ツァガンサル前は靴下やタンクトップ、パン○みたいな下着系が大量に売れるようです。
一軒で100足近くのまとめ買いするところもあるらしく・・・
それらはお年始返しに使われます。
食料品値上がりすごい。
ジャガイモ、小麦粉、肉、牛乳、卵・・・
私の食料リストレギュラー陣が軒並み100-400tgも値上がりだ。
逆に、衣類、靴、コンピューターやテレビなどの家電製品、自動車なんかは大幅値下げ。
日本でもあるような「年末在庫一掃セール」です。
こうしたお得な情報があるところにはちょいとのぞいてみたいもの。
そこで、キリル文字のセール一掃を知らせる看板の文句をご紹介。
写真がアップできないってまじ、辛いね。
Агуулах чөлөөлөх хямдралтай худалдаа
「在庫しているものを 放出する 値下げのある 販売」直訳するとそういうこと。
単語の辞書的な意味で書いてみるとモンゴル語ってへんてこな日本語になることも多々あります。
放出する、なんて本来は、「自由にする」だもんね。
これをこなして翻訳すると、
「在庫一掃大安売り!」となる。でもあくまでも一例です。
モンゴル語は日本語と語順が同じで文法も似ているから、簡単とか、3ヶ月くらいで日常会話は不自由なくなる、、、という人いるけれど、日常会話から先を行くのは結構難しいです。
モンゴル語の文章を作成してみたとき、自分の間違いに気づく・・・。
表現の仕方、ちょっと独特。日本人の発想だと、ちょっと謎々っぽいけれど、ああ、なるほどなって合点してにんまり、みたいな。
市場経済制移行期ぐらいだと、モンゴルの宣伝文句はやたらプロパガンダ的で仰々しいものが多かったのですが、21世紀に入って、広告産業がやおら勢力をつけ、コピーライター的な人たちも増えました。
もともとが言葉をあやつる達人だった詩人の皆さんも参戦しているのですから、そりゃもう、簡潔にてモンゴル人の心をわしづかみにできる、まさに「キャッチコピー」が次々に生まれています。
新聞記事などは、ダラダラと長ったらしく、裏づけ取材もせずに、あおるだけあおる、というゴシップ誌みたいなネタが日刊紙に載っていたりするので読むのが苦痛になりがちなのですが、新聞の広告記事は面白いです。
多分、英語からの発想なんだろうな、というのもあったりね。
最近は、電話メッセージもモンゴル語のテンプレートがいろいろ出ています。
いつの間に、言葉遊びの妙を競い合っていたモンゴル人が他人が作った決まり文句の使い回しをするようになったのか?
これまた、携帯電話の普及が影響している気もします。
看板ひとつとっても、広告文ひとつとっても、モンゴル語学習のよい教材になるなぁ。単純だからこそ、怠りガチな観察。
私費も国費も、われわれが留学していた時よりも垣根が低く、誰でもモンゴルで大学生(留学生)になれるようになっちゃったけど、語学留学だけでほんとにいいの?と頭の固いおばちゃんは思うのです。
周りに外国語があふれている環境だと、日常会話は誰でも使えるようになる。
ちょっとコツを飲み込んじゃえば、「お話するだけ」なら2週間あれば、相手に自分の意志を伝えることができるようになるもんです。
でも、会話だけなら、日本でだって十分学べます。文法という基礎をしっかり固めた上で、日本でモンゴル文化の素養を日本人の視点でかじった上で、モンゴルにくればもっともっと、モンゴル語は上達するのにな。
何年在住といっても、自分で意識しないと語学は上達しない。
ほんと、上達しません。使いこなせるようになるけれど、そういう小手先が(口先?)が器用になったところで、モンゴル語そのものを感じて、自分の言葉として発言し、正しく書けるようになるためには、正しいモンゴル語を使える人を探して、きちんと文章でやりとりしながら、間違いを正してもらわなくちゃいけない。
長い文章じゃなくてもいい。
でも、短い文章でも、相手をなるほどーと納得させられるような、「自分も使わせてもらおう」といわれるようなびしっとしたコメントが作れるか。
やっぱりその辺は、モンゴル人の真髄を掘り下げていく日頃の努力なんだろうなぁ。自分が留学していた頃、調査していた頃は、研究テーマとは別に、そんな小さな観察をして、ふむふむって納得したり、モンゴル人に驚いたり、ほめられたりしていい気になっていた。今は10年前の貯金を切り崩して生きているようなもんだな。
なんでそんなこと考えているかっていうと、ちょっとしたお仕事で、モンゴル語の
コピーを作らなきゃいけなくなっているから。
日本人が作ったモンゴル語作文。発想はわかるから日本人なら原文の日本語に変換しながら解読できる。モンゴル人も日本語をやっている人ならわかる。
でも、いちいち修正、校正しようもんなら、赤ペンがほぼ全文に渡って入っちゃうから、最初からそんなこと、しない。
「わかればいいじゃーん」って、そんなのやさしさじゃなくって、ただの馴れ合いだって思っちゃうけれど、自分の文章が真っ赤になるってことは、しゃべっているときも、意志は伝えているけれど、実は間違いだらけで変なことしゃべってるってことではないですか!
