「HSP」。
遡ること10年前、この言葉に出会う以前は
社会と関わることにすごくパワーを使っていて、なんとか環境に馴染もうと必死でした
前回記載の記事、HSPの思考回路を紐解いてみたでは
HSPを知る以前、壁に何度もぶつかり傷を負いながらも
一生懸命社会生活と向き合ってきたお話をしました。
今回は、HSPを知ったその後生活を大きく変えたお話を
していきたいと思います
▼前回の記事はこちら
目次
<1>前進の兆し
<2>環境の大切さについて
<1>前進の兆し
HSPの気質を知ることで、これまで
周りと比べて生きづらいと感じていたことに
気づき、ありのままの自分ってどんなだっけ?
と矢印を他人から自分に向けられるように
なりました。
自分の気持ちに正直に耳を傾ける癖が
ついたことで考え方も大きく変化していきます。
・直感で良いと思うものはまずやって
みるし、違うと思ったら一旦距離を
開けよう
・決断して行動したことは、
結果に関係なくどんな事でも
前進の兆しである
昔の自分
「周りのイメージするような自分でいなくては
がっかりさせてしまう!(...と勝手に責任を抱え
もがこともありました)」
事実、人材会社へは20代前半で入社して
朝から深夜までむしゃらに仕事していた為
「若くて勢いあって仕事にガンガン邁進してる人」
という他者からの見え方を強く感じる時が
多々ありました。
歳を重ねるにつれて、本来の自分とのギャップを感じ
随分苦しみました。
(いつも「君はどう思う?」と意見を問われ、公私問わず自己開示に積極的な職場環境だった)

HSPを自覚した自分
30代手前で「繊細で職人気質な人である(わいわい意見を出し合うよりもまずはじっくり考える時間が欲しい等…)」と気質に気がついた事で、これまでの自分とのギャップをハッキリと自覚しました。
そこで私がとった行動は、
「今いる人間関係のイメージを変えにいくより、
もっと早く今の自分を大事に出来る環境づくりを
0から行いたい。」でした。
決意してからは1年と経たないうちに東京での新生活へ転向。求められるあるべき姿という縛りから解放され
のびのびとした生活がスタートしました。
このHSPの気質を知ったことで、
自分を大切にしたいと思えるように、
そして約500キロ離れた新天地へ転居しよう
と決意することができました。
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<2>環境の大切さについて
自分を置く環境も様々な捉え方がありますが、
「誰と過ごしている時の自分が好きか。」
私はこの言葉に尽きるのではないかと思います。
自分じゃない何者かになりたいと思っていた
20代前半は、堂々と我が道を進んでいく友人や
同僚を見てああなれたらいいな〜と憧れ、
考え方を真似しようと必死でした。
でも実際は無理して演じた自分で過ごしていると
めっちゃ疲れるんですよね。。
年々、京都のお寺で庭をぼーっと見つめたり、
誰とも会わない日を無意識に作るように
なっていっていました。
ー「気がついた“今”から変わることができる」
HSPを自覚化した今は、
自分の感受性の高さや深く考える癖もまるっと全て
“自分らしくて大切にしたい”と思えるよう
になりました。
以降、静かでひとりの時間も必要な私とも
一緒に過ごせる夫と出会い、子育て以前は
月の4分の3ゆっくりと絵を描いたり本を読んだり
静かな世界で過ごすようになりました。
会いたいと思う友人の傾向や頻度も変わり、
穏やかな時間が流れています。
さて今回は、HSPと出会い昔と今でどんな風に
変わっていったのかについてお話しました
少し長くなりましたが、この記事が誰かの何かの
きっかけになれば嬉しいです