ブログネタ:サンタクロース信じてますか? 参加中

クリスマス、終わっちゃいましたね。
モンゴルでは、クリスマスをキリスト教の生誕祭という認識で迎えるようになったのは市場経済制導入後、10年あまりたった21世紀から。それまでは、ソ連のロシア文化と同様「ヨールカ祭り(モミの木祭り)」として、12月末から1月の新年までという長期にわたって、街の中心であるスフバートル広場に大きなモミの木をもってきてイルミネーションで飾っておりました。クリスマスではなく、忘年会と新年会がごちゃまぜで、最近ではとにかく、飲めや歌えや着飾れや!の大騒ぎで、年々派手に、消費金額もド派手になってきております。この辺、日本よりも激しい急成長ぶりだと感じます。

むりくりモンゴル語のメリークリスマスみたいなものが登場しましたよ。

「Зул сарын баяр хүргэе! 聖火の月、おめでとう、みたいな感じ。」
Зулとは、お灯明のこと。そういえばクリスマスのミサはかなりロウソクを豪勢に使いますね。そうそう、クリスマスのろうそくは、キャンドルっていうらしいですね、日本でも。
クリスマスケーキを買うときに、「ろうそくつけて下さい」っていったら、「キャンドルは入れておきました」とさらりとかわされました。えへ。


サンタクロースの故郷は、フィンランドだということで世界的に認められていますが、私が子供のころから父がまことしやかにけったいナサンタクロース伝説を聞かされてきましたよ。

幼稚園の頃、
「昔々、トルコの聖人ニコラスさんが、貧しい家庭の娘のためい金貨を煙突からそっと差し入れたことが発端で、広まった習慣なのだよ。キリスト教の隣人愛・博愛の心と困った人に救いの手を差し伸べる優しさをニコラス聖人に見習おうと、クリスマスにプレゼントを贈る習慣ができたのだから、世界中どこにでもサンタクロースがいるのは当たり前なんだよ。」
サンタさんが真っ赤なお鼻のトナカイさんにソリをひかせて空を飛んで、世界中の子供たちにプレゼントを運ぶ、、、というのは、そもそもが、ビジュアル的にナンセンスだと、父、力説。

「良い子は、早寝早起きが基本だから、夜遅くまでサンタさんを待って、空飛ぶそりを目撃することは不可能だ。もし、その姿を見ている子供がいたとしたら、その子は疑い深い悪い子だからプレゼントはサンタさんからもらえない。大体、煙突からやってくるということは、日本のような家屋構造だと、そもそもがサンタさんのプレゼント対象外になるけれど、そんな不公平なことをサンタさんがゆるすはずがない。そんなわけで、パパがサンタクロース精神を受け継いで、君たちが欲しいであろうものをチョイスしてプレゼントしてあげるのだ。」
この説明は、私たちが小学校高学年の時の父の主張。
私たちの欲しいものではなく、ちょっと高価な天体望遠鏡や顕微鏡、昆虫標本セットにクラシックピアノのレコード全集、小倉百人一首など、家族皆で愉しめて、かつ父が欲しかったものがチョイスされていました。

やがて、パパ・サンタは息切れしてきたようで、高校生になった頃には、
「君たちはもう子供とはいえない年齢に達している。これからはサンタクロース精神を実践するのは、君たちの役目だ。というわけで、パパはサンタクロースさんと相談して引退することに決めた。新たなサンタさんを探すも、自分が誰かのサンタさんを目指すのも君たちの自由だ。メリークリスマス!」

サンタクロースは信じるけれど、それは「元祖」のみ。元祖がなければ発展もないわけですから。サンタクロースは4世紀の聖人なので、今生きているわけがないのです。だって人間ですもの。

厳しい寒さに震える国の人たちが、長く暗い夜を楽しく過ごすため、そして、冬の失業者対策として、グリーンランドや北欧のオジサンたちに宅配のバイト雇用を創出するため、子供たちに英語でサンタさんに手紙を書いてもらって世界各国の郵便宅配業務機関の収入をふやすため、サンタクロース精神は、市場経済に貢献し、おさない子供たちの想像力を膨らまし、恋人たちには愛の交歓を謳歌できるチャンスを与えてくれています。

その証拠に、セント・ニコラスという元祖ではなく、Saintの部分だけが愛称として残って、「サンタさん」と呼ばれているのです。

さて、屁理屈男の父ですが、最近は、弟のところにできた孫娘のために、サンタクロース業務を再開したようです。

あまりに珍妙なmongol父のサンタクロース伝説だけではいかがなものか、とウィキペディアで検索してみました。興味のある方はアクセスしてみてください。


父の説明もあながち的外れではなかったような気がします。