年に何度か、その角張って握りにくいグリップを手にしたくなり棚から取り出すのが、国際のオートマグ。
生まれは1976年。
日本で最初にオートマグのモデルガンを発売したのはMGCで、これも76年生まれでした。
国際は数ヶ月遅れでオートマグを発売しましたが、雑誌に広告が載ったのは年末でしたね。
75年の自主規制のあとの登場ですので、smマークが最初から付いています。
黄金色のパッケージが高級感を煽っていましたね。
2次規制後のsmGマーク付きは赤いパッケージに変わったと思います。
うちにある月刊ガンで調べた範囲内ではありますが、ガン誌にオートマグが最初に登場するのは1976年4月号です。
ターク・タカノ氏が日本の読者に世界一のスーパーハイパワーピストルと銘打って紹介記事を書いています。
タークがとても若いです。
記事では、オートマグの辿った不幸な歴史(この記事が書かれたのは開発からわずか6年ですが)と合わせてタークらしい専門的な視点で切り込んでいますが、やはり装填不良についても触れられています。
月刊ガンでは、2年後の1978年に実物のオートマグと国際製の比較記事や、人気ライターになった永田市郎記者がオートマグの記事を書いていますが、日本のガンファンには、オートマグの欠点が印象付けられたように記憶しています。
それでもオートマグの人気は高く、僕も実銃の性能よりもその外観のカッコよさに惹かれました。
ガン誌の記事で永田記者が、オートマグのボルトを引くときは、非力ではスライドを引けないと言われるガバメントよりも凄い力が必要だと書いていたことを覚えています。
下腹に力を入れて、フンッと思い切りボルトを引っ張るイメージが今でも記憶に残っていませんか?
国際のオートマグは、フンッと気合いを入れなくともボルトは引けますが、ある問題が。
バレル&レシーバーとフレームを固定しているバレルラッチにテンションがかけられていないので、ボルトを引くと緩んだラッチが抜けてしまいます。
バレルラッチ軸が通る溝にイボみたいに見えているのは、自分で後加工したプランジャーです。
これでバレルラッチは抜けにくくなりました。
オートマグの魅力の一つ。
大きなエジェクションポートと、そこから覗くでっかいカートリッジ。
ガバメントのマガジンを見慣れた目で見ると、大きさが新鮮でしたねえ。
カートリッジは深く彫り込まれた、昭和50年代にはお馴染みのブローバック用カートリッジです。
前撃針もデトネーター並みに長く、チャンバーを覗くとすぐ見える位置まで伸びています。
しかしカートリッジの内径よりも細いので発火ガスを充分プール出来ず、通常の発火遊びで使う平玉5~6粒くらいではボルトは下がりません。
中坊の頃の僕は、やみくもに火薬粒を増量して平玉20粒詰めて撃ち、ブローバックを成功させましたが、3発撃ったところでボルトのエキストラクター部分が砕けてしまいました。
今は屋外でモデルガンの発火遊びなど出来ませんし、家の中でなど言語道断。女房にバレたら通報されるより怖いです。
この年になってモデルガンを撃って遊ぶつもりはありませんが、自由気ままに発火遊びが楽しめてた子供の頃が懐かしいですねえ。
国際オートマグが生まれた年の同社では、S&Wの44、357マグナムとチーフスペシャル3型、P38にコマンダーなどが続々登場しています。
全体的に製品レベルが低かった国際のモデルガンでしたが、このオートマグは当時の国際にしては異例の秀作だと思います。