今、思い起こしてみてもこの2週間はあっという間だった。

まずプレオープンの下準備から始め、リニューアルの広告を打つために宣伝チラシを刷ることにした。

その内容は、オープン日から三日間は先着60名にランチを無料で提供するというもので、その三日間は私が考えるランチ第1候補から第3候補までの料理をハーフサイズで食べてもらい、食後にどの料理が一番旨かったかというアンケートに答えてもらうというものだった。

店のテーブル席が30席しかないので、60人のうち半分の客には待ってもらうことになるが、タダでランチが食えるんだから辛抱してもらう。

チェンとジェロにもずいぶんと手伝ってもらった。

60人にハーフサイズながら3種類の料理を準備する。短時間で要領よく調理して滞りなく提供できるよう訓練も積んだ。

せっかくのリニューアルだから、テーブルクロスを新調し床もワックスをかけ直した。

プレオープンに先立ち、ジェロの家族とチェン一家。そしてマーケットでお世話になってる人たちにも声をかけてランチ第1候補の照り焼きチキンを食べてもらった。

集客を気にして半分怯えていた私がここまで行動的になれたのは、あの日、ジムに店の乗っ取りが目的だろうと迫られたことが大きな要因であることは間違いなかった。

あそこまでバカにされて黙っておけるほどオレはお人よしではない。ここまで言われたなら絶対に見返してやる。という気持ちが大きな原動力になったのだ。

プレオープン直前にサリーの退院予定のニュースが入って来たのも励みになった。


そして、思った通り無料ランチを目指して多くの人たちが殺到し、60人の枠に300人以上が列を作った。

そしてアンケートの結果、やはり照り焼きチキンがダントツで一位だった。

こうして最初の1週間は矢のように過ぎ、2週目も心配していた客の入りもまあまあで、まれに満席になる日もあった。

2週目の後半からサリーがキッチンに入り、直接調理はしなかったが料理人の目で私たちの動きを冷静に観察してもらった。




サリーの右手は完全には回復していない。

銃弾により損傷した上腕二頭筋は、その腱の接合手術も上手くいったはずだが物を握ってそれを正確に動かすことに支障があるというのだ。

損傷部分そのものが回復しているのは、腕の曲げ伸ばしが無理なく行われているのを見れば明らかだ。
物自体を握ったり離したりすることも問題ない。

ただ、包丁を握って野菜を正確に刻むという動きが出来ないのだ。担当医は最初脳梗塞による運動障害を疑ったほどで、こういう運動機能の低下は珍しいらしい。

今後はリハビリを続けることで元に戻せる希望はあるとのことで、サリーが夜遅くまで実際に包丁を握って訓練を続けていることは私も知っていた。



そんなある日、サリーがメヌド作りを私に教えようと言い出した。

秘伝中の秘伝の料理をサリーが私に授けてくれる気持ちは嬉しかったが、その反面でサリーが料理を作ることをあきらめたのではないかと不安にもなった。

それに私はいずれ日本に戻らなければならない身だ。せっかく教わっても無駄になるのではと思ったので、サリーにはメヌドを継承するのは私ではなく、ジェロがふさわしいのではないかと進言してみた。

サリーは「メヌドなんか秘伝でもなんでもない。誰にでも作れる家庭料理だ。ジェロが覚えたいというのなら、一緒に教えても良い」と言った。

これまでジェロは私と一緒で主に受注と配膳を担当していたのだが、リニューアルを前にして、調理を手伝わせてみたら、これが思った以上に筋が良かった。
呑み込みが早く、センスも悪くない。

そう言えば、私に自分の料理をアレンジしてランチを作ってみたらどうかと言ってくれたのはジェロだった。

サリーが戻って来るときの土台は私が作った。その私に代わりサリーの右腕になるのはジェロが最も適した人材だと思っていた。

ジェロが高校を卒業するのは来春だ。それまでの数か月間、サリーがどう乗り切るかが課題だが、今からでもジェロを仕込んでおくことに越したことはないだろう。



本来、メヌドはフィリピンの料理だ。

豚のレバーを玉ねぎやニンジンと炒めてトマトピューレを加え、塩コショウで味を調えるというのが一般的な作り方。

レストラン「タベルナ」のメヌドは、これにメキシカンな要素が盛り込まれ、独特の風味がして旨いのだ。

豚の内臓はレバーのほかに小腸や胃袋も使う。野菜は玉ねぎとニンジンにジャガイモ、パプリカ、青唐辛子、ニンニク、おろしショウガ。
ラードで肉と野菜を炒め、トマトピューレと煮詰めたチキンブイヨンにゴールドテキーラを加え、すりつぶしたニンニクとおろしショウガ、塩とほんの少しの砂糖で味を付ける。

