モンゴルで旅行と取材のコーディネート会社を起業し、モンゴル全土をかけまわり、ディープなモンゴルを満喫する生活・・・それが私の理想の人生でした。

去年の2月3日に突然かかってきたニコニコ坊やからの国際電話のプロポーズから10ヶ月。
私の人生目標の大幅な軌道修正が始まりました。

これまで、一緒に取材にいったスタッフの方々の口コミ宣伝活動のおかげで、起業以来、テレビ取材のコーディネートのお仕事をいいペースでいただけています。

TBSの「世界ふしぎ発見!」
BSジャパンの特別番組
「しっとこ」(世界の朝ごはんコーナー)
テレビ東京の「カンブリア宮殿」などなど、会社としてもやりがいのある仕事が、モンゴル帝国建国800周年記念特需によって、がんがん入ってきて、睡眠時間をけずりにけずって、実に地球約1周分も走り回りました。

テレビカメラとブーム、このそばに立てるだけで、私のアドレナリンやドーパミンがあふれ出て、馬車馬のように働く快感と情熱が燃え上がります。

やらせ、予算不足による妥協、取材リサーチ不足、、、

もちろん、昨今のテレビ業界は常に理想どおりの仕事ができるわけではありません。
でも、自分達の誠心誠意、クライアントのご要望を実現するために全力を尽くし、空港でお見送りするときは、がしっと固い握手を交わし、日本に帰れば美味しいご馳走、美味しいお酒で楽しく盛り上がり、次の企画を考えていく、というネットワークが広がっている、というのは、やはり自分達の仕事を高評価していただけているんだ、と素直に受け止めて、また次は、もっともっとがんばろう、という気持ちになる。

これぞ、プロの醍醐味!

なのに、なのに、どうして私は、素朴な遊牧民を目指すことになるのだろう・・・

正吉君、教えて!


なーんつって。
正吉君は、別に私に「遊牧民になってくれ」なんて一言も頼んでいません。
ただ「僕は、自分の人生を切り開くためのお金を必死でためる。妹をちゃんと大学卒業まで面倒見る。父さんの老後の面倒を見る。そして、家畜を買い戻して、また遊牧を始めるんだ。これは、絶対、僕が自分で稼いだ金で、自分でやらなきゃだめなんだ。僕の兄弟姉妹も親戚もサポートしてくれるよ。」といっているだけです。

どうやら、ウランバートルの近くに、めぼしい土地を見つけたらしいのですが・・・

「まぁ、気長に取り組むよ。でも、絶対、僕は夢を実現するんだ。」
とのんびりしつつも、きっぱりしていて、1度決めたら、どこまでも突き進むのが男の子です。

悔しいことに、私は戦力外。ぜーんぜん、労働力として期待されていません。

でも、彼が夢見る遊牧生活というのが、ほんと、ロマンあふれ、究極のエコライフ、LOHAS、自給自足etc.・・・
モンゴルだからこそ実現可能と思われる、ほんとに素敵な暮らしなのです。

本当にできるのかどうか・・・なんて彼はあんまり計画的に考えてはいないでしょう。
でも、正吉君は、これまでも、ひたむきな情熱とたくましさで、自分の目標を次々にクリアしているのです。
私をおとす、ということも含め。

この正吉君はいったいどんな人なのか?
いろいろ書いていますが、まぁ、馴れ初めみたいなもの、もあると興味を持つ人もいるかもね。
恋愛ネタって、しょせん、他人事だし、無責任にのぞき趣味で楽しめる話題ですものね。

私自身、先月彼に会うまで、ほんとにこの人を愛しているのかどうか、、、確信がもてなかったくらいだから、今まで、誰も私が恋をしている、なんて想像していなかったことと思います。

その経緯といえば・・・

まずは自分のプロフィールから。
私は言語文化研究という分野で、なんちゃって学術修士号をとってます。
専門は、地域研究。
その土地の人々の経済活動、生業やら人間関係やらを密着調査して、自然と人間の関わりとか、社会構造なんかを分析考察するというなにやらえらそーな研究をしていました。
でも、大学院の研究テーマにした場所までたどり着くだけでも、莫大な費用がかかるため、とても学生一人の力では金銭的にきびしー!と気づき、そのまた前年に3ヶ月間モンゴルでドキュメンタリー映画を一緒に作っていた撮影部の人と一緒に、テレビ局に特別番組の企画として売り込むことにしました。そのとき、この企画に興味を持ってくださったのが、大物俳優・西田敏行さんです。

西田さんとは、足掛け2年のお付き合いとなりました。
西田さんの粋なはからいで、取材に行く前からスタッフの関係性を深め、乗馬初心者の技術スタッフが安全にロケにのぞめるように、と小淵沢の乗馬クラブで乗馬訓練を受けさせてもらったり、ウェスタン式馬具一式いただいたり、いきつけのカレー屋さんでご馳走になったりしました。

