こんばんわ、菜の花バファローズです。
今日は1月17日…。阪神・淡路大震災から15年が経ちました。
戦後最悪の大震災といわれていますが、
あの日に大好きなおじいちゃんを亡くしました。
震災の起こる2か月前、ワイはおかん・おとん・弟の4人で
明石のおじいちゃんの家へ遊びにいってました。
おじいちゃんはニコニコしながらたくさん遊んでくれ、
お菓子もたくさん買ってくれました。
いとこと一緒に鉄道博物館に行ったとき、おじいちゃんは
ずっとカメラを回していとことうちの兄弟を撮影してました。
お家でごはんを食べるとき、おじいちゃんのお膝で
食べておとんに怒られましたが、
おじいちゃんは「ここはKOCHIの特等席だからいいよ」と
甘えさせてくれました。
でも、あんなに楽しい旅行が突然2ヶ月後に
あんな惨事を迎えるとは思いもしませんでした。
震災から数時間後、神奈川の実家に電話が入り
おかんが受話器を取ると
「こっちは全員無事だ。でも、すごく寒い…」
と言って無事を報告してくれました。
おかんも今までに見せたことのない涙を流しながら喜んで
数日後に明石に向かうと言い、おとんとおかんの2人で
急いで向かいました。
でも、この電話がおじいちゃんの生の最後の声でした・・・
実は、震災直後におじいちゃんの頭に大きな電子機材が直撃していたのです。
電話をした後すぐに倒れてしまい、病院で手当てをしていたのですが、
震災の影響でうまくいかず、おかんが着いた時には
脳挫傷で亡くなっていました。
この流れだけでも、ものすごく辛いのですが、
もっとつらかったのはお通夜です。
あの震災で多くの人が犠牲になりました。
そのため、火葬するにも膨大な時間がかかってしまうので、
おじいちゃんを火葬するまでおかんは
おじいちゃんの遺体の隣で寝ていたそうです。
あの日、ワイはたくさんの思い出と人を失いました。
でも、あの震災の後にハイパーレスキュー隊などの防災組織や
テレビ・ラジオ放送などの安全確認放送が採用されたのは
すごく嬉しかったです。
新潟県中越沖地震、宮城県沖地震のような大きな地震で
たくさん活躍しました。
中には、大きな地震にも関わらず、死者を1人も
出さなかったことがあります。
亡くなった方のご冥福を祈ると共に、
私たちがこの大きな地震を知らない子どもたちに
これからも伝えていこうと私はここに誓います。
2010.1.17
菜の花BS