ミョンジュン監督の広島学区訪問記、四国編の後篇です。



翻訳しながらなぜか目頭が熱くなりました。



ウリハッキョがあります。



ウリハッキョを守っています。



そこには可愛い未来があります。



ご一読下さい。



広島ウリハッキョ訪問記ー四国後篇









写真4 四国ウリハッキョの運動会。数は少ないが、大きな学校と同様に、運動会で必ず登場する子どもたちの民族の踊りとチャンダン。





私が10年前にTV画面で出会った四国ウリハッキョは思ったより広かった。小さな学校というイメージが強かったのに。山道をまわりながら登ったウリハッキョは、東北朝鮮学校ほどではないが山の中腹に堂々たる広い敷地に位置していた。この学校に現在通っている生徒は20人。初級部1年生が1人、4年生も1人、各学年が3人くらい。中級部1年生は一人もいなく、卒業を控えた最も上の中3は、すべての男子生徒たちだ。








写真5 四国朝鮮学校の運動場と校舎。正面の校舎裏側が寮の建物である。運動場では、初級部低学年の体育の時間。








写真6 建物側から見た運動場と正門だ。高い山ではないが、ある町の小高い丘に位置するウリハッキョである。古い学校だが、先生と子どもたちが植えた花が見栄えが良い。校庭の木で、ここが日本の南に位置していることを知ることができる。四国地方のたった一つのウリハッキョ。



岡山を離れて3時間を走ってきたので、まずはお腹がすいていた。学校はちょうど昼休み。寮がある学校だから、学校給食があることを知っていてキム·ヨンウン広島校長、横山先生と一緒にお世話になることにした。学校給食。実際、韓国も同じだが、日本のすべての学校で行われているが、朝鮮学校は事情が少し異なる。政府の支援もなく、生徒数が日々減るにつれ、学校給食はなかなか想像し難い。ただし、全国67の朝鮮学校の内、寮がある学校では生徒数に応じて給食が行われる。四国の場合には、生徒数が少ないので寮生と一緒に、全校生徒が一緒に給食をする。しかし、ほとんどの朝鮮学校では、昼食時に給食風景ではなく、お弁当風景が見られる。生徒数が少なくとも多くても、子どものお弁当を包むのはお母さんたち。 1年中、いや、子どもがウリハッキョに通う間、お弁当を作るのは簡単ではないだろう。朝鮮学校がまだ温かい姿を持ち続けているいくつかの理由の一つでもある。毎日お弁当を持たせる母、一週間に一度、あるいは二週間に一度、学校に行って共同の給食を準備してくれる母親、キムチとチヂミを日本の人々に売って、その利益で学校の黒板を替えて、古い机を替えている大人たち。週末には、万事を押しのけ体張って学校に出て、学校補修をしてくれるお父さん。朝鮮学校の子どもたちに「目上の人を敬え」とあえて強調する必要がない理由が、いつもそばで「学校」のために頑張る両親、先生たちの苦労を見ているからだ。






写真6 四国ウリハッキョ食堂の風景。食器洗い当番は中級生、この前まで四国校長だったキム·ヨンウン先生と真剣に何かを話している初級生。ご飯をゆっくり食べる学生の隣で子どもが最後まで食べ終わるまで待ってくれる先生。そして、この学校の姉妹の学生。リリャンとチェリャン。