当初の予定よりもロケ期間が大幅にのび、私はのべ8ヶ月を現地で過ごし、撮影自体も2年がかり、となりました。

足掛け2年の取材で夏は、馬で3日かかる場所までロケ隊と100kg以上の機材を運ぶために、地元の遊牧民(狩猟兼業)から馬を借りたり、乗馬ガイドをお願いしました。
そのとき、取材班にくっついてきたうちの1人が今現在、私とラブラブ中の正吉少年です。
取材当時も、研究調査中も、その後、何度かあったテレビや雑誌の取材の時も、いつも彼は私に同行してくれていたけれど、他にもそういう男の子達がいたから、その他大勢の仲良し君っていう感じで、私はぜーんぜん、彼の気持ちに気づくこともありませんでした。
いっつも笑顔でとても感じがよく、テレビのスタッフの手伝いも積極的にやっていた彼がニコニコ坊やの愛称でスタッフに可愛がられていたし、私にとっても、一緒に森の中や雪の中を探索するときの頼もしいガイドでした。


西田敏行さんがレポーターをつとめたテレビ番組が無事放映されてからも私の研究は続き、その後2年間は、遊牧と狩猟にどっぷりと浸る現地人化していました。

西田さんはもちろん、取材スタッフの皆さんとの交流は10年たった今でも続いています。

10年以上、仕事以外でも続く交流関係が築けている、ということ、そして、取材対象者だった人たちにとっても、いまだに楽しかった思い出として語られている、というテレビ番組は、私の中ではこの西田作品がベストです。

テレビ取材からスタートした、私の現地調査は、充実しつつも、難航し、ちっとも書き進められませんでした。遊牧も狩猟も想像以上に奥が深く、おまけにスピリチュアルな部分もあったりで、結局、小難しい理論で文章を書いて、ほんの数年とか数ヶ月とかの調査で論文にまとめて、ある程度の結論を導き出す・・・という作業が自分にはむいてないなー!と結局、研究職はあきらめました。

そもそも、修士論文を提出する4日前に、バックアップしようとコンピューターの電源を入れた途端に、ショートして、データがすべて消失、プリントアウトもない!!という大ハプニングで、卒業すら危ぶまれた私です。
普通に使って、普通にフロッピーディスクをコンピューターに差し込んで、そして、ハードディスクを燃やす。
かなしい静電気体質のせいでした。よって提出時は暫定でその後、必死に書き直し、なんちゃって論文でお茶をにごし、「また改めて書き直します」と先生に土下座してから、もう5年がたってしまいました。
指導教官にいたっては、すでにご退官なさっています。やれやれ、いやなこと、思い出しちゃったな。

まぁ、とにかく、こういうデータ管理もままならない人に学生生活は向きません。

とはいえ、大学院生活2年間で学んだ調査方法、持ち前の集中力と好奇心をもって、いろいろな視点で物事をとらえて思考し、メッセージを発するフィールドワーカーを目指したい、と研究職に見切りをつけた私は次なる目標にむかって進みました。

学生時代に学術調査、新聞記者の取材サポート、テレビ取材のリサーチやコーディネート、映画の制作、商談、ODA事業などいろんな分野で通訳や翻訳、コーディネートをしてきた中で、もっとも楽しかったのは、やっぱり西田敏行さんとのテレビの仕事でした。

番組を企画し、取材リサーチをかけ、手配をし、取材に行って、そのあと編集作業をして、仕上げて、オンエアされる・・・番組制作のやりがいは、単なる通訳としての枠組みをとっぱらって、いろんな世界をみてみたい、と思わせるに十分でした。

テレビ業界に演出と制作の修行に出ること3年間。モンゴル以外のいろいろな国(もっぱら辺境地)で番組作りの日々でした。この期間は筆舌に尽くしがたいほど、精神的にも肉体的にもいためつけられましたが、今となってはよい思い出であり、よい経験でした。
ずっとモンゴルにどっぷりだったら、今のような活動はできていなかったと思うし。

学者にせよ取材者にせよ、結局は、「取材対象者との距離をある程度保って、客観的な視点を大事に」というのがスタンスなわけで、大学院で学んだ、調査研究や考察、論理だてるなどの訓練は、テレビ制作でも大いに活用できるわけで、さらには、大学1年生からやっていた通訳という仕事も制作・取材・調査などにも役立っていたので、自分が進んだ道は間違っていなかったわけです。

取材対象となったアマゾンのジャングルに住むヤノマミ族の狩人も、チベット高原のチベット遊牧民も、パタゴニアの羊飼いも、結局、原点はモンゴルと一緒なんだなー、自然と共に暮らす人々の原点って同じなんだー、と考えるにいたり、モンゴルが恋しくて、恋しくて、たまらなくなってしまったわけです。

