7月7日の記事について、日本在住のモンゴル人「めぐみさん」からいただいたコメントの返事です。
ご本人のブログあてでメッセージするか、コメントで返そう、と思ったのですが、1000字以内でまとめるのって難しい・・・。
なので、個人的なメールをブログ上で公開するのは申し訳ないのですが、あえて、そうします。
炎上させたくないので、政治的批判、罵詈雑言は勘弁願います。
でも、めぐみさんには絶対読んでいただきたいです。長い文章だけど、日本語ぺらぺらなめぐみさんなら最後まで読んでいただける、と信じてます。
炎上は避けたいのですが、日本の永住権を持ち、日本で恵まれた環境で私も仕事でご一緒したことがある赤西仁さんの熱烈なファンであるあなたの真摯な気持ちを皆さんに紹介したくて、承認しました。
私は政治をちゃかしているわけではありません。
今回の事件の顛末に対するモンゴルメディアの倫理観について論じているだけです。
異国で暮らすということはもちろん、謙虚にならなければいけないし、そうしなければモンゴル国では外国人排除の動きを政治的ではないにせよ、個人的に感情で叩き潰そうと攻撃をしかけてくる、ということも共同経営者に財産や会社の車両や不動産などを不当に奪われ、事業休止を余儀なくされている私も身にしみてわかっています。
5名がなくなられた、ということですが、彼らの名前も発表されていません。けが人の数も正確なものはわからず、革命党よりのマスコミの発表と民主党よりの発表とでも数字が大きく違っています。
怪我した人たちの中には、警察当局側、抗議デモの市民双方とも、私の大切な人たちが含まれています。
でもこの人たちを政治の材料にしてはいけないのです。
失われた命や文化財を政治的材料として、誰かを責めては何も解決しません。
政治家の人たちは、いろいろなバランスをとりながら、前に進む道を模索しています。
でも、その裏でマスコミは、名指しで民主党や野党勢力を非難し、また完全独立系の放送局は革命党、当局がとった強攻策を非難し、問題解決とは別のセンセーションを煽っている。
このねじれた構造が私には納得できないのです。
コメディというのはそういう世の中を風刺するものでしょう?
ならば今のモンゴル国内でのメディアは規制をとっぱらわれた状態そのものがコメディ的になっているのです。
上から目線なんて、とんでもない。
私は何もできない自分の無力感を感じています。
外国人であり、選挙権のない私としては、今後、モンゴル国がどのような方向に進んでいくのか心配です。
めぐみさんがモンゴル国で今、こちらで行われているテレビ放送をザッピングすれば、何をいっているかわかるかもしれません。
日本で報道されている映像、状態だけがすべてではありません。
全体的に読んでいただけば、私がモンゴルを愛している、どれほど困難にあっても、この国を離れないでいることをご理解いただけると思います。
日本をベースとして仕事をしたほうが、私の活動は遥かに儲かるし楽になります。
でも、あえてモンゴルであえいでいるのはなぜか、といえば、この国の庶民、遊牧民の仲間と一緒に、同じ目線でこの国の成り行きを見つめたい、庶民として経済活動することがどれほど大変かを実感し、問題解決の糸口をモンゴルの人たちと一緒にみつけていきたいと思っているからです。
日本に住んでいるモンゴル人の方は皆さん、祖国の状態を心配し、憂慮していらっしゃることと思います。
モンゴルを旅しよう、と思っていらっしゃる方にとっては、この国はもう治安を取り戻し、心配せずに安心して旅ができますよ、といいたいと思います。
でも、モンゴル人の皆さんにとっては、これからが正念場。冷静な判断と相手を許す心、自分と違う意見を受け入れ、その上で問題をどう乗り越えていくか、わかりあうためにどうすべきかを考えていかなければいけない時期だと思うのです。
非常事態宣言後のS.バヤル首相の演説、記者会見もとても理性的で見事な事態収拾への道筋をつくった文言だったと感動しました。
エルベクドルジ氏やマグナイ氏、バトザンダン氏といったこの暴動の扇動者と糾弾されている人たちのコメントも実に堂々とした筋の通ったものでした。
相手を糾弾することなく、モンゴルが同胞同士で血を流し合ってしまったことを真摯に受け止め、このダメージから国をどのように立て直すために憂慮し、二度と起こらないようにしたいという気持ちはモンゴル国民誰もが同じ気持ちでしょう。
それは私たち、モンゴルにいる外国人も同じことです。
言葉尻や過去に何があったか、ということをあげへつらって、きつい言葉で糾弾することは誰にでもできますが、それは火に油を注ぎ、相手の感情を逆なでし、なんの解決にもならない。
でも、相手の怒りや哀しみを受け止め、相手を辛い気持ちにさせてしまった自分を責め、反省し、これからのことを考えていく。
そのために、私はあなたのコメントを掲載させていただきました。
あなたもそれを望んでいるからいつものようにメッセージではなく、コメントで書き込んでくださったのだと思います。
辛い気持ち、憤りを覚えさせてしまったこと、ごめんなさい。
でも、私はモンゴルを馬鹿にしたことはない。
残念だな、と思うことはたくさんあるけれど、あなたがブログで書いたように(http://ameblo.jp/fly-west-jin-megu/entry-10112269557.html)
開票に不正があったと
それって昔っからあるでしょ??