「どうだ。簡単だろうが」

包丁は使えないが、重いフライパンを振るう手つきは前と変わらない。

「客はまだ、このメヌドを待ってるんだ。トーキョー、お前がこれを作れるようになったらランチで出せ。そしてチキンは夜の部で出す」

ランチが軌道に乗るまでディナーはやらないことにしていたが、名物のメヌドが復活するなら、昼はメヌド一本で勝負し、夜にチキンや他の料理を提供できる。

それからは昼の客が捌けたら毎日メヌド作りの特訓があった。

だから夜の賄いは毎晩メヌドを食べた。

晩飯はサリーも付き合ってくれ、二人でキッチンのテーブルに座り、できの悪いメヌドをツマミにしてビールを飲んだ。

サリーは恐ろしく酒豪だった。

ビールに飲み飽きるとテキーラをストレートで呑んでいた。

そして酔うと妙なメキシカンカンツォーネを歌い出すのだ。

ある晩、酒に酔ったサリーは、自分の身の上について語りはじめた。

「俺は、自分の本当の親の顔を知らねえんだよ」

サリーは、インディアン居留区で生まれた。

「俺の名前は、カレタカだ。ほかにメキシコ風の名前もあるが、それは後付けだ。本名はカレタカ。ホビ族の言葉で『守る者』という意味らしい。いったい何を守るのか知らないがね。生まれてすぐに捨てられたんだ」

物心ついたときには母と名乗る中国人の女性がそばにいて、実質的にはこの中国人に育てられたのだと言う。

父親はメキシコ人だと育ての母から聞いているが正確なことは分からぬまま、その中国人女性もカレタカが10歳のときに病死してしまう。

その後は、いくつものコミューンを転々とし、若い頃は食べるために悪事にも手を染めた。

「ひったくりに、かっぱらい、何でもやった。あのままだとギャングの手先にでも身を落とし、鉄砲玉に使われてとっくに命を落としていただろう。そう。あの人に拾われるまで、俺は人間じゃなかった。ただ生きてるだけのそこらの野良犬と違いなかったんだ」

食うに困り、食べ物を盗んだり、レストランから出る残飯を漁る日々が続いていた。

ある日、いつものようにホテルの裏にあるゴミ箱を漁っていたら、たまたまそのレストランのシェフがゴミを出しに来たのだという。

「そんなことは普通有りえないんだ。料理長自らが残飯を棄てに行くなんてことは有りえない。だから奇跡だったんだ」

無心にゴミを漁るカレタカを見て、そのシェフはいったん厨房に戻り、いま客室から下げてきたばかりの食べ残しを皿のまま差し出した。

おずおずと手を差し出すカレタカにシェフはこう言ったという。

「旨い料理を気取って残す奴らが嫌いだ。このままゴミになって棄てられるより、食べたい人にたくさん食べてもらいたい」

カレタカはそんな言葉も半分聴き流し、食べられるうちに食べておこうとガツガツ料理を手づかみで口に運んでいた。

するとそのシェフがカレタカをじっと見つめ、ふいにその手を掴んだ。

「俺は、こいつゲイじゃねえかと思ったんだよ。だけど違った」

シェフはカレタカの両手を裏に表にしてじっくりと観察した後、「こういう料理を食べるのも楽しいが、作って客に食べさせるのはもっと楽しいんだよ」と言った。


「それが、運命の岐路だった。俺はこの人は何を言ってんだ?って感覚だったんだ。でもこの人は真剣そのものだったんだな。俺はそのままホテルの上の階まで連れて行かれると、裸にされて風呂に入れられて、洗濯したての服に着替えたんだ。半分犯されることは覚悟してたな。でも来やがったらぶっ殺してやろうとも思ってた」

だが、着替えたカレタカはそのままレストランのキッチンに連れて行かれて、その日から働くことになった。

「何が何だか分からんまま、毎日毎日叱られ続けたんだ。『追い回し』って知ってるか?厨房の中の下働きの下働きだ。まあ身分の階級があるとするなら、キッチンの中の奴隷だな。掃除にゴミ出し、食材運びに皿洗い。先輩連中があごでこき使う。あっちこっち追われるように走り回るから追い回しってんだ」

あからさまな虐めもあった。浮浪者のカレタカだからなおさらだった。

だが、カレタカは耐え続けた。それはシェフの見事な包丁さばきを目にしたからだった。

「まるで機械のようだった。玉ねぎがあっという間にスライスになって次の瞬間にはみじん切りになってるんだ。それまで生きてきた世界とは全く違う。プロフェッショナルの世界を見ちまった。その虜になったんだな」

