大門ばあちゃん | 短篇集

短篇集

新潟県は中越地方、人口四千の港町・出雲崎町出身のシンガーソングライター「Mondeo」のブログ。
自身の日々の活動などを発信していきます。

令和元年5月6日に僕の曾祖母が亡くなりました。
享年106歳でした。

僕の祖母の母にあたり、出雲崎の大門という地区に住んでいて、僕は「大門ばあちゃん」と呼んでいた。
家から歩いて5分程度の近い場所にいたので、僕は幼い頃によく一人で遊びに行っていた。

家に行くと「なおちゃん、いらっしゃい」と言っていつも笑顔で迎えてくれた。
今では珍しい瓶に入った三ツ矢サイダーが出てくるのが定番だった。

よく童謡を一緒に歌っては「なおちゃん、上手だねえ」と言っていつも誉めてくれた。
そんなことがあったから、僕は歌を歌うのが好きになったんだと思う。

いつも口癖のように言っていたのが「ひばりさんは本当に歌が上手い」だった。
きっと僕が最初に“歌手”という存在を意識した人物は美空ひばりさんだった。
そして僕が最初に覚えた歌謡曲は「川の流れのように」だ。

今でもよく覚えている。
居間の角にあったブラウン管のテレビの下に沢山の演歌や歌謡曲のカセットテープとデッキがあった。
大門ばあちゃんの影響で歌謡曲や演歌が好きだった僕は、ひばりさんのカセットテープをよく流してもらっていた。

遊びに行くだけでなく、家に泊まったりもしていた。
家の前の坂道を上るとすぐ近くに高校があり、朝方一緒に散歩をしながら虫取りなんかもした。

まだ僕が小学生にもなる前の話。
だけれど、鮮明にその頃の記憶は今でも残っている。

僕が高校生か専門学生の頃、大門ばあちゃんは老人ホームに入った。
それからはめっきり会わなくなったが、変わらず元気なようだった。

僕が久しぶりに大門ばあちゃんに会ったのは、3年前の2016年。
入居していた老人ホームの方にお誘いを頂き、ロビーでコンサートをさせてもらった。

歌い終わった後に介護士の方が車椅子で連れてきてくたのが大門ばあちゃんだった。
もうほとんど言葉は喋れなくなっていたが
「大門ばあちゃん、なおやだよ、分かる?」
と言うと、誰だか分かってくれたようで、僕に笑顔を見せてくれた。
介護士の方が「おばあちゃん、歌ってる時じっと聴いてましたよ」と言ってくれた。

それからまたしばらく会うこともなかったが、つい先日、4月の終わり頃に母親から「大門ばあちゃん亡くなりそうなんだって」と言われて、家族と叔父夫婦で入居している老人ホームへ行ってきた。

個室へ案内され、ベッドの側へ寄った。
呼吸器が繋がれ、食事も喉を通らないようだった。
少し苦しそうだったけれど、それでも僕たちが側へ寄るとみんなの顔が分かったみたいで、小さく目を開けて笑顔を見せてくれた。
それが、生前の大門ばあちゃんを見た最後の姿だった。

そして5月10日。
大門ばあちゃんの葬儀に参列し、最後の別れをしてきた。

お経が終わって出棺する前に大門ばあちゃんを囲むように参列者たちで花を手向けた。
幼い頃の思い出がフラッシュバックして、涙が出た。

火葬場で最後のお経の後、棺が納められる最後の最後まで喪主の方が棺に手を触れていたのがすごく印象的だった。

106年という1世紀以上にも及んだ人生を病気でも事故でもなく無事に終えられたのはきっと大門ばあちゃんにとって幸せだったと思う。

大正に生まれ、怒涛の昭和を生き抜き、平和な平成を過ごして、令和に没するという4つの年代を生きた人。

その人生の中に、ほんの少しだったかもしれないけれど僕が存在出来たことを本当に嬉しく思います。

ありがとう、大門ばあちゃん。
そしてお疲れ様でした。
悲しみよりも、労いの気持ちの方が多い。

僕もいつかそっちへ行ったら、
また一緒に歌を歌おうね。