いすみ線ってご存知ですか?「ムーミン列車」運行、「700万円訓練費用自己負担運転士」募集などのアイデアで瀕死の赤字ローカル線を救ったユニークな民間鉄道会社なんです。下の車両には、ムーミンのキャラクターが描かれています。
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廃線の瀬戸際にあった赤字ローカル線に公募でやってきた社長は、筋金入りの鉄道ファンにして、元外資系航空会社の運行部長。陸も空も知り尽くした「よそ者社長」の斬新なアイデアで、お荷物だった赤字路線は活気を取り戻し、またたく間に地域の観光シンボルになりました。

その鉄道会社本社が大多喜町にあります。その大多喜町は、徳川四天王の一人、本多忠勝が天正18年に築城した大多喜城の城下町で房総の小江戸と言われています。
大屋は、江戸時代に創業した旅籠で、国の登録有形文化財です。
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天明6年に創業した三河屋呉服店
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夷隅(いすみ)神社の草創については明らかでありませんが、社伝には、長久2年(1041)の再建後、さらに天正15年(1587)に、里見氏の将、正木大膳亮(時堯)が再築したと伝えられています。その後は、代々の大多喜城主に篤く崇敬・加護されたとあります。
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良玄寺は、本多忠勝の菩提寺です。
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NHK大河ドラマ「真田丸」では、本多忠勝は藤岡弘、長女の小松姫には、吉田羊が演じています。本多忠勝は、真田家を取り込むため、徳川家康に自らの娘を嫁がせることを提案し、小松姫が真田昌幸の長男・真田信幸(上田城主)に嫁がせました。小松姫の夫となる真田信幸を演じるのは大泉洋さんです。本多忠勝は、徳川家康が豊臣秀吉の傘下に入ると、大多喜城主(10万石、千葉県夷隅郡大多喜町)となり、安房国の里見家への備えとなりました。その後、関ヶ原の戦いの功績により、慶長6年(1601)、伊勢国桑名藩10万石に移封されるのです。
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本多忠勝は、慶長15年(1610)に桑名城で亡くなりました。遺骨は桑名浄土寺と良玄寺に分骨されました。 
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大多喜町は、湧水が豊かなので、美味しいお米ができます。
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江戸時代の街並みが残されています。
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渡辺家住宅は、国の重要文化財です。
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続きます。