わたしの正吉君は、モンゴルと韓国の政府間協約による農牧業省派遣の研修・労働者として、チェジュ島に出稼ぎをしている。

今は、モンゴル軍が元寇の際に朝鮮半島に残していったモンゴル馬の子孫といわれる馬もいる人気の乗馬コースで、乗馬ガイドや記念写真をとるカメラマンなどが主な仕事。

朝5時半起床。6時出勤。8時半くらいに朝ごはんを食べて、夜7時過ぎまで仕事。出稼ぎ仲間のモンゴル人3人と職場が提供してくれた寮に暮らしている。月に2日の休日があり、1年以上継続して勤めると1ヶ月間、一時帰国が認められる。

仕事が忙しいと、会社がやっている食品加工工場の手伝いに回されて夜中の3時まで働き、それでも本業のために朝6時に出勤する。
そんな毎日。

朝から晩まで働いて、休日に遊びに行く、なんてこともなく、ただひたすら働いて、もらえる月給は百万ウォン。
大学に通う妹の学費やバス代などを仕送りし、残りを彼の夢のために自分の口座に送金している。
乗馬ガイドをしたときに旅行者からいただくチップや彼が撮った記念写真の売れ行きがよかったときにもらえるお小遣いで、たばこと国際電話のプリペイドカードを買う。

たまに、チェジュ島のほかの場所で働いているモンゴル人の友達と会ったりするけど、ほとんどは、モンゴルから送られてくるモンゴル相撲やコメディなどのDVDやレンタルビデオなんかを借りて映画を見るのが娯楽という日々。

「仕事が忙しくて疲れて寝ちゃうだけさ。忙しい方がいいんだ。なんにも考えられないくらいヘトヘトになって寝ちゃえば、すぐ朝が来る」

「ちっとも電話がないから、忙しいのかなぁ・・・とか思うんだけど、それでも3日くらい声が聞けないと、最初のうちは心配になって、そのうち腹が立ってくるんだ。声がきけないと、落ち着かなくなっちゃう。テレフォンカードを買いに行く暇もないから、こっちから電話もかけられないし。。。よかった。今日話せなかったら、あるいて30分のところにある公衆電話まで寮を抜け出していこうかと思ってたんだ。」

正吉君は、モンゴル国最北端の出身。家畜は少し残っているけれど、新天地をもとめて、ひとっこひとり知り合いのいないウランバートルに上京してきたのが4年前。
持ち前の明るさと誠実さで友達がどんどん増え、知り合いも増え、農牧業省の試験を受けて、正吉くんの出身の村では始めての出稼ぎ青年に選ばれ、韓国に行った。それがおととしの12月の話。生まれて初めて飛行機に乗り、外国に行った。韓国語も韓国についての知識もゼロ。

正吉君の夢は、また遊牧民に戻ること。それだけじゃない、もっともっと素敵な夢もあるけれど、これは企業秘密。

去年の12月、急に一時帰国が許されたので、3年ぶりくらいに私達は再会した。
電話で告白されて、ずっと電話だけではぐくんできた想いが単なるロマンチックな感情に流されているだけじゃないってことを、毎日毎日話をするうちに確認した。

お父さんに正吉くんの夢を話したら、「難しすぎるからやめておけ。地に足をつけて、自分達にできることを一歩一歩進めていくことがお前達の幸せだ」と言われちゃった。

そのときは私達は「はーい」って素直にお父さんの言いつけに従うふりをしたけれど、それでも私達は、「何十年かかっても、ちょっとずつ夢を実現しようね」って話し合っている。

