備忘録っぽいことなんですが、、、

自分がモンゴルと付き合って20年目の今年、この歳月の重みについて考えてみようと思い立った。

モンゴルという国に興味を持ち始めた頃は、「モンゴル人民共和国」という世界で2番目に社会主義革命をした国だった。
モンゴル語の文法用語がなんとなく理解できるようになった頃、天安門事件やソ連のグラスノスチ、ペレストロイカなどの民主化が始まった。
大手旅行代理店が組む7泊8日のパックツアー(ウランバートル-カラコルムーゴビ砂漠ーテレルジ)なんていう定番団体もので50万円以上もしていた頃、
モンゴル政府奨学金の留学生試験に受かる以外に20歳代でモンゴルに行ける可能性はなかった。

疾風怒濤のごとく「民主化」と「市場経済化」が始まった混乱のさなか、モンゴル語通訳として動員されるようになり、国費留学生となり、社会主義経済と共産主義思想を捨てたモンゴル国のぐちゃぐちゃな市場経済と民主化の波に翻弄された。
そして、気がついたら合弁企業などを立ち上げ、手探りで会社経営をしているうちに6年目を迎えた。

私は「新生・モンゴル国」と共に生きてきた。
時はモンゴルを愛する私のために動いているかのごとく、都合よく流れてきた。


どんどん変わっていくモンゴル。
新しい今のモンゴルを見るとき、こうした、10年前、20年前のモンゴルの姿を忘れてはいけない。
あの時のモンゴルが今のモンゴルにどうつながっているのか?


別に歴史の証言者として記録を残さなきゃいけない、なんて使命感があるわけでもない。
20年前から関わってきたから、モンゴルのことがわかってるなんてとてもじゃないけどいえない。
住めば住むほど、モンゴル人とつきあえばつきあうほど、モンゴルはどんどん訳がわからなくなり、自分から遠のいていくような気がしている。

「今、ここにいる、自分」の足元を確かめ、明日への一歩を踏み出すとき、これまでの自分の歩いてきた道とその周りの情況を振り返ることって大事なんじゃないかな。

モンゴルと日本の関係が大きなうねりの中で、変わっていこうとしている今日を生きているからこそ、「仮想敵国」から「アジアの星」に祭り上げられ、「ジャパンマネー」による庇護を期待される日本・・・

日本人だからって私をそんなククリでカテゴリーしないでくれー。


「皆がそうしているから」なんていう根拠のないパワーに翻弄されて、自分が目指す目標を見失わないように踏ん張ろう。

どんなにこの国の、あるいはモンゴルの、あるいは世界の未来が明るいといわれたって、自分の本能が鳴らす警鐘の音に耳をすまして、自分の心眼を見開いて、黎明期の今、かすかに光る灯火を見つけよう。

自分が歴史を生きた経験として持ち、明日への糧にする時、やっぱり自分自身の経験がホンモノじゃなければ自分の血となり肉とならない。

自分の心眼がホンモノであること。
自分の本能が研ぎ澄まされていること。

本気で生きて、生きて、生き抜こうとしていること。

今日の自分が明日の自分に続いていることと、昨日までの世界が明日まで続いていること。
その意味を、いろんな見方をしながら考えていくこと。

そういう思考回路がこれから大事になってくるんじゃないかな。

えらそうなことをいうけれど、

悪いけど、私は自分のホンモノな本質には自信があるんだ。