伝統みたいに代々受け継がれて。。。
とは私はうのみにしたくない。そうなのかもしれないけれど、証拠もいっぱいあるけれど、それでも伝統的に不正・汚職にまみれているということをあたりまえだと思いたくはないのです。
モンゴルでの選挙がいつも不正まみれだということを当たり前のように受け止めることこそ、民意をないがしろにしているのではないでしょうか?。
モンゴルの未来を一生懸命考えて、今後4年間の国の政治をまかせる人に自分の考えを託して投票する。
選挙は神聖で真摯な愛国心を国民が示すことができる数少ないチャンスです。
そういう貴重な民意が汚されるのが当たり前、伝統的だなんて、モンゴル人のあなたにあきらめてほしくないのです。
今回の選挙、私はとてもクリーンに進んでいる、と思っていました。
ショーが減ったのは残念だったけれど、それでも2004年に比べるとマスコミも公平だと思ったし、ポスターなどの広報活動も機会平等になったことを喜んでいました。
暴動を起こした張本人がだれなのか?
まだ真相はわかっていません。
群集心理によってはじけた、のかもしれないし、もともと策謀されていたことなのかもしれない。
いろいろな憶測情報が飛び交っていますが、冷静にモンゴルが進むべき民主化の理想を信じてこの国で生きる。この国の私が愛する人たちと一緒に歩む。それが私の誠意です。
あって、お話できるといいですね。
学校を卒業したらモンゴルに帰り、大学に入って、日本とモンゴルの架け橋になりたい、という若いあなたに期待し、応援しています。
マスコミが煽るために作った思想の道ではなく、自分自身が考え、モンゴルという国をどんな国にしたいかを一生懸命考えてください。
私にはモンゴル国に対して選挙という形で意見を表明することはできないし、どの政党を支持するということもありません。
どの政党にも素晴らしい政治家がいらっしゃいます。会ってお話することがとても楽しく、アツい人たちです。
相手を受け入れて話し合うことで自分の中が膨らんでいく素晴らしさ。
それこそが人間が言葉を持っている幸せなのだと思います。
だからこそ、言葉を使って、コミュニケーションをとって、お互いを非難するのではなく、お互いを高めあいたいです。
モンゴル人は、自分たちがモンゴル国を非難したりおちょくったりするけれど、外国人が少し批判的に書くと感情的になってしまう。私も他人がモンゴルのことで知ったかぶりみたいに書くと頭にくる。
同じです。モンゴルが大好きだから、いらだったり、喜んだりする。
外国人でも、あなたが生まれるより前からこのモンゴルと付き合い、泣いたり怒ったり笑ったりしながら、この国に育てていただいています。
モンゴルに対して心配したり、あきれたり、涙をこぼしたりするけれど、怒ることも憤ることもなくなりました。
外国のマスコミが一方的な見方でモンゴルに対して談じることも心配しています。
今、この国は揺れています。流動的だけれども、それでも荒波を乗り越えようとしています。
私はこの時期にウランバートルに居合わせたことをよかったことと思っています。
起こってしまったことは悲劇的でとりかえしのつかない惨劇だけれども、それでも、数日間で冷静さを取り戻し、相変わらず馬鹿話で大笑いし、この事態についてを双方共の問題点を把握し、悪いことは悪いといえる公平さを持つモンゴル人を素晴らしいと尊敬しているのです。
目に見えること、見えないこと、感じられること、感じられないこと。
私も上から目線で語っているつもりはまったくないけれど、受け止める人によって、意図したこととは違うベクトルに言葉が作用するということを反省します。ありがとう。
不謹慎かもしれないけれど、現在の日本では考えられない暴動→非常事態宣言→軍隊の出動という事態で、私はいろいろな教訓を得たと思います。日本でのほほんとしていたらまず体験できなかったことだろうし、ダルハンにいたら、対岸の火事にニュースのような他人事だったかもしれない。