一時帰国は3週間くらいで、私達が一緒にいられたのは10日間あまり。
ホントは正吉くんを説得して、出稼ぎなんていかなくていい!って引き止めたかった。

行かないで!ってぼろぼろないた。
つまんない映画のおばかな女みたいにボロボロ、ボロボロ泣きじゃくって、すがり付いてみたけれど、正吉くんは、目を真っ赤にしながらも、涙一粒こぼさずに、
「今行かなきゃ、僕は一生這い上がれない。僕は僕が稼いだお金で、自分の夢を実現したいんだ。君の会社の車なんか使わない。君のアパートでなんか暮らさない。君の稼いだお金で、僕の家族を養ってなんかもらいたくない。悔しいけど、僕の家族は貧乏だ。ずっとずっと貧乏だ。親戚だって貧乏だ。お金に困っていろんなものをあきらめてきた。君には想像もつかないくらい色んなものをあきらめてきた。でも僕はもうイヤなんだ。自分にお金がないからって、夢をあきらめるのはイヤなんだ。お金なんか要らないっていうのは、余裕があるから言えるんだ。僕の夢にはお金がかかる。だけど、モンゴルでいっくら働いたって、僕の学歴、僕の出自、僕のコネクション、僕の頭脳じゃ、出稼ぎでもらえる給料なんかに100年たったって無理なんだ。君にとっては大したことない金額でも、僕にとっては気が遠くなるくらいの大金だ。君が僕のためにって、お金を出してくれたって、いつか、そのことで僕らの関係が悪くなるかもしれないじゃないか!僕は愛している女の人からお金をもらって、そのお金で自分の夢を果たすなんて、死んでもイヤだ。君は僕を理解してくれていると思った。君のように教育を受けて、外国で働いて、いろんな知識も経験もある女性なら、僕がいわなくたってわかってくれるって信じてた。僕は僕の夢のために、今行かなきゃいけないんだ」

それまで、一度だって口論なんかせずに私達の将来を話し合って盛り上がっていたはずなのに、彼の出発の日にはじめての大喧嘩。

私は正吉くんを馬鹿にしたことなんかなかったつもりだったのに、やっぱり経済格差、みたいなものでの腹立たしさがあった。
二人の生活よりも、彼の妹、彼のお兄さんの娘、お父さん、彼の親戚などなどの生活のためのお金を稼ぐために、引き離されるっていうことに爆発しそうだった。

そんな風に、いっくらがんばって働いても、地方から出てきたなんのコネもない遊牧民の庶民には、モンゴル国でつかめるチャンスなんて、たかが知れてるっていう社会の現実も腹立たしかった。

お金があるからって、彼を引きとめようとする自分にも腹が立った。
これじゃ、モンゴル男を囲う馬鹿女みたいだ。
なんて、下品で低俗で傲慢な女なんだ、と正吉くんの言葉がバケツ一杯の氷水を頭のてっぺんから落とされたみたいにショックだった。

私はほんとに下卑た馬鹿女だった。

痙攣するくらいボロボロ泣きながら、醜くぐちゃぐちゃになった私を正吉くんはぎゅっとしてくれて、
「あと1年。あと1年がんばらせてください。1年で切り上げて、必ず帰ってくるから。あと1年辛抱してください。
 僕たちのこれから40年、50年一緒に暮らすために、これからの1年間をどうか辛抱してください」

正吉くんも震えていたけれど、男だから泣けなかったのだと悟った。

だから、私はいい子になって、べろべろになりながら、笑って
「いってらっしゃい、気をつけて」
そういって、正吉くんを見送った。


モンゴルから韓国政府に許可されて正規で派遣される研修・労働者は年間・約5万人。
その多くが、辺境地の遊牧民や村に定住する20代の若者達です。
新婚の奥さんや子供をおいて3年間の出稼ぎ。
人によっては、出稼ぎに出てから奥さんの妊娠が発覚し、生まれたばかりの子供を抱くこともないまま、3年間離れ離れの家族、ということもあります。

みんな、月に何度かかける国際電話での家族の声をたよりに、朝から晩まで働いています。

モンゴル国民の経済格差はどんどこ広がり、お金持ちは、銀行に預けている預金の利子だけでも毎月1万ドルくらいになる、という富裕層もあるし、氷点下30℃以下に冷え込むウランバートルで、家を持たないモンゴル人も1000人近くいます。

経済発展、鉱山開発で投資のチャンス、高級アパート建築ラッシュ、日産、ベンツ、BMW、トヨタなどの高級車を一括支払いで手に入れて、2-3年乗り回して買い換えるヤンエグもいれば、正吉くん達のように朝から晩まで馬車馬みたいに働いて、家族を支えている青年もいます。

私が彼と一緒に暮らすことで彼が本当に幸せになるのかわからないし、私だって、もっと他の幸せをさがす道が一杯あって、その方が楽なのかもしれないけれど、それでも、正吉くんが私の声を心の支えにしながら、朝から晩まで私が行った事のない韓国の高級リゾート地で這い蹲るように働いていることを思うと、また再会する日とそれから始まる私達の夢のために、ちょっとだけ我慢して、一生懸命、今、自分ができることをやって充実した毎日を生きていこう。そんな風に思うのです。