今まで私は見たことがなかったのですが、今年は街のいたるところに、
「お金の封筒で年始の挨拶を」といった看板が立ってます。
1袋=100tg(10円)

一時帰国前に、「払えるものは払っちまおう」と公共料金支払いめぐりをしているところで、電話代を払いに中央郵便局に入ったついでに、「お金封筒」売り場も覗いてみました。

皆、なぜ、前日になって殺到する?
本日、大晦日は夜9時まで中央郵便局は営業するとのこと。

Cavaoさんにご挨拶を・・・と思ったんだけど、彼の活動赴任先である観光案内所は電気も消えて人気もない。
官公庁はもうお休みなんですね。

トナカイに乗った少年とらくだに乗った少年のをまずは3袋ずつ買いました。
周りにいたおばちゃんたちが、目ざとく、「きゃー、それ、可愛い。どこにあるの!」と。

はは、ツァータンはすっかりメジャーな少数派になってしまったのぉ。

ツァータンは相変わらずマイナーでお金に縁のない暮らしをしているのに、まさかお年玉袋のデザインになるとはね。

勝ち組は唯一・観光ツァータンのドゥージーさん(奥さんは実はハルハ・モンゴル人なのに、ツァータンのシャーマンを自称。去年、地球の歩き方の取材の人から相談のメールをうけて、写真をみせていただいてびっくり!)以外は、ほんとキビシー生活を強いられています。

フブスグル湖という観光リゾート、だけどほんとはトナカイにいい飼育環境ではないところに、観光客からの収入のために暮らし、トナカイが死ぬと、親戚のタイガで暮らす大きなトナカイを持っている人からまた、お金を出して買う。
フブスグル→ツァータン、トナカイを飼って狩猟して暮らしているエキゾチックなマイノリティみたいにガンガン観光業関係者は売り出しますが、旅行業によって、彼らの伝統的な暮らし方や社会構造に急激な歪みが生じていることを考えると、手放しで喜ぶことができません。

きちんとした調査もせずに、トナカイ、珍しい!みたいに売り出して、旅行者はほのぼのとか、「自然と共存したつましい暮らし」とかを勝手にイメージして感動して、写真とって帰って、、、その後、嫉妬だの酒びたりだの、お金の価値観崩壊など手がつけられない歪みが生じ、心ある人はますます人里はなれたところで暮らし貧しく、厳しい生活を強いられ、とにかく金がもらえるんだったら、俺らも便乗すっぺと、誇りを捨てて、湖近くで夏を過ごす割り切り市場経済ノリノリ家族もでてきて、小さなツァータン社会がまっぷたつに分断されていく。涙が出そうな現状。

ツァータンを売りにするんだったら、それ相応の恩恵を上手に社会に還元せねばいけないと思うんですけれど・・・。

ツァガンサルが終わったら、フブスグル湖恒例の氷祭り(Ice Festival)です。
氷上マラソン、馬橇レースなど以外に、ツァータンも客寄せ道具に使われるようです。
恒例といいつつも旅行会社が外国人やモンゴルのセレブ金持ちを対象にした商業ベースの行事。
偏屈で素朴なシャーマンである正吉君のお兄ちゃんなんかは当然参加しないでしょう。
私が調査していたときにお世話になっていた大ばば様や盲目のおばば様(ナウシカに出てくるババ様にそっくりでした)もなくなり、ダルハドの強力なシャマンも亡くなり、ほんとに力があるシャマンはもうほとんど生き残っていない、、、。
上手に旅行を商売として地元の文化伝統をうまく活用しながら地元活性化を盛り上げるってほんとに難しいなぁ。

偏屈で考えすぎちゃう上に、タイガを愛してやまない私は、どうしても手放しで氷祭りを歓迎できません。
じゃ、自分で考えろよっていうと、難しいよなぁ。

お金だけが人の誠意に答える術じゃないとは思うのですが、日本人である自分が自分の生活に土足で入ってきた人を「歓迎」して、自分のプライバシーをさらけ出して、生活文化を体験してもらうための道具になるストレスをお金に換算したらどうなるかって考えると、すっごく複雑な気持ちになります。

高ければいいってものでもなく、安くてもいいってものでもなく。

そういう意味では、お年玉袋という、もらった瞬間にいくらか、周りの人ももらった本人もわからない可愛い袋に入れて年始の挨拶のお金を渡す、というシステムはGood Ideaだと思いました。

写真は撮ってあるので、日本に帰ったらアップしまーす。