これも神様の思し召しであり、傷ついたり、憤ったり、泣いたりしたことも、これからどうやったらモンゴルのために力になれるだろうか、と考える機会にもなったと感謝しているのです。
それにしても、装甲車や実弾の入ったライフル銃の横を通るのは緊張感を伴いましたよ。悪いことしてないのにね。
怪我した日本人の方もアメブロ仲間なんです。
そして、怪我した機動隊員は私の弟子もいるし、知り合いもいるのです。
馬頭琴楽団の人たちは一緒に仕事をしていた人たちだし、私の家族も音楽家だから、ほんとに悔しくて涙を流しました。この痛みは現場にいる、いないに関わらず、モンゴル人なら感じてもらえると思います。
相手を非難し、怒りを覚えるのではなく、よい道、お互いが幸せになるためにどうすればいいのか、一緒に考えていきましょう。
それから、何の権利があって、ということですが、私たちは日本国憲法でもモンゴル国憲法でも言論の自由が基本的人権として認められています。
冷静に、全体を通して受け止めてください。
でも、わたしはめぐみさんに会いたいです。
会って、一緒にモンゴルのいろいろなことを語り合いたいです。
モンゴル人の素晴らしいところは、どれほどのどん底に、窮地に陥っても最後の最後まであきらめず、元気で明るく、冗談として笑い飛ばす強さだと思っています。
あんなことがあったすぐあとなのに、私の周りのモンゴル人は皆さん、相変わらず元気いっぱいです。
ナーダムに向けて、辛いことを抱えながら、でも、前に向かって進もうとしています。
これってすごいことだし、国を発展させるエネルギーですよ!
今回の記事に憤って、離れるのではなく、この記事で私たちがより広く深くつながっていけることを望みます。
またコメントしてね。
ご本人のブログあてでメッセージするか、コメントで返そう、と思ったのですが、1000字以内でまとめるのって難しい・・・。
なので、個人的なメールをブログ上で公開するのは申し訳ないのですが、あえて、そうします。
炎上させたくないので、政治的批判、罵詈雑言は勘弁願います。
でも、めぐみさんには絶対読んでいただきたいです。長い文章だけど、日本語ぺらぺらなめぐみさんなら最後まで読んでいただける、と信じてます。
炎上は避けたいのですが、日本の永住権を持ち、日本で恵まれた環境で私も仕事でご一緒したことがある赤西仁さんの熱烈なファンであるあなたの真摯な気持ちを皆さんに紹介したくて、承認しました。
私は政治をちゃかしているわけではありません。
今回の事件の顛末に対するモンゴルメディアの倫理観について論じているだけです。
異国で暮らすということはもちろん、謙虚にならなければいけないし、そうしなければモンゴル国では外国人排除の動きを政治的ではないにせよ、個人的に感情で叩き潰そうと攻撃をしかけてくる、ということも共同経営者に財産や会社の車両や不動産などを不当に奪われ、事業休止を余儀なくされている私も身にしみてわかっています。
5名がなくなられた、ということですが、彼らの名前も発表されていません。けが人の数も正確なものはわからず、革命党よりのマスコミの発表と民主党よりの発表とでも数字が大きく違っています。
怪我した人たちの中には、警察当局側、抗議デモの市民双方とも、私の大切な人たちが含まれています。
でもこの人たちを政治の材料にしてはいけないのです。
失われた命や文化財を政治的材料として、誰かを責めては何も解決しません。
政治家の人たちは、いろいろなバランスをとりながら、前に進む道を模索しています。
でも、その裏でマスコミは、名指しで民主党や野党勢力を非難し、また完全独立系の放送局は革命党、当局がとった強攻策を非難し、問題解決とは別のセンセーションを煽っている。
このねじれた構造が私には納得できないのです。
コメディというのはそういう世の中を風刺するものでしょう?
