亡くなる2日前。






うんちが少しずつ緩くなりはじめていた日。

床で寝てしまうのを何とかベッドに移動させようとしたり、お腹を温めようとしたりしました。
が…、ダメでした。
すぐに動いて階段やキッチンの床に行ってしまってました。






夜は、夜間にウンチをしたとき、片付けが最小限で済むよう、申し訳ないと思いながらも囲いを作っていました。

お水をちょこちょこ飲んでいたのも、今思えばきっと異変だったのですが…。回数は多くはなかったけれど、すでにうんちがゆるかったのでお水を飲んでくれてたら脱水の心配はいらないかなと、いいほうに捉えてしまってました。
いつもたつは数値上、脱水があったので、脱水を気にしてたのです。




そして次の日。
たつにはビオフェルミンを買ってきて、半錠を2回あげました。
その日はお兄ちゃんのほうが緊急だと判断して、お兄ちゃんを病院へ。
たつの下痢はもう1日様子をみることにしたのです。




そのまた翌日、今度は朝イチでたつを病院へ連れていきましたが、、
下痢はおさまることなく、そのまま亡くなってしまいました。






脳炎の発作と思われるものは、昨年10月から最期に至るまで起きてはいませんでした。。
ステロイドも服用せず、抗がん剤も順調に間隔をあけてきていたところでした。
1ヶ月前の血液検査も問題なく。。

下痢を除いたら……身体のどこが最終的に障害を受けての死因だったのだろう。。




葬儀の日、スリールさんも仰っていましたが、
たつが脳炎じゃないところで悪くなるなんてと。






それでも、
異変であったろうことを私は異変と気づけなかった。。
ごめんね、ごめんね。。








ただ…
あくまで旅立ちだけをみたら…ですが、救いになることもたくさんありました。
・最期の10日間ほどは、たつをほとんど1人にさせずにいられたこと。
・最期の日、家族全員が揃っていたこと。
・綺麗好き(おしっこもうんちも避ける)のたつが、最期までうんちまみれにならず旅立てたこと。
(夜中に、最期の下痢で汚れたおしりは旦那と洗いました。)
・私の腕の中で息をひきとってくれたこと。
・悪くなってからがあっという間=苦しむ時間が短かったということ。









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たつが亡くなってから2日後、宅急便が届きました。
傘でした。
旦那が、
「たつと一緒に入れる傘をそういえば楽天で買ってたんだよ。梅雨だしこれからよくつかうと思って。」と。


大人が2、3人入れるような大きさの傘です。
たつと使おうと思っていたのに、使うことなく傘だけが残ってしまいました。
この傘を見るたびに、きっとこれからたつのことをおもうんだろうな…と思います。




本当に本当に…可愛いたつ。