カレタカは全員が寝静まった頃、見よう見まねでくず野菜を包丁で切る訓練を続けた。

あの高速で寸分違わぬ包丁さばき。あれを自分も身に付けたいと思う一心で毎晩訓練を続けたのだった。


やがて、長く続いた『追い回し』から脱却し、包丁を持たせてもらう機会を得たとき、カレタカの腕は素人の域をはるかに凌駕していた。

先輩たちの妬みや嫉みもあったというが、そういう逆境を跳ね返して一人前に育ったのだという。

「俺の『サリー』は、この俺を仕込んでくれた師匠にあやかってつけたのさ」

「え!もしかしてそのシェフがサリー・ワイルだったんですか?」

「へへへ…そうだと、この打ち明け話もぐっと面白味を増すんだがなあ。それじゃあ出来すぎだ。料理長はサリー・ワイルの弟子だったんだ。それも孫弟子。だから、よけいに憧れが強かったんだろうさ。だから自分のニックネームをサリーにしたんだろうな。サリーことジャック・ペトラザ。それがあの人の名前だった」

「料理長が尊敬するくらいだから素晴らしい人だったんでしょうね」

「ああ、あの人は人種による差別はしなかったからな。いくらキャリアがあろうと関係ない。実力至上主義ってのかなあ。だから俺だってついていけたんだ。だけど、あっさりと死んじまった。ホントに…あっさりとな」

交通事故だったという。横断歩道を渡ろうとしていたところを飲酒運転の車に跳ねられたのだ。

心のよりどころを失ったカレタカは店を辞め、盛り場を流転し、いくつかのレストランを渡り歩いた。







そこまで話すと、サリーは「お前も飲めよ」と言って自分のグラスにテキーラを満たすと私に差し出した。

私は姿勢を正し、そのグラスを両手で受けとると「お流れ頂戴します」と言って一気に空けた。
喉を熱い液体が下っていき、テキーラ特有の香りが鼻に抜ける。

「おお!良い飲みっぷりだ。ところで、さっき何て言って飲んだんだ?」

「お流れ頂戴します」

「オナガレ・・・?」

「そうです。目上の人からお酒を戴くときに日本ではそう言うんですよ」

「オナガレか…」サリーは私が空けたグラスにテキーラを満たすと、「オナガレ!」と言って飲み干した。

「いやいや、それじゃ逆ですよ」

「良いじゃねえか!オナガレだ!」

サリーがテキーラのグラスを私に差し出す。

もうヤケ糞だ。

それからしばらく一つのグラスにテキーラを注いでは、交互に「オナガレ」を繰返し、サリーがオハコのカンツォーネをダミ声で歌いはじめた。

「楽しいだろ!お前も一緒に歌え!」

そう言われて、サリーの歌声に合わせて一緒に歌った。

〈麗しの君い~その燃える瞳が私を狂わすう~私はその瞳の虜お~おお~愛しの君よ~〉



「なあ、トーキョーよ、まだ話の続きがあるんだ」

サリーはテキーラをぐっと呷ると、「俺は小さいながら自分の店を持てた」

「そうですね。とても立派なことだと思います」

「まだ話は終わってねえ。黙って聞いてろ。良いか?俺みたいな混血児が人並みに自分の店を持てたんだ。これは奇跡だよ。そしてお前との出会い。これも奇跡だ」

私が黙って聞いていると、サリーは続けた。

「俺は、これまでの人生で2度命を助けてもらった」

そう言って、サリーはグラスに口をつけようとしたが、やめた。

「一度目はサリー・ペトラザに拾ってもらったとき。二度目はお前だ、トーキョー。お前は俺の命の恩人だ」

「出来ることなら、お前にこの店を譲りたいんだ」

サリーは大きくはなを啜った。そして、大きな手で私の手を握りこむと、「トーキョー、またいつでも帰ってこいよ」と言って、テキーラのグラスを呷った。

そして、またオハコを歌いはじめた。

〈麗しの君~その瞳が私を狂わす~私はその瞳が私を狂わす~〉

サリーは歌いながら目に涙を浮かべ、「トーキョー、ここからだ。」そう言って促され、二人でサビを歌う。

サリーが立ちあがり、私もつられて立つ。

なぜだか涙が溢れ出す。

〈私はその瞳の虜~おお~愛しの君よ~〉

この音程で正しいのかどうかもわからない。

でもこの日は熱い気持ちを抱きながら、熱唱を続けた。












(以下次号)