僕は三兄弟の長男として生まれたので当然、兄弟の中ではリーダーです。

小学校、中学年にもなると近所のガキ大将的な存在となりますが、けして暴力的な部分はなかった(陰湿的な部分はある)

学力は小学校四年生がピークだった!
遊びでは天才的な創造性やバランス力、リーダーシップを発揮したが…学力は散々で、中学では100人中96番というものだった。
それでも「まだ自分の下には4人もいる」と安心出来る自分がいた。

地を這うような学力の理由は、遊んでばかりで勉強はしない!と単純なものです。
僕は心の何処かで「そりゃ勉強したら成績は上がる」と…
勉強しない自分を肯定していた。

ところが実は「勉強しない」ではなく「勉強が出来ない」人間がと気付くのは大人になってからで…

嫌なことや苦痛な事から逃げていただけでした。
誰だって勉強が好きではない(中には好きな人もいるでしょうが)けれど頑張って、成績が上がる喜びを得て努力を持続させるんでしょう。

もし小学校の頃の僕に会えたなら一言
「とにかく本を読め!」と言ってやりたいほど、読書が嫌い、だから教科書だって大嫌い。

「勉強なんかしなくても生きていける!」
「算数があれば数学は必要ない!」

確かに、勉強などしなくても死にはしない。しかし知識の有無、量で いつ訪れるか分からない死までの生き方が変わってくる!と気付いたのは30歳も半ばを過ぎた頃でした。

知識を否定して得たのは「本物の馬鹿」の称号
馬鹿が本物になるまで、なぜ大人になるまで気付かなかったのか?
その原因は、持って生れたて素質を遊びで開花させた中途半端な「器用」さと…
叱られずに遊ぶ為に、大人の目を気遣って得た「バランス感覚」があったからです。

普通の少年のような、真っ直ぐな気持ちがあったなら…
一寸した芸術家になれたかも知れない。

器用さとバランス感覚を持った少年は、単に「ズルい少年」だった訳です。