血圧になり、脳圧が上がり、緊急処置をとらなければいけないほどに脳内血管がボロボロで、一度は半身不随になりかかったり、ストレスや恐怖でパニック症状が出たり、挙句の果てに、わけのわからぬ誤診で盲腸に間違われたり、、、恋人と仲違いしたり、散々だったけれども、完全に一人ぼっちになることはなかったわけです。
いろんな人に裏切られたけれど、逆に10年以上会えなかった親友に再会し、新しい仲間ができ、新しい仕事を始め、自分の存在意義を再確認することもできた。
人は考え方一つで幸せにもなれるし、不幸にもなれる、ということを実感し、モンゴル人の楽観主義を見直せるようになったりもしました。
無駄なことなんかひとつもなくて、人はいろんな出来事によって変わっていく。
私が去年の自分とは生まれ変わったようだって思える感覚は実際、生まれ変わったんだろうな。
自分がいたらなかった点、欠点、悪かった点、全てを1年かけて飲み込み、昇華できました。
ならば、この1年間、ずっと私が望んできたように、きっと、共同経営者やマネージャー達もいろんなことを考え、悔い改めることもあるんじゃないかしら?
他人に属するものを奪って得た成功や業績なんて長続きするもんじゃない。
少し余裕ができてくれば、自分のしでかしたことの罪深さを恥じるってこともできるようになるって信じてる。
私が悪かったところもあったかもしれないけれど、だからといって、そこにつけこんで、卑怯なことをして、「してやったり」なんて、胸を張っていられることは、厚顔無恥ってだけで全然、強くないし、本当の富でも成功でもないんだってことを私は知っている。彼らもきっとそのうちわかるはず。
自分の失敗や罪を認めることってとても苦しいし辛いことだから、時間はかかると思うけれど、それでも彼らが悔い改めたとき、私はすっきりと受け止められる人でありたいって思う。
またカフェのオープンの時のように笑い合って、これからのことにワクワクし合える関係でいたいと思う。
なぜならば、自分が神様に許されたことに感激して泣いた時の幸せを、彼らもまた味わって欲しいと思うから。
自分が悪い、あるいは誰かをにくい、むかつくって思い続ける人生ってやっぱり不幸。
そういう人を許して受け入れることができるようになった時、ほんとにすっきり幸福感を得られるようになった。
もう2度とあかないんじゃないか?入れないんじゃないか?
このまま無駄に何百ドルもの維持費や税金を支払い続けて、結局、モンゴル人に奪われちゃうんじゃないか?なんて思っていたときは、びくともしなかった扉が、まぁ、いいや。でもほったらかしにしておいたら、お店が傷んでかわいそう。せめて、掃除だけでもしたいなぁ。水道の水を流して錆をとってあげたいなぁって思っていたら、あっというまに扉は開いた。私が力をかけることもせず、無理やりでもなく、あっさり。
このカフェの中に入れたことで、私はほんとに心を全開にできました。
まだまだ問題は続きそうだけれど、それはまた別の話。
去年、ご迷惑をかけた方々、相談に乗っていただいた方々に会うと、皆、「例の話、解決ついたの?」と聞いてきます。
「うーん、まだまだ。でも、そのうちね。あせらずとも大丈夫。きっと取り戻すから」と私は笑って答えます。
意地になって、財産とかプライドとかを固執し、自分の本来の姿を見つめられない人の気持ちが正しい方向に向くまでは時間がかかるものです。
私も今の心境になるまで1年近くかかりました。でも、これってすっごい成長だと思うし、自分が去年どん底に突き落とされたって思ってた喪失感がどれほどちっぽけなものであったかを気づけたってありがたいことです。
財産を奪われることなんてたいしたことがない。愛するものの命を失うことに比べればどってことない。
財産なんて、がんばれば、また奪われたその何倍も何十倍も自分の手で築き上げることができる。
私がモンゴルに起業しに来た時は、たった一つのダッフルバックと200万円くらいの現金しか持ってこなかった。経営ノウハウもゼロ、契約の仕方や法律運用の仕方も知識ゼロ。契約書や公式文書の書き方も知らなかった。
でもわずか3年間で車両を購入し、一等地に不動産物件を購入し、預金もたっぷり築くことが出来た。
それが全部、モンゴルに奪われたとて、モンゴルのものはモンゴルの元に、と開高健先生の言葉にもあるように、身一つで日本に帰ることになったって惜しんではいけない。
だって、そういうことを成し遂げられる力がついたのだから、これからだっていくらでも自分を大きく、財産も増やすことだってできる。