地球上のどんなところにいても、モンゴルの人たちのこと、修論のための調査に付き合ってくれたタイガに暮らすツァータンたちのことを忘れた日は一日もありませんでした。
どんなときでも、連絡が一切取れなくても、心でつながっている故郷がある、そんな感じでした。

3年間の制作会社での日々に終止符をうち、フリーのTVディレクターになって活動し、それからまた、モンゴルに拠点を移して、私にできることはなんでもやりますぜ、というモンゴルよろづ屋となって現在にいたっております。

適性という意味では、私はほんとに子供の頃から自分の適材適所を見つけて生きてきたなーとちょっと自分をほめてやりたい。

ここまでは、順風満帆とは言いがたくとも、ルートは間違っていなかった。


モンゴルで起業し、JICAの環境調査のために再び、ツァータンのみんなと再会したのが2002年の夏。
正吉君は、草原での遊牧生活から、村に定住し、狩猟と街への行商で暮らすようになっていました。
ちょっと背が伸び、相変わらずニコニコ坊や。でも母親を病気でなくし、田舎の閉塞感に悩んだりもしているようでした。できることをがむしゃらにやって、家族の生計をたてることに必死、という感じでした。

私が「ウランバートルで会社を起業した」と渡した名刺を「ふーん」と興味なさげにみて、くしゃっと懐にしまってた正吉君。

その正吉君が再会から数ヵ月後に、まさかウランバートルのオフィスに現れるとはおもいもよりませんでした。
「自動車の免許を取ったから、僕をドライバーに雇ってよ」とか、
「あなたの手伝いがしたい。なんでも言いつけてください」とか、
神出鬼没な正吉君は、ほんと、不思議君でした。

田舎から出てきたばかりの、しかもそれほど裕福ではない彼に、外国人の旅行者を託すなんて、冗談じゃない!

そんな感じで、てきとーにあしらっていました。
ごめんね、正吉君。


姿をあらわさないときは、電話がかかってくるけど、用件は不明。
「元気?僕は元気。今は車の修理をやってるんだー」

「元気?仕事はうまくいってますか?この前、僕が車を運転してフブスグルまで行ったんだよ」

「こんにちは。おじさんのアパートに居候することになったんだ」

などなど、近況報告のみ。こいつ、私に何を望んでいるんだろう?

はてなマークだらけの正吉君の行動。

そして、挙げ句の果てには、オフィスにやってきた途端に、ソートンに吠え掛かられて、
「一万トゥグルグ貸してください。ここまでくるのにタクシー代がなくなっちゃって」

んで、貸しましたよ、1万トゥグルグ。貸すといっても、どうせ戻ってこないからあげるつもりで。
金の切れ目が縁の切れ目。バイバイ正吉君、、、と内心思っていました。

なーんで、勝手に用事もないのにオフィスに訪れた人にタクシー代をあげなきゃならんのよ?

その後、携帯電話に送られてくるなぞの恋の詩の数々。差出人不明。
ほとんどストーカーです。差出人不明になっていたのは、私が知らないいろいろな人の携帯からメッセージを送っていて、しかも自分の名前を書き忘れていたから。うっかりはちべーなのです。

数々のなぞめいた正吉君の行動の意図がわかったのが、去年の2月。

去年は、もろもろあって2回ほど長期の一時帰国をしていたのですが、ちょうどモンゴル復帰した日に、私の携帯に正吉君から電話がかかってきました。いつもの調子で・・・

「元気?なんで何度も電話しても出ないの?今、僕は韓国にいるんだよー」

・・・

なんで、韓国?

「農牧省の労働者派遣の試験に受かって12月から韓国で働いているんだ。ここでしっかり稼ぐからもう生活のお金の心配はないよ」

それはようございました。
私になんの関係があるのかなー?

「だから安心して嫁いできなさい。僕は一生かけて君を幸せにするからね」

突然過ぎます。なんですか?この脈絡のなさは。なんの冗談だむかっ

「君も女なんだから、僕の気持ち、気づいてるくせに。大好きだよ。愛してるよー!!!
 はぁ、すっきりしたぁ虹 もう5年間も伝えたかったんだー、僕の気持ち。」

あのー、で、どうしてあなたは韓国にいるんでしょうか?
どうやったら、私があなたの気持ちに気づけるというのでしょう?
だって、やりとりは上記のごとく。
どう考えたって、モンゴル人にたかられているおばかな日本人、、、って感じでしょ?

