財閥 | Money-Cruiser

Money-Cruiser

今が踊り場・・・株式投資を中心にFX、N225先物やクレカとかマイルなどもバンバンやっていきます O(^-^)O

「世の中銭や」

戦前の日本には大財閥といわれる企業グループが15を数え、それらのほとんどは一人の人間あるいは1社から拡大していったものです。日窒(にっちつ)コンツェルンもその一つで、野口遵(のぐち・したがう)が興した日本窒素肥料(現チッソ)が源となっています。野口が興した事業が現在どのような企業に受け継がれているか、、、

日窒が他の企業グループと大きく異なった点は、朝鮮半島(現在の北朝鮮)に電力事業を含む大規模な化学工業地帯を形成したというところにあります。朝鮮戦争当時の国連軍は野口の朝鮮半島での事業を、世界恐慌時のアメリカがニューディール政策の一環で行ったテネシー川流域開発公社を中心とした事業に匹敵するとし、「この事業が、野口遵という一人の事業家とそのグループの手により成し遂げられたことは、奇跡に近い」と世界に紹介。


日産コンツェルンを創始した鮎川義介は、「財閥の背景もなく、政府の援助も受けず、まったく独立独歩で世界の脅威ともいうべき大事業を成し遂げた。当時の日本では独創的で、かつ規模の雄大さにおいて、彼に比肩する経営者はいない」と評しています。

日窒を源流とする企業の一つに旭化成があり、元の名を日窒化学工業と言い、銅アンモニアレーヨン糸「ベンベルグ」の製造を行っていました。旭化成のことをベンベルと呼ぶのはこの頃の名残です。また、積水グループを擁する積水化学も日窒のプラスチック事業が元となっています。現在も積水化学の大株主には旭化成が名を連ねており、日窒鉱業から商号変更したニッチツの大株主にも旭化成が登場します。化学工場は大量の電力を必要とするため、日窒コンツェルンは発電所事業も同時に行ってきましたが、そのノウハウを活かし同社の技術陣が分離独立して設立されたのが日本工営です。日窒の出資によって設立された信越窒素肥料は、後に塩化ビニル樹脂や半導体シリコンで世界トップメーカーに育つ信越化学工業の前身です。