美空ひばりさんの「港町十三番地」の題材となった川崎の港町駅のすぐ近くに「医王寺」というお寺があります。医王寺は、延暦24年(805年)、橘樹郡久根崎に開山したという古刹です。戦国時代には、当地領主の間宮豊前守信盛の祈願所ともなっていたところです。
その医王寺には、二つの伝説があります。
(大師道の久根崎の交差点に建つ医王寺の「川崎歴史ガイド」)
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質素な木造山門が歴史を物語っています。
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本堂は、1765年に再建されました。
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一つ目の伝説は、「背中の赤い蟹」です。境内に鉄製のノートに見立てた説明書きに謂れが書かれています。伝説の内容とは次のようなものです。
「医王寺の鐘は朝と夕に撞かれたが、その音を怖がって白鷲が寄り付かないために、境内に棲む魚や蟹は捕らえられることもなく暮らすことができていた。ある時、近隣から火の手が上がり、やがて医王寺にも延焼した。山門を焼き、やがて火が鐘楼に迫ってきた時、池から何百もの蟹が現れて鐘楼に上がると泡を出して火を消し止めようとした。火は猛威を振るい多くの蟹が焼けて死んでいったが、一向に蟹の数は減らなかった。そして翌朝、鎮火した後の境内には、鐘楼だけが焼けずに残っており、その周りには焼けた蟹の死骸が大量にあったという。寺では、命がけで鐘楼を守った蟹の徳を後世に伝えるべく塚を建てた。そして、それ以降、医王寺の池に棲む蟹は、火で焙られたかのように背中が赤いものばかりになったという。」(出典:神奈川県の民話と伝説 萩坂昇)
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山門を入ると、七福神に囲われた池があります。
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そして、その隣には伝説の「鐘楼」と「蟹塚」がありました。
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「蟹塚」は最近、再建されたようです。
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よく見ると、白い泡を出す蟹の背中は赤くなっていました。
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二つ目の伝説は、「塩でとけた地蔵さま」です。
「今のように良い薬もなく、医者もいなかった昔。久根崎のあたりで、できものが流行って子供が苦しんでいた。親たちは、海辺の塩浜の塩田から塩を買ってきて、地蔵にお浄めの塩をこすって、子供の身代わりになって下されと願掛けをした。するとご利益があって、子供のおできは治ったが、地蔵様は、塩でとけたような姿になったと伝えられる。」(出典:神奈川県の民話と伝説 萩坂昇)
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医王寺本堂に向かって左側の祠に「塩どけ地蔵」が安置されています。骨と皮だけのようになっていますが、今も袋につめた塩が供えられ、8月24日には、盛大な地蔵盆が行われています。昔は弘法大師道の筋に建っていましたが、工場の進出で交通量が増えたため安全なこの医王寺に移されました。
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おしまい