食事の時間が終わり授業を見て回った。再び寮の食堂の外に出たら、その横には非常に古い建物がどんと建っていた。寮増築を契機に、それから使われていない昔の寮。かつて70人の子どもたちが騒いで生活しているた建物は、今は倉庫として使われているという。なぜこのように昔の寮をそのまま残しておくのだろうか?理由を聞く必要もなかった。他の朝鮮学校でもよく見ることができた風景だった。まさに財政上の問題からである。一言で言えば、撤去費用がないからだ。ある学校は、そのように残されている建物をよく掃除して、学校の歴史資料館として使用しますが、ますます少なくなる学生数とそれに応じて空に行くの教室を考えると、それもおそらく空間の無駄ではないのか。学校関係者が、なぜこのような考えができないのか?彼らもそれなりに多くの悩みがあったのだ。しかし、1円でもできたら、それで教材を用意し、先生たちの給料を与えることに忙しい朝鮮学校の現実を考えると、その古い寮をなぜ撤去せずに放置するのか反問する勇気がどうしても出ない。一時は、華やかでキラキラと輝いた古い寮。すぐ横の立派な新しい寮が建設され、現在はそこから少数の寮生と未婚の若い先生が家族のように過ごしている。









写真7 四国の昔の寮。今、古い倉庫のような姿だが、ずっと昔には、ここに70人の学生が住んでいた





生徒数20人の非常に小さな学校であっても学年ごとに先生がおり、自分の学年の教室が堂々ある。しかし、四国の、他の朝鮮学校と若干異なる特徴は、他の所よりも、教室の大きさが小さいという感じだった。その小さな教室を3~4人1クラスになって生活するので、小さく見えてもちょうど良く見える感じ。慎重に教室に入ってみると恥ずかしがる子どもたち。やはり都心の学生と違う姿です。初めての北海道朝鮮学校の子どもたちに会ったとき、私の名前を呼んでくれて近づくと、自分たち同士でヒソヒソ笑って逃げていった子どもたちは、一ヶ月後、最初に駆けつけて抱き付いてきた子どもだった。情緒深い絆が続く子どもだった。四国の子どもに会ったとき、正反対の北海道の地域の子どもたちが思い浮かんだのは多分当然だったかもしれない。






写真8 中級部の教室。生徒四人が授業している。男子生徒3人、女子生徒1人。





初級部6年生の教室では、国語の授業の最中。 「第2の私の​​故郷。 - 内容~日本で生まれ育った私には故郷について聞かせてくれましたが、手術した後、故郷の話をできない祖父を見て胸を痛めている私 」簡単に黒板に書かれたウリマル。チマチョゴリを着て、その上にカーディガンをかけた若い女性教員が講義をする。子どもは熱心に何かを書き留める。そのチマチョゴリがなければ、我が国の通常の小さな教室と変わりない。教科書の詳細を知ることができなかったが、1世の同胞と故郷にまつわるエピソードの中で覚えていることがある。非常に若い時に日本に渡り、韓国語を忘れてしまって一生を日本語で生きてきた、ある1世が認知症にかかって病院に入院したという。しかし、認知症にかかったその1世の同胞を日本の病院の誰も介護することができなかったという。自分の意思を話すのだが全く聞き取れなかったのだ。調べると、その1世の同胞は​​、認知症にかかると、日本の言葉を完全に忘れてしまってウリマルを思い出したそうだ。その事実を知った病院では、在日朝鮮人が運営する病院である「コンファ病院」におばあさんを入院させ、同胞の祖父母が多く入院していたその場所でゆったりと過ごすことができたという。我々は全く理解することも知ることもできなかった在日同胞の物語である。