私は自分のお金は使ったけれど、それ以上にこの国で知恵がつき、感情が豊かになり、タフになり、そして他人に頼ってもらえる人になれた。これはいくらお金があっても、自分で歩まなければ身につかない、ホンモノの財産で、私がモンゴルで得たものは、どれほど権力があっても、財力があっても、知力があっても、他人は私から奪うことができない。
どれほど私の悪口を言いふらしたり、インターネットで中傷したとしても、そうした行動をしている人たちは私を真正面から見て議論できないってことをわかっている。私は彼らから目をそらすことなく見つめることができるけれど、彼らは私を見つめることはできない。
もちろん、私だって、ある側面から見たら酷いことをしたっていう身に覚えもあるし、他人を言葉で傷つけてしまったことをいくら反省しても悔やみきれないってこともある。許せない!って誰かが私に対して思っているならそれは相手の心の問題。
私は許して欲しいと思っている。
だから、私もまた誰かが私に不快なことをしたとしても許してるわけで。
誰かを許すって別に上から目線じゃなくって、自分が楽になるために一番簡単なことなんですね。
自分が嫌いだって思っている人が近くに寄ってくるだけで、むかついて、動悸がおかしくなって、頭に血がのぼっていた私なのに、ア○ガ○ン△○トルから電話がかかってきても全然平気で普通に応対できていた。
心は平静なまま。
よくかけてきたなぁ、、、って思ったけれど、でも虚勢を張っているのがよくわかった。気の毒にのぉ。
でも、人の失敗って何度でもしちゃうものだけれど、そのたびに許されるべきものだと思うし、その失敗で何に気づくかが大事なことで、それもまた私達の生きるプロセスなんだろうなって。
長くなっちゃったけれど、旅人カフェ・アンドはどういう形になるかわからないけれど、何かまた、いろんな人たちと繋がっていける、素敵な空間として復活させたいって思っています。
これは神様が下さった誕生日プレゼントなんだなって思っているのです。
だって、他人に貸して賃貸料をもらえれば経営は安定するけれど、あの場所が持っている可能性を私が広げるチャンスを持てなくなっちゃう。
それに、他人に貸そうとすると、どうしても法的な手続き上、モンゴル人の共同経営者が立会いで公証役場で手続きしなければいけないけれど、自分の会社で話を進めようとするために必要な手続きはもう済んでいて、私が社長として書類を作り、お役所周りや交渉をすればいい話ですもの。
自分でがんばれ!っていうメッセージ、ありがたく受け取りました。
扉が開いたとき、一緒にいてくれた、にくさんにも大感謝。
これからどんなことをやっていこうか、今、わくわくしながら計画を練っています。
私が本当にア○ガ○ン△○トルと○ン○ナラン、○ンフバ○ラ○に望んでいること。
それは、誰かに嫌な思いをさせることなく、正しいやり方でお金をしっかり稼いで成功して欲しい。
そのために、私のお金が彼らに使われてしまったのならば、それはそれでいい。
あとで返してくれればそれでいいのです。
今すぐ、なんて彼らを追い詰めるのはもうやめます。
他人のものを不当に奪って、自分の思い通りに使う、なんてことは間違ったことだって早く気づいて欲しい。
せっかく、お金儲けが大好きで、そして、上手なのだから、しっかり実力で稼いで、早く私から財産を奪うって行為が意味のないことだってわかってほしい。
嫌がらせになってないから。
でも、彼らの行為によって、困るモンゴル人たちがいっぱいいるのです。
私は自分のためにお金を欲しいといっているわけじゃない。分けてあげなきゃいけない人は他にもまだたくさんいるのです。
もう自分は溜め込んだりしない。お金の流れを止めてよどませたりしないで、正しいと思ったこと、必要だと思ったときに、自分が納得した形で、自分が築き上げた財産を世の中に流して生きたい。
奪われたっていう言い方も撤回します。
2007年、彼らはどうしても、なりふりかまわずとも、お金が欲しくて、欲しくて必要だったんです。
だから、私は彼らに対して融資し続けている。そういうことなんだと思うことにします。
ちょっとご乱心してしまったけれど、もしかしたら、まだ本来のお金のあるべき姿を見失っているのかもしれないけれど、私はずっと、いつまでも私の誕生日を祝ってくれた彼らが正しい道に戻ってきてくれることを、待っています。
その日が早く来るように、○ン○○ランが一生懸命がんばって、お金を稼いで活躍してくれることを祈ります。
それが私にとっても幸せなことに繋がるからです。
まだ○ンフ○ランはモンゴルホライズンの一員だから、私は彼を許します。仲間として迎え入れる用意があります。
あかずの扉をあけたら、そこには私達の未来の形がありました。