死後、どうなるかは解った

ちょっと考えれば誰だって解る問題だった…
正解は解らないけど、希望的不正解(死後の世界)ではない。

神様や仏様に祈るのは、希望的不正解を信じ込んで安心したい(不安を一掃したい)為だと思う。

「死ぬ」=「無になる」
偉い人も、普通の人も、犯罪者も、その各人にとっては平等に「無」となる。

違いは残っている(生きている)人々の評価(思い)で…
「あの人は立派だった」
「この人は素晴らしい生き方だった」
「あんなヤツが身内で恥ずかしい」
「あいつは死んで良かった」
全て、まだ生きている人間の感想であって、死んだ人間は知る由もない。

ただ、これは自分本意の事実(死後は無い)であって、それを短絡的にとってはいけない。

各人が無となっても、生きている家族、知人友人、1億2000万人の日本人、77億人の人類がいる。

この世には「秩序」が必要であり、秩序の為に「善悪」が
必要です。
「先祖がお盆に帰ってくる」
「嘘をつくと地獄に行く」
「改めると天国に行ける」も「あの世」の存在の意義で、性善説が守られる。

つまり僕は性悪説の権化とも言える!

さて「死」が解った上で、重要な問題となるのが「死に方」「死に際」

これがまた難しい…