写真9 初級部6年生の国語の授業。在日朝鮮学校では学友書房という出版社で作成した独自の教科書を出版して、独自の民族教育を行っている。



子どもたちの教科書は、過去の北から直接教科書を受けた時期を後にして、数十年前からは独自の教科書を使用している。在日朝鮮人総連合(以下総連)が運営する学友書房という出版社が作っている。 10年に一度の教科書改訂作業を通じて、新しい教科書を出版しており、これは子どもたちが今使っている教科書だ。過去の「帰国」を前提とした民族教育から既に「定住」を前提とした民族教育の時期に入って久しい。自分たちの話と共に分断された祖国の北と南を共に学んでいる子どもたちが正に日本の朝鮮学校で学ぶ教育なのである。朝鮮学校が共産主義者を教育する北の学校という言葉を、いつまでもレッテル付けする韓国領事館、韓国政府、保守団体、保守言論は直接ウリハッキョの授業を聞いて話をして欲しい。もちろん、過去60年余り、韓国政府が外面的に一貫しているとき、北は毎年、教育助成金を送るなどの支援を惜しまなかったので、朝鮮学校の教育内容が、北をより友好的に考える方向に行ったことを否定することはできない。これは、彼らのアイデンティティでもあるところだ。しかし、無条件、北の学校、共産主義の学校というふうに罵倒するのは、朝鮮学校の近くに住んでいても朝鮮学校を北朝鮮の子どもたちが留学に来て通う学校だと思う日本人たちと同じくらい自覚がなく歴史を知らない態度だと思う。





運動場へ行くと初級部低学年の子どもの体育の時間であった。さっきから外から聞こえた軽い音に既に心が運動場で走っていたので...そこでリヤンに会った。姉も学校に通っているという。見知らぬおじさんが名前を尋ねたところ、きょとんとして隣の子どもが



「朝鮮から来た人だから大丈夫。」と言った。胸が急に詰まった。



朝鮮から来たから大丈夫。この「分断」のない子どもたちの心、朝鮮から来たら誰でも大丈夫。先生が大丈夫だ言えば誰でも大丈夫だ。だからと話しても良い。私は子どもたちに「誰でもいい」そんな人なのか自分自身に聞いてみた。大丈夫だろうか。



唯一の初級部1年生のリヤンのボール投げのために、低学年、他のお姉さんお兄さんたちが一緒に手伝って。あれだけ来たかった四国ウリハッキョについに来た。ここは、もう今まで私が「夢見た」学校ではない。リヨンにあって、私と年が同じコ・ジョンボム校長がいて、目の挨拶で満足してくれる立派な先生がいて、お弁当作って私たちを待ってくれる父さん母さんがいる。もう想像ではなく、あの竹と古い寮と食堂を「記憶」することができる学校になった。どうか、この学校が、今後10年後も健在であってほしいと心の中で祈る。








写真10 チマチョゴリは、学生の制服もあるが、先生たちの制服でもある。少ない数の子どもたちだが最善を尽くして教えるウリハッキョの先生たち。






写真11 コ・ジョンボム校長先生の授業時間。地理の授業のようだ。学校財政の厳しさ故に、校長が教壇にたつ。小さな朝鮮学校では、あまりにも当然の風景だ。








写真12 四国ウリハッキョの古いぶらんこ。生徒数が減少すれば、広い運動場にも雑草が生い茂る。切ないが、同胞たちは再びウリハッキョが子どもたちでいっぱいの学校になる日を夢見て、今日も学校を守っている。今、その夢を私たちも一緒にみる時だ。



<了>


モンダンヨンピルコンサートIN広島
「がんばろうや!朝鮮学校!」

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日時:7月4日(金)
   18時30分開演(開場17時30分)

会場:広島アステールプラザ
 〒730-0812 広島県広島市中区加古町4-17

チケット代金:指定席前売り3000円(当日券3500円)
       自由席前売り2000円(当日券2500円)
       高校生以下 1000円

お申込み方法:以下の内容をご記載の上、メール又はFAXでお申込み下さい。

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FAX 0823-28-2906
メール wornoutpencils2014hiroshima★gmail.com
   (★マークを@に変えて下さい)

※7月1日まで入金が順次確認された方にチケットを郵送いたします。
指定席は申し込み・入金順に良いお席をご用意いたします。
数に限りがありますので予めご了承ください。
必ず申し込みの上ご入金ください。
7月2日以降の申し込み・入金は当日窓口での対応となります。
※3歳以下のお子様の観賞はできません。予約制で託児所を用意しております。
詳しくはメールにてお問合せ下さい。


主催:モンダンヨンピルコンサートIN広島実行委員会
協力:民族教育の未来を考える・ネットワーク広島
   高校無償化裁判広島弁護団