『和牛』が解散した。
このブログで、お笑いについて書いたことはないのだが、実は私は子供の頃からお笑いが大好きだ。
1組の芸人さんを推すというよりは、たくさんの芸人さんを観る方が好きなので、
誰かの『追っかけ』をしたことはないのだが
両親共にお笑い好きということもあり
一時期は、家族総出で足繁く吉本のハコや浅草の寄せに通っていた。
その程度の私が、お笑いについて詳しく語れることもない癖にこんな事を書くと
偉そうに聞こえてしまうかもしれないが
正直な事を言うと、私は『和牛』のファンではなかった。
それは、ただ単に私の感覚的なコトで
『彼らは面白くない』という訳ではなく
『面白いとは思うけど…好みじゃない』という感じで『中華も好きだけど、イタリアンの方が好きなんだよな』という感覚に近い。
そんな私でさえ『和牛』の二人の解散にはショックをうけた。
ニュースサイトなどで様々なたくさんのコメントで溢れている様子に、彼らの解散から、彼らが多くの人に注目されていた事を感じた。
解散の原因は、様々な情報が飛び交っているが『和牛』の二人の公式コメントを読んで
(ここでは、二人のコメントを抜粋することは避けるが)胸を締め付けられるような、とてつもない『切なさ』を感じた。
無論『本当のところは、当人同士にか分からない』のが大前提だが
私には、二人のコメントにとても正直な気持ちが書かれているように感じられ
大変に余計なお世話だが、その理由に大いに納得できた。
なぜなら、二人のコメントから、私は自分の過去を振り返る事となったからだ。
私がラテンを歌っていた若かりし頃
お世話になっていた、沖縄のラテンバンド『カチンバ1551(当時のバンド名)』のバンドリーダーのTaroさんに、たくさんの有り難い言葉を頂戴した。
音楽から離れてしまった今でもTaroさんの言葉は私の心の芯となっているが、その中に
『バンドメンバー同士に恋愛が起きたときは、その二人の音楽への熱量が減っているという証拠なんだよ』
という言葉がある。
この言葉を聞いた当時の若かりし私には
『それはないだろう?変なストイックは??』
と思ったのが正直な感想だった。
一流のミュージシャンにも、恋愛と音楽の両立が出来ている人もたくさんいる。
しかし、私も見えない何かにしがみつくように15年程音楽を続けその経験として
『あの時のあの言葉』の意味
が腑に落ちるようになった。
この言葉の『恋愛』というのは一つの例えで、他に注意が向いているようでは、芸は磨けないということだと思う。
人は何かに打ち込んでいる時、何かに夢中になっている時ほど周りが見えなくなることがある。
結果的にそれがいい方向に向けば
その集中力が、成功へと導いてくれることもある。
芸を志す人は、何かそのような情熱に突き動かされながら動くことが、芸を磨く鍵になるような気がする。
もし解散が和牛のコメントの通りだとすると、二人の解散は、この情熱の熱量にズレが出てしまったということで
それが原因というのは自然なコトだと思うのだ。
と同時に、二人が今までどれ程これまで
芸人として命を削って、その情熱と向き合ってきたかが感じられ、私は、とてもとても切ない気持ちになるのだ。
それは一時は愛し合った恋人同士が、時を重ね、気が付けば、すれ違っている二人に気づき、別れていくのと同じだ。
確かに二人は手を取り合い、同じ方向を見て進んでいたはずなのに、時を重ね、見ている道の方向には分かれ道があった。
それは、どちらかが原因とか、どちらかが悪いということではない気がする。
つい、水田氏の遅刻が原因というところにフォーカスしたくなるが
それは水田氏に芸人という仕事以外に
人生に大切にしたいものが増えたとも言えると思う。
それが結婚や恋愛であっても、人生の中で大切な選択で、私はどちらを選んでも正解だと思うのだ(仕事に遅刻することは正解とは言えないが…)
人の何かに向かう情熱や熱量は、自分であっても測れない。
きっとむしろ、自身で測ろうとする方が難しいのだろう。
それが遅刻というカタチで、二人の道の先にある分かれ道に気づかせたのかもしれない。
だからきっと誰よりも一番『和牛』の二人が、解散に向き合うことが一番辛くて、悲しかっただろうと感じるのだ。
それは、とても切なくて苦しかったと思う。
だからこそ、そこから二人が出した解散という答えが、二人にとって、きっと前向きなものになると私は信じたい。