本当に自分から好きになった人と、その一線を越えようとすると、なんか自分がぐちゃぐちゃになっちゃう。心臓バクバクして、多分、向こうもいろいろと気を使ってくれてて、何気ない会話やしぐさがかぶっちゃってドギマギして・・・。そのあいまいな時期が一番好き。

モンゴル人は、その辺なんだかとても野生的な気がします。あんまりこういうお題で悩まなさそう。

モンゴル語で、夫は「ヌフル」、妻は「エヒネル」(またはアブガイ」)って会話集とかには書いてあるんだけれど、モンゴル人の若者達に聞くと、Hをした段階で、カレシは「ヌフル」、カノジョは「アブガイ」って意識になるらしい。でもこれは、H関係を長続きさせようっていう意志がある場合に限定。
身体=心がモンゴル人の場合、連動しているんですね。
それが瞬間的でも「愛」を感じたら、本気で口説いてくる。。。
ある意味、すっごい刹那的に「恋愛」がスパークしているって感じ。
口説いている瞬間は、彼らは絶対本気で恋してる。

雰囲気でセックスにあびせたおす、というのはモンゴル人の得意技、、、のような気がする。その場では愛情がバーストしちゃってるんだろうなぁ。。。
「愛妻家」「貞淑な妻」であっても、その場の雰囲気は友達・恋人の境界線をあっさりとっぱらってしまってるみたい。すごいな。
でも、あとくされを残してなさそうなところがまたすごい。

万が一、刹那な関係で「子供ができちゃった!」となっても、大体、女の子は子供を産むことを選ぶし、世間的にも日本ほど「できちゃったんですって」と眉をひそめることもない。子供の「父親」も大体、その事実を受け入れる。
「子供が出来たんだ!やったー、じゃ結婚だね」という流れ。
むしろ、子供が出来て、3歳くらいになってやっと、親戚一同を招待しての披露宴する、ということもモンゴルでは珍しくない。

もちろん、ウランバートルなどでは、「中絶」とか「子供の認知にDNA」だの「養育費払えー」だのの問題はないわけじゃないけれど。

この国にいると、自分の「好き」が「情」なのか「恋」なのか「愛」なのかって、あんまり難しく考えなくていいんじゃなーいって気になってきちゃう。

モンゴル人のそういう「悩まない」「セックスをタブー視しない」というのはなんか潔くてかっこいい気がする。一応、性関係のタブーはゴマンとあるけれど、それもそういうタブーを作らないと、もう人間関係が「ビバリーヒルズ青春白書」事態になっちゃうって経験的にわかってたからかな。

私には、自分的には、「友達以上恋人未満」な男性、多いほうだと思う。
別に特別意識しなきゃいけないとか後ろめたいって関係じゃない。何気ない一言やしぐさにドキドキしながら、自然に一緒にいられる。悩みを聞いてもらったり、聞いていたり。
大切な異性がたくさんいるから、自分では独りにしぼれないぞ。

それに、どんなに魅力的で自分に愛情をしめしてくれても、「妻帯者」は「恋人」にしてはいけない、と自分の中にかっきり線がひかれてるから、最近は絞り込む、というよりは、壁の手前にたまってる男友達がいっぱいだ。
人の心はとまらない、っていうけれど、この自分の中の絶対タブー地帯は、幼い頃、祖母に「人のものはとったらとられるよ。そういう覚悟で家庭のある人とはつきあわないとね」と刷り込まれていたからかも?
天国で悠々自適であろうマイペースだったおばあちゃま、3歳児にそういう複雑な人間関係を教え込むなんて・・・でも今でもその教訓は実践しております。ご安心を!

モンゴルで私達がやっている旅は、テントや野宿など、お客様ともかなり密着になってしまうことが多いので、ガイドスタッフに、この一線のカルチャーギャップの大きな違いとうかつに「手を出すなぁ」という教育徹底が一番大変、な気がしています。

初めてのモンゴル、というお客様には絶対にヨコシマな想いをぶつけてはいけない!「誘われてるのかなぁ」と思っても、日本人的には単なる「感謝」と「あこがれ」だったりするから、肉体で愛情を示してはいけない!
ただし、もし2回目にまたモンゴルを訪れたときに、お互いの心が燃え上がってたら、その時は応援してあげちゃうな、私。

ちなみに自分にとって、異性で仲良しはみんなこの境界線上にいます。
だってせっかくの異性なのに「色気」がまったく存在しないのってもったいないじゃない。それに、「色気」あるオトモダチって、すごい頼もしい。
今までもこれからも、ずっとずっと人生を共に過ごす時間を持っていられる。
これって素敵じゃない?

なぁんていってるから、結婚、結婚って自分も周囲もいうわりに、オンリーワンが多すぎるので、相手がキッパリと意思表明してくれないと、いつまでたってもこの心地よい混浴温泉状態から出られないのかな?