韓国モンダンヨンピルHPにミョンジュン監督がアップいたしました。

「子どもたちよこれがウリハッキョだ」

ミョンジュン監督の気持ちが文に込められています。

ご一読ください。

子どもたちよこれがウリハッキョだ-ホ・ナムギ詩人


1947年3月に開校した川口朝鮮学校の校長ホ・ナムギ先生の詩です。

解放後36年の植民地統治下から放たれた私たち民衆は取り戻した自由に喜びました。当然海の向こうの日本で住んでいた240万の同胞たちも「祖国」に戻ってくることができるという喜びにウリマルと文字を知らなかった子どもたちのために「国語講習所」をつくります。 46年の調査によると、わずか1年足らずで日本全国に500以上の国語講習所があったといいます。これが現在の「朝鮮学校」の母体となります。

解放直後の急激な左右イデオロギー対立、日本を占領した連合司令部(GHQ)の帰還条件、朝鮮戦争など帰りたくても帰れなかった同胞60万人が残りました。そして、彼らは再び祖国に帰えれず、2世、3世、今は4・5世になりました。 49年には、全国の朝鮮学校が日本政府によって完全に閉鎖されている深刻な弾圧も受けました。その弾圧に抵抗し、少年が銃で撃たれ死亡しました。多くの人が刑務所にも行って、学校を守るために命を捧げて闘争しました。

その守ってきた学校は60年初めに160以上ありました。

2014年現在、日本には67個の朝鮮学校があります。そして、日本のすべての外国人高校、一般の高等学校に適用される「高校授業料無償化」政策から唯一除外されています。また、各市、県などの「知事」が朝鮮学校に支援すべきいくらでもない教育補助金さえ凍結させて、メディアでは連日朝鮮学校を悪く責め立て、右翼は週末ごとに学校周辺の同胞が住んでいる町に集まり、 「朝鮮人殺そう」というスローガンを叫んでいます。 1923年関東大地震時に触発された「関東大虐殺」の姿が100年が過ぎた今、再現されています。

この時代を生きていく「ウリハッキョ」の子どもたち、過去70年、私たちは知らないまま、生きるのに忙しかったのです。

もはやこれは、その子どもたち、同胞を寂しくしてはなりません。

世界が苦しく悲しい今日、ウリハッキョの子どもたちをあまりにも見たいと思います。

「子どもたちよこれがウリハッキョだ」詩-ホ・ナムギ

子どもたちよ
これが ウリハッキョだ、

校舎はたとえみすぼらしく、
教室はたった一つしかなく、
机は
君たち 身をよせると
キーッと不気味な音を立て
いまにもつぶれてしまいそうになり、
窓という窓には
窓ガラス一枚ろくにいれられなくて
長い冬は
肌をさく北風で
君たちのさくらんぼのような頬を
あおざませ、

そして雨の日には雨が、
雪の日には雪が、
そして一九四八年 春三月には
ときならぬ嵐がふきすさび、
この窓をたたき、
君たちの本をぬらし、
頬をうち、
あげくのはては
学ぶ自由まで奪いあげようとし、

見渡せば
百が百
何一つ満足なもののない
ウリハッキョだ、

だが 子どもたちよ、
君たちは
ニホンノガッコウヨリ
イイデス、と
つたない朝鮮語で
私たちたちもこれから
日本の学校より何倍も立派な学校を
建てることができるじゃないかと
かえって
この涙もろい先生をなぐさめ、

そして また きょうも
カバンを背負い
元気一ぱい
学校に来るのだ、

子どもたちよ、
これが ウリハッキョだ、
校舎はたとえ貧弱で
おはなしにならず、
大きなすべり台一つ、
ぶらんこ一つそなえられなくて
君たちの遊び場もない
見すぼらしい学校ではあるけれど、

ああ 子どもたちよ、
これが ただ一つ
祖国を離れた遠い異国で生れ
異郷で育った君たちを
ふたたび祖国のふところにかえす
ウリハッキョだ、

ああ
おさない 君たちよ、
同志たちよ。

子どもたちよこれがウリハッキョだ-イ・ジサン作曲、ホ・ナムギ作詞、イ・ジサン、アン・チファン歌