ならば今のモンゴル国内でのメディアは規制をとっぱらわれた状態そのものがコメディ的になっているのです。
上から目線なんて、とんでもない。
私は何もできない自分の無力感を感じています。
外国人であり、選挙権のない私としては、今後、モンゴル国がどのような方向に進んでいくのか心配です。
めぐみさんがモンゴル国で今、こちらで行われているテレビ放送をザッピングすれば、何をいっているかわかるかもしれません。
日本で報道されている映像、状態だけがすべてではありません。
全体的に読んでいただけば、私がモンゴルを愛している、どれほど困難にあっても、この国を離れないでいることをご理解いただけると思います。
日本をベースとして仕事をしたほうが、私の活動は遥かに儲かるし楽になります。
でも、あえてモンゴルであえいでいるのはなぜか、といえば、この国の庶民、遊牧民の仲間と一緒に、同じ目線でこの国の成り行きを見つめたい、庶民として経済活動することがどれほど大変かを実感し、問題解決の糸口をモンゴルの人たちと一緒にみつけていきたいと思っているからです。
日本に住んでいるモンゴル人の方は皆さん、祖国の状態を心配し、憂慮していらっしゃることと思います。
モンゴルを旅しよう、と思っていらっしゃる方にとっては、この国はもう治安を取り戻し、心配せずに安心して旅ができますよ、といいたいと思います。
でも、モンゴル人の皆さんにとっては、これからが正念場。冷静な判断と相手を許す心、自分と違う意見を受け入れ、その上で問題をどう乗り越えていくか、わかりあうためにどうすべきかを考えていかなければいけない時期だと思うのです。
非常事態宣言後のS.バヤル首相の演説、記者会見もとても理性的で見事な事態収拾への道筋をつくった文言だったと感動しました。
エルベクドルジ氏やマグナイ氏、バトザンダン氏といったこの暴動の扇動者と糾弾されている人たちのコメントも実に堂々とした筋の通ったものでした。
相手を糾弾することなく、モンゴルが同胞同士で血を流し合ってしまったことを真摯に受け止め、このダメージから国をどのように立て直すために憂慮し、二度と起こらないようにしたいという気持ちはモンゴル国民誰もが同じ気持ちでしょう。
それは私たち、モンゴルにいる外国人も同じことです。
言葉尻や過去に何があったか、ということをあげへつらって、きつい言葉で糾弾することは誰にでもできますが、それは火に油を注ぎ、相手の感情を逆なでし、なんの解決にもならない。
でも、相手の怒りや哀しみを受け止め、相手を辛い気持ちにさせてしまった自分を責め、反省し、これからのことを考えていく。
そのために、私はあなたのコメントを掲載させていただきました。
あなたもそれを望んでいるからいつものようにメッセージではなく、コメントで書き込んでくださったのだと思います。
辛い気持ち、憤りを覚えさせてしまったこと、ごめんなさい。
でも、私はモンゴルを馬鹿にしたことはない。
残念だな、と思うことはたくさんあるけれど、あなたがブログで書いたように(http://ameblo.jp/fly-west-jin-megu/entry-10112269557.html)
開票に不正があったと
それって昔っからあるでしょ??
伝統みたいに代々受け継がれて。。。
とは私はうのみにしたくない。そうなのかもしれないけれど、証拠もいっぱいあるけれど、それでも伝統的に不正・汚職にまみれているということをあたりまえだと思いたくはないのです。
モンゴルでの選挙がいつも不正まみれだということを当たり前のように受け止めることこそ、民意をないがしろにしているのではないでしょうか?。
モンゴルの未来を一生懸命考えて、今後4年間の国の政治をまかせる人に自分の考えを託して投票する。
選挙は神聖で真摯な愛国心を国民が示すことができる数少ないチャンスです。
そういう貴重な民意が汚されるのが当たり前、伝統的だなんて、モンゴル人のあなたにあきらめてほしくないのです。
今回の選挙、私はとてもクリーンに進んでいる、と思っていました。
ショーが減ったのは残念だったけれど、それでも2004年に比べるとマスコミも公平だと思ったし、ポスターなどの広報活動も機会平等になったことを喜んでいました。
暴動を起こした張本人がだれなのか?