でもね、モンゴル人は言うんですよ。
Буруугаар яриад зөвөөр ойлголуулна.
Зөвөөр яриад буруугаар ойлголуулна.
でたらめをしゃべると正しくわかってもらえる。
正しくしゃべって、誤解される。
モンゴル語ってそんなもんだぜって。
でも、やっぱり、「一生懸命外国人がモンゴル語を学びましたね」的なやさしさよりも、そろそろ、お世辞じゃなくきちんとしたモンゴル語を使える人にならないといけない年齢になったと自覚してきました。
世間一般にはどうでもいいことなんだろうし、こんなに思いつめなくても、ちゃーんとお仕事こなしている人はいっぱいいるわけだけど・・・。
他人がどうこうではなく、正しくきちんとしたいなぁ。
安売り看板ひとつとっても、あんなに簡潔でわかりやすいもの、すぐに出てこないもの。
形動詞形を二つ連続して並べるなんて、思いつかなかったよ、ということです。
一軒で100足近くのまとめ買いするところもあるらしく・・・
それらはお年始返しに使われます。
食料品値上がりすごい。
ジャガイモ、小麦粉、肉、牛乳、卵・・・
私の食料リストレギュラー陣が軒並み100-400tgも値上がりだ。
逆に、衣類、靴、コンピューターやテレビなどの家電製品、自動車なんかは大幅値下げ。
日本でもあるような「年末在庫一掃セール」です。
こうしたお得な情報があるところにはちょいとのぞいてみたいもの。
そこで、キリル文字のセール一掃を知らせる看板の文句をご紹介。
写真がアップできないってまじ、辛いね。
Агуулах чөлөөлөх хямдралтай худалдаа
「在庫しているものを 放出する 値下げのある 販売」直訳するとそういうこと。
単語の辞書的な意味で書いてみるとモンゴル語ってへんてこな日本語になることも多々あります。
放出する、なんて本来は、「自由にする」だもんね。
これをこなして翻訳すると、
「在庫一掃大安売り!」となる。でもあくまでも一例です。
モンゴル語は日本語と語順が同じで文法も似ているから、簡単とか、3ヶ月くらいで日常会話は不自由なくなる、、、という人いるけれど、日常会話から先を行くのは結構難しいです。
モンゴル語の文章を作成してみたとき、自分の間違いに気づく・・・。
表現の仕方、ちょっと独特。日本人の発想だと、ちょっと謎々っぽいけれど、ああ、なるほどなって合点してにんまり、みたいな。
市場経済制移行期ぐらいだと、モンゴルの宣伝文句はやたらプロパガンダ的で仰々しいものが多かったのですが、21世紀に入って、広告産業がやおら勢力をつけ、コピーライター的な人たちも増えました。
もともとが言葉をあやつる達人だった詩人の皆さんも参戦しているのですから、そりゃもう、簡潔にてモンゴル人の心をわしづかみにできる、まさに「キャッチコピー」が次々に生まれています。
新聞記事などは、ダラダラと長ったらしく、裏づけ取材もせずに、あおるだけあおる、というゴシップ誌みたいなネタが日刊紙に載っていたりするので読むのが苦痛になりがちなのですが、新聞の広告記事は面白いです。
多分、英語からの発想なんだろうな、というのもあったりね。
最近は、電話メッセージもモンゴル語のテンプレートがいろいろ出ています。
いつの間に、言葉遊びの妙を競い合っていたモンゴル人が他人が作った決まり文句の使い回しをするようになったのか?
