「モンゴルという国を一言で説明して」とか
「モンゴル人ってどんな人たち」とか
「モンゴル人のいやなところは?」とか
いろんな一言質問がありますね。

一言ですぱっと答えられない自分がちょっと情けないっつーか、
一言で答えられるほど単純じゃないのよー、とかって戸惑う。

自分のいい言葉を引き出してくれる質問をしてくれる人が好き。
あったことがなくっても、電話で、その人の率直な疑問が、面白さやきらきらした素敵なことを期待しているってわかるとき、私の心に光がともる。

普段、ちょっとハスに構えて、それほど賛同できないなーって思っているモンゴルの風潮。
わざとらしくて、某大なコストで、とかって、自分では行こうと思っていないことでも、もしかしたら観光でモンゴルにこようって人には面白い情報かもって思うようになってきて、話しているうちに、段々、自分でも面白いことのような気がしてくる。

いろんなことに腹を立てながらも、結局はものの見方ひとつだよ、なんて。

誰かがモンゴル人に対して抱いた怒りを鎮めることもできるし、
傷ついた心を和やかにまろやかに、またモンゴルと向き合おうって元気になってもらうこともできる。

それって、誰かと心や気持ちを共有したいって思っているからなんでしょうね。

お調子者かもしれない。
知ったかぶりっていわれちゃうかもしれない。

だけど、やっぱり、私はモンゴルを自分の家族みたいに愛しているんだなって気づいたりする。

私と出逢った人たちが、私とモンゴルを直結連想することも、真実なんだって肯定的になれた朝。

一晩中でも、一日中でも、一週間毎日でも、一か月でも、1年でも、10年でも、私はモンゴルについて、いくらでも語り続けることができる。

逆に一言でも、1分でも、3分でも、5分でも。。。

それは自分を語ることと同じように、歯がゆく、恥ずかしいことだけれども、愛する人をほめたたえるように、ちょっぴり誇らしく、自分の口からこぼれる言葉によって、幸せになれる魔法の時間。

ステレオタイプなんてぶっとばせ!

でも、ほんとに必要な伝えたいことは、自然に導かれて、心から放たれるはず。