忠烈十勇士を祀る「十寄神社(十騎神社)」

前回は、「女塚神社」をご紹介しました。少し振り返ります。

新田義興の鎌倉挙兵を恐れた初代鎌倉公方の足利基氏(尊氏の子)、関東管領の畠山国清の企てにより、新田義興の元家臣竹沢右京之介が再び寝返ったと見せかけ、高級女官の少将局を義興に与え謀殺を図りました。

 

義興に情を深めた少将局は、謀殺の企てを漏らし、謀殺の企てが未然に終わるわけですが、無残にも少将局は惨殺され、憐れに思った村人が神社を建て、少将局を祀った。というものでした。1358年4月のことです。

 

今回は、十寄神社(とよせじんじゃ)をご紹介します。

別名十騎神社とも呼ばれています。元家臣竹沢右京之介の少将局による謀殺は失敗に終わりますが、その半年後の1358年10月10日、今度は、竹沢右京之介、江戸遠江守たちは、義興の元家臣だったことから、足利幕府から所領没収の罪科に処されたと偽称し、義興に鎌倉への救援挙兵を求めたのです。

 

罠とも知らず、竹沢右京之介、江戸遠江守らと合流し、近習の将兵十数名とひそかに鎌倉に向かうため、多摩川矢口の渡し舟に乗り込みます。

江戸遠江守らは、あらかじめ舟の底に穴を開けておいたため、舟は沈み、義興と将兵十数名は壮絶な闘いの後、憤死したのです。その将兵十数名を祀ったのが、この十寄神社の謂れです。

 

十寄神社(とよせじんじゃ)  大田区矢口2-17-28

 

妙蓮塚三体地蔵尊

 

十寄神社から、少し離れた場所に「妙蓮塚三体地蔵尊」はあります。

妙蓮塚三体地蔵尊は、神社の境内にあるわけではなく、道の際に建てられた地蔵尊なのですが、良く手入れをされた風格のある祠に3体のお地蔵さんが並んでいます。

 

この3体のお地蔵さんは、土肥三郎左衛門、南瀬口六郎、市河五郎という義興の将兵で渡河で騙し討ちに遭った際に、向こう岸にたどり着き、敵と刃を交えて討ち死にした者たちなのだそうです。その対岸の場所に建てられたと言われています。

 

 

妙蓮塚三体地蔵尊 大田区下丸子2-1-8

 

新田義興の謀殺事件は、太平記に記されていますが、それを元にして作られた絵巻が、新田神社の社宝として保存されています。東京都の文化財です。

新田大明神縁起絵巻 

 

次回も、新田義興にまつわる史跡を歩きます。