「最後に1万トゥグルグ借りたでしょ?あの日、ほんとはプロポーズするつもりで、財布にお金もいっぱい持ってたんだけど、犬にほえられたら頭の中がかーっとなって、思わずあんなこと言っちゃったんだ。借金の催促の電話がかかってくると思って、ずっと待ってたのに、どうして催促してくれないのさ!ひどいよ」

ひどいのはどっちだろう?
なぜプロポーズが借金に変わるのか?
そもそも、プロポーズという結婚を前提にした言葉を発するような関係に発展した覚えなどなかったのに???

この辺は、いまだに謎なのですが、正吉君が言うには、
「むくつけき男だらけのテレビ取材で、いつもニコニコ笑って、ウィスキーが凍るくらい寒いテントでも、馬が胸までぬかるみに使って暴れたときでも、全然、あわてず不平も洩らさず元気でいた丈夫さに惚れた」そうです。

出稼ぎでひとりぼっちで初めての外国にいて、寂しいんだろうし、まぁ電話でお話するくらいは害もなかろう・・・どうせ、そのうち飽きてあきらめるだろう、くらいの軽い気持ちで、
「まぁ、出稼ぎがんばって、異国の文化やビジネスのやり方でも学んでチョ。体に気をつけてねー。また電話頂戴ねー」なんて愛想を振りまいておいた。。。

でも、正吉君は、ほんとに、毎日、毎日、毎日、毎日・・・愛の短信メッセージを送り続けてくるのでした。
その辺、「北の国から’98」で蛍ちゃんに花を贈り、プロポーズをし続けた正吉君と似たところがあります。

超多忙な日々でも、正吉君のいつも明るい「元気?体を大切にしないとだめだよ!無理しないで」とか「君の声が聞けた日は、ほんとに幸せでよく眠れるんだー」とかいう声を聞くだけで、私もとても幸せで安心できる、がんばろーっていう気になるのでした。

自分が正吉君のことを好きなんだ、と気づいたのは、日本人留学生の友達と一緒にいるときにたまたまかかってきた正吉君の電話に出たあと、友達に「誰と話してたんですか?いつになく優しい声で話しちゃって!」と指摘されたとき。

そうなのです。仕事に追われて孤軍奮闘で、思うようには働いてくれないモンゴル人にかっかしていた私のモンゴル語はとても口調がきつく、早口だったのです。

正吉君と話すたびに、心もほっこりして、誰かに愛されることで、自分が誰かを愛していると思うことでこんなにも自分を強く、優しく、幸せになれる。そして、その気持ちはどんどん強くなっていて、自分から電話をかけて声を聞きたい。音信がないとさびしくて眠れない、そんな自分に気づいちゃったのです。

これは自分ひとりだったら、絶対に認めることのなかった気持ちだな。
そういう意味では、スルドイ日本女性の一言が決めてだったのかも。

12月に正吉君が急にモンゴルに戻ってくることになったとき、私はすぐに、モンゴルに戻るためのチケット手配の電話をかけてました。

3年間も顔をあわせることのなかった正吉君が、ウランバートルのチンギスハーン空港で出迎えてくれたときはほんとにびっくりしたし、胸がときめきました。憧れの先輩に初めて声をかけられた中学生みたいに震えました。

今まで結婚してなくてよかったなー。

3年間のブランクとか、電話だけだった恋愛期間だとか、そんなこと全然関係なく、正吉君とこれから暮らすんだ、という実感がわいた瞬間でした。

正吉君の描く将来の夢・・・それはそれは、正吉君らしくて、ほんとに素敵です。

私がモンゴルと関わり始めたときにあこがれて、でも、厳しい遊牧生活の実態にあきらめていた生活。

おんなじ夢を何年も別々に見ていたんだね。


現実の私に適職のコーディネーターという仕事。
ウランバートルや日本のしがらみ。
どんどん高騰する物価・・・
問題は山積み。

なのに、二人でいるだけで私も正吉君も強くなれる、気がする。
二人でならできる。根拠のない自信に満ち溢れてる。

人生の伴侶を見つけたとき、お互いに「相手に合わせる」必要が出てきます。
二人三脚な人生がほんとに自分にとってベストな選択なのか?

充実した仕事環境、恵まれた日本の生活、両親の老後の面倒を見る責任・・・
いろんな日本人のしがらみを考えると、未だ浮かれているばかりじゃだめだって戒める自分がいる。

人生、山あり谷あり。

正吉君は、ちっとも自分の将来の展望がぶれるってことがないそうです。
離れていても全然不安にならないそうです。

「だって、これから40年も50年も一緒にいるんだから。今の1,2年離れていたって平気でしょ。今度あったら、もう絶対離れないって決めたんだ。そのためにも今、一生懸命稼がなきゃって思ってる。大好きだよー」

この単純明快、天真爛漫に人を愛せる正吉君と一緒なら、厳しい遊牧生活も、大好きな「北の国から」シリーズみたいに、悲しくも優しく、楽しく強く生きられるかな。