おめでとうとありがとうと色々 その1 | moneの徒然blog

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障害者が、2人の母の介護&兄の介護でドタバタドタバタ!
毎日笑っていないとやっていられない。
人間笑っていたら福が寄って来るのだ!
そして純烈と純友に出会った!

純烈が2年連続2回目の紅白歌合戦出場の切符を掴んだ!
レコード大賞優秀作品賞!
凄い!凄い!快挙だぁ~\(^^)/
去年の今頃の私は、前年脳出血で倒れて左半身麻痺になった兄の生活と、認知症が進み兄夫婦の助けを借りられなくなった事で、ケアハウスに入って貰った母の事が、何となく落ち着いてきて、兄が倒れて以来悪化した私自身の病状も薬が合ったのか?大分回復に向かっている時期でした。
前年の年末年始は、兄の入院中私の旦那が足を骨折!学生の息子と社会人の娘を呼び戻し、何とか牧場の仕事をやりくりして、やっと年を越し、片道100kmの兄の病院と片道40kmの実家を走り回った最悪な年末年始でした。
その後旦那の足も回復に向かい、むすこも学校を卒業して帰宅し、5月には兄も退院。
兄の自宅のリリフォームや介護関係の色々な問題をクリアしていき、何とか2年ぶりに落ち着いて過ごせることになった年末年始。
ご馳走を作り、家族で食卓を囲み、ばあちゃん(お姑さん)リクエストの紅白歌合戦を見ていた時に目に飛び込んできた純烈。裕二郎さんの甘い声。
「この人達何?」と聞いた私の質問に「スーパー銭湯アイドルらしいよ」との家族の答え。
その日から時間があればYouTubeで純烈を観漁りました。
6人の時の純烈、5人の時の純烈。
一糸乱れぬ姿で歌い上げる、6人の星降る街角!惚れました!
その頃テレビでは、裕二郎さんが結婚していた事、友井さんの事が大きく話題になっていたのですが、ワイドショーを一切観ていなかった私がその事を知るのは、大分後になってからの事なのです。
慌ただしい年始も過ぎ、兄のデイサービスも通常営業になり、まったりとネットサーフィンをしていた時、あの騒動が私の目に飛び込んで来ました。
「あの純烈?」憔悴しきったメンバーの顔。記者会見の様子。友井さんの記者会見は今も見ていません。
「あぁ~純烈これで終わっちゃうかも?でも、終わらせるのは勿体ない」それがその時に感じた私の気持ちです。
「会いたい!この人達に会いたい」
私の人生ですファンになった芸能人は何人か居ますが、北海道の片田舎から会いに行きたいと思った人達は初めてです。
北海道でのコンサートは?2月道新ホール。完売でした。
それならスーパー銭湯に会いに行こう
その頃の私は、純烈がどこのスーパー銭湯をホームにしているのかも、全く知りませんでしたが、会いに行くには飛行機に乗らなければいけない。飛行機の気圧の変化に身体と精神面が付いていけない可能性からドクターストップを言い渡されてから、15年。
飛行機以外の交通機関、列車、船、バス、あらゆる手段を探しましたが、経済的にも時間的にも、やはり飛行機しか有りません。
2月Drに相談「飛行機に乗りたいんです」 「どこに行くの?札幌?」「東京に純烈に会いに行きたいんです」「頓服薬出してあげるから行っておいで」
その嬉しかった事。元々飛行機は大嫌いな私は一生飛行機に乗れなくても構わないと思っていました。
兄の介護の日や病院の付き添いと母の病院の付き添いや、自分の病院以外は外出すら出来ない私。
スーパーのような人の視線が多く集まる場所は無理。
息が出来なくなる。吐き気がする。叫びたくなる。
そんな私にとって、飛行機に乗って、人生3度目の東京へ飛行機で行くのは無謀な賭けでした。
純烈を知ってから始めたTwitterで、純烈ファンと言うだけで全ての人が善人だと思い、片っ端からフォローをお願いしました。
東京に旅立つ頃には、ラインのグループにも入っていました。
皆が私の背中を押してくれました。
空港で搭乗手続きを済ませると、足がガタガタと震えました。
スマホで純烈の曲をボリュームマックスで聞きながら、フォロワーさん達に呟きながら、飛行機に乗りました。
羽田空港では、もしもの時の為に、10年来の友人に待機していて貰いました。
飛行機が飛び立つ頃、私の足の震えは収まっていました。
不思議な事になんの恐怖も感じませんでした。
3列シートに1人しか座っていなかったせいか?他人の視線も感じませんでした。
羽田空港に着陸した時、真っ先にフォロワーさん達に「無事に着いたよ!やったよ!」と報告しました。
羽田空港で待機していてくれた友人が、ニコニコしながら手を振る私を見て驚いていました。
あれから9ヶ月!東京へは3度飛びました。大阪ヘも飛びました。仙台へも飛びました。
頓服薬と純烈の曲が常に私の旅の友です。