お兄ちゃんが運ばれて急性期病院は、父が私が16歳の時に亡くなった病院だった。
緊急手術を必要とするため、二つの病院に受け入れを拒否されて、その病院へ運ばれた。
正直嫌だなって思ったけど、兄ちゃんの命には替えられない。
お陰で兄ちゃんの命は助かり、後遺症は残ったモノの、命を落としても仕方が無いほどの脳内出血だったので、
素直にありがたいと感謝した。手術が終わるのを待ってICUとかに入れられるのかと思ったら、
なんといきなり個室に移された。今後一ヵ月の最悪の事態を説明された。
私は兄ちゃんを置いて病院から離れる事が出来なくなった。
兄ちゃん夫婦には「さくら」と言うわんちゃんがいて、兄ちゃんが倒れたときには既に老衰で、
余命幾ばくも亡い状態だった。
「私病院に残るから!」 義姉と弟に宣言し、一週間の付き添い申し込みをして私は病院へ残った。
兄ちゃんが何かを訴え始めた。話している言葉が全く解らない。何とか聞き出すと「水」と言っているのが解った。
でも、悲しいかな水をあげることは出来ない。何度も「ごめんね。ごめんね」と兄ちゃんに謝る。涙が出そうになった。
亡くなった父の年齢よりも10才以上も歳を重ねている兄ちゃんの横顔が、父と重なった。
翌日、義姉と弟が来たタイミングで、私は車の中で軽い睡眠をとり、弟を残して義姉と実家に帰宅した。
認知症の母が不安そうな顔で私の帰宅を待っていた。私は母に優しい言葉を掛けてあげることが出来なかった。
私の病気は色々な事を、沢山出来ません。一つのことに掛かるとそれだけに集中してしまいます。
翌日姉を車に乗せて実家を出てから一ヵ月私は病院の近くの民宿に泊まることになりました。
時が過ぎて・・・
兄が嚥下の練習のためにムース的なものを食べ始めたとき。私は必死に兄に「あむあむ、あむあむ、ごっくん」と言い続けていたようです。
急性期病院の人を人とも思わない看護の様子は、私自身も思い出したくもなく、兄も憶えていないことが幸いなのですが、
兄が今でも憶えているのが、食事をするときにときおり今でも自分で意識している「あむあむ。あむあむ。ごっくん」なのです(^_^)v