子供の頃から現在(58歳)に至って「死」に対して「怖い」事に変わりはないが、その「怖い」の意味は変化する。

小学生の頃、夏休みの昼にTVで怪奇特集が組まれ、再現VTRを怖いながらも毎回観ては、あまりの恐怖に夜毎、思い出し…暗闇にビビりまくっていた。

弟たちには、その素振りも見せなかったが 内心
「こんなんで大人になったら結婚は出来ないなー」と真面目に悩んでいた。

当時は「死」=「お化け」になっちゃう認識で、もし自分が死んだら
「こんな怖がりが お化けになれるのだろうか?」
「いや、いっそ お化け側になれば、怖くないかも?」
と言うように真剣だった。

中学になると、故 丹波哲郎が当然の如く「死んだら あの世へ行く」という大霊界論を植付けられ…漠然と
「そうかー 死んでも終わりじゃないんだー」と、何処か安心した。

大人になっても無意識に、そうあって欲しいという願望が「本当の死」から遠ざけてしまったんだろう。

「あの世って どんな所だろう?」
「何か綺麗な所で楽しそうだなー」
物事における入口における分岐点での間違いは、後の分岐点のどちらの道にも正解はない!
間違いの闇を深く彷徨ってゆく…

「まてよ?何百何千年の間に死んだ人類は皆、あの世に居るのか?」
「あの世って、そんなに広いのか?」

自らの愚問に、自らの愚答
「そうか!誰もが あの世へ行ける訳がない。天国と地獄があるんだ!」(1つの世界が 2つになったところで広さの問題ではないんですが)

30歳を過ぎた頃、僕は悟ったつもりだった

どんな宗教にも天国と地獄がある。死んだらフリーパスで あの世へ行ける程、甘くはない!

そして自分の過去を振り返ったら…
既に三回は地獄に行ける程の悪行の数々。

これから、どんなに善行を積もうとも自分にはあの世への道はない!と絶望する。