これまた、携帯電話の普及が影響している気もします。
看板ひとつとっても、広告文ひとつとっても、モンゴル語学習のよい教材になるなぁ。単純だからこそ、怠りガチな観察。
私費も国費も、われわれが留学していた時よりも垣根が低く、誰でもモンゴルで大学生(留学生)になれるようになっちゃったけど、語学留学だけでほんとにいいの?と頭の固いおばちゃんは思うのです。
周りに外国語があふれている環境だと、日常会話は誰でも使えるようになる。
ちょっとコツを飲み込んじゃえば、「お話するだけ」なら2週間あれば、相手に自分の意志を伝えることができるようになるもんです。
でも、会話だけなら、日本でだって十分学べます。文法という基礎をしっかり固めた上で、日本でモンゴル文化の素養を日本人の視点でかじった上で、モンゴルにくればもっともっと、モンゴル語は上達するのにな。
何年在住といっても、自分で意識しないと語学は上達しない。
ほんと、上達しません。使いこなせるようになるけれど、そういう小手先が(口先?)が器用になったところで、モンゴル語そのものを感じて、自分の言葉として発言し、正しく書けるようになるためには、正しいモンゴル語を使える人を探して、きちんと文章でやりとりしながら、間違いを正してもらわなくちゃいけない。
長い文章じゃなくてもいい。
でも、短い文章でも、相手をなるほどーと納得させられるような、「自分も使わせてもらおう」といわれるようなびしっとしたコメントが作れるか。
やっぱりその辺は、モンゴル人の真髄を掘り下げていく日頃の努力なんだろうなぁ。自分が留学していた頃、調査していた頃は、研究テーマとは別に、そんな小さな観察をして、ふむふむって納得したり、モンゴル人に驚いたり、ほめられたりしていい気になっていた。今は10年前の貯金を切り崩して生きているようなもんだな。
なんでそんなこと考えているかっていうと、ちょっとしたお仕事で、モンゴル語の
コピーを作らなきゃいけなくなっているから。
日本人が作ったモンゴル語作文。発想はわかるから日本人なら原文の日本語に変換しながら解読できる。モンゴル人も日本語をやっている人ならわかる。
でも、いちいち修正、校正しようもんなら、赤ペンがほぼ全文に渡って入っちゃうから、最初からそんなこと、しない。
「わかればいいじゃーん」って、そんなのやさしさじゃなくって、ただの馴れ合いだって思っちゃうけれど、自分の文章が真っ赤になるってことは、しゃべっているときも、意志は伝えているけれど、実は間違いだらけで変なことしゃべってるってことではないですか!
でもね、モンゴル人は言うんですよ。
Буруугаар яриад зөвөөр ойлголуулна.
Зөвөөр яриад буруугаар ойлголуулна.
でたらめをしゃべると正しくわかってもらえる。
正しくしゃべって、誤解される。
モンゴル語ってそんなもんだぜって。
でも、やっぱり、「一生懸命外国人がモンゴル語を学びましたね」的なやさしさよりも、そろそろ、お世辞じゃなくきちんとしたモンゴル語を使える人にならないといけない年齢になったと自覚してきました。
世間一般にはどうでもいいことなんだろうし、こんなに思いつめなくても、ちゃーんとお仕事こなしている人はいっぱいいるわけだけど・・・。
他人がどうこうではなく、正しくきちんとしたいなぁ。
安売り看板ひとつとっても、あんなに簡潔でわかりやすいもの、すぐに出てこないもの。
形動詞形を二つ連続して並べるなんて、思いつかなかったよ、ということです。