まだ真相はわかっていません。
群集心理によってはじけた、のかもしれないし、もともと策謀されていたことなのかもしれない。
いろいろな憶測情報が飛び交っていますが、冷静にモンゴルが進むべき民主化の理想を信じてこの国で生きる。この国の私が愛する人たちと一緒に歩む。それが私の誠意です。
あって、お話できるといいですね。
学校を卒業したらモンゴルに帰り、大学に入って、日本とモンゴルの架け橋になりたい、という若いあなたに期待し、応援しています。
マスコミが煽るために作った思想の道ではなく、自分自身が考え、モンゴルという国をどんな国にしたいかを一生懸命考えてください。
私にはモンゴル国に対して選挙という形で意見を表明することはできないし、どの政党を支持するということもありません。
どの政党にも素晴らしい政治家がいらっしゃいます。会ってお話することがとても楽しく、アツい人たちです。
相手を受け入れて話し合うことで自分の中が膨らんでいく素晴らしさ。
それこそが人間が言葉を持っている幸せなのだと思います。
だからこそ、言葉を使って、コミュニケーションをとって、お互いを非難するのではなく、お互いを高めあいたいです。
モンゴル人は、自分たちがモンゴル国を非難したりおちょくったりするけれど、外国人が少し批判的に書くと感情的になってしまう。私も他人がモンゴルのことで知ったかぶりみたいに書くと頭にくる。
同じです。モンゴルが大好きだから、いらだったり、喜んだりする。
外国人でも、あなたが生まれるより前からこのモンゴルと付き合い、泣いたり怒ったり笑ったりしながら、この国に育てていただいています。
モンゴルに対して心配したり、あきれたり、涙をこぼしたりするけれど、怒ることも憤ることもなくなりました。
外国のマスコミが一方的な見方でモンゴルに対して談じることも心配しています。
今、この国は揺れています。流動的だけれども、それでも荒波を乗り越えようとしています。
私はこの時期にウランバートルに居合わせたことをよかったことと思っています。
起こってしまったことは悲劇的でとりかえしのつかない惨劇だけれども、それでも、数日間で冷静さを取り戻し、相変わらず馬鹿話で大笑いし、この事態についてを双方共の問題点を把握し、悪いことは悪いといえる公平さを持つモンゴル人を素晴らしいと尊敬しているのです。
目に見えること、見えないこと、感じられること、感じられないこと。
私も上から目線で語っているつもりはまったくないけれど、受け止める人によって、意図したこととは違うベクトルに言葉が作用するということを反省します。ありがとう。
不謹慎かもしれないけれど、現在の日本では考えられない暴動→非常事態宣言→軍隊の出動という事態で、私はいろいろな教訓を得たと思います。日本でのほほんとしていたらまず体験できなかったことだろうし、ダルハンにいたら、対岸の火事にニュースのような他人事だったかもしれない。
これも神様の思し召しであり、傷ついたり、憤ったり、泣いたりしたことも、これからどうやったらモンゴルのために力になれるだろうか、と考える機会にもなったと感謝しているのです。
それにしても、装甲車や実弾の入ったライフル銃の横を通るのは緊張感を伴いましたよ。悪いことしてないのにね。
怪我した日本人の方もアメブロ仲間なんです。
そして、怪我した機動隊員は私の弟子もいるし、知り合いもいるのです。
馬頭琴楽団の人たちは一緒に仕事をしていた人たちだし、私の家族も音楽家だから、ほんとに悔しくて涙を流しました。この痛みは現場にいる、いないに関わらず、モンゴル人なら感じてもらえると思います。
相手を非難し、怒りを覚えるのではなく、よい道、お互いが幸せになるためにどうすればいいのか、一緒に考えていきましょう。
それから、何の権利があって、ということですが、私たちは日本国憲法でもモンゴル国憲法でも言論の自由が基本的人権として認められています。
冷静に、全体を通して受け止めてください。
でも、わたしはめぐみさんに会いたいです。
会って、一緒にモンゴルのいろいろなことを語り合いたいです。
モンゴル人の素晴らしいところは、どれほどのどん底に、窮地に陥っても最後の最後まであきらめず、元気で明るく、冗談として笑い飛ばす強さだと思っています。
あんなことがあったすぐあとなのに、私の周りのモンゴル人は皆さん、相変わらず元気いっぱいです。
ナーダムに向けて、辛いことを抱えながら、でも、前に向かって進もうとしています。
これってすごいことだし、国を発展させるエネルギーですよ!
今回の記事に憤って、離れるのではなく、この記事で私たちがより広く深くつながっていけることを望みます。
またコメントしてね。