チェンの案内で裏通りの小道をかなり歩き続けた先にその食材店はあった。

見かけは小さな雑貨屋だった。

ところが、レストラン「タベルナ」にも負けず劣らず、せまい間口の割に奥行が広く、店内は大きく三つに仕切られていた。
けばけばしい刺繍の暖簾がその奥へと続く部屋の仕切りをしており、洞窟のようなその店の奥へと進むにつれ、売っているものが徐々に得体の知れないものになっていくような気がした。

最初の部屋は中華料理の食材、その奥は調味料と香辛料、さらにその奥は薬草と漢方薬いう感じで怪しげな種の横には「良く効く媚薬」と添え書きがしてあった。

この中には大麻草もあるのだろうが私には見分けがつかなかった。

中華の食材は、殆どが乾物で干しアワビ、干しエビ、干し貝柱といったものが所せましと陳列されており、ピータンや肉の燻製などもあった。

嬉しいことに日本のだし昆布と鰹節まで売っている。

調味料売り場には、1升瓶に入った日本の醤油がズラリと並び、みりんも「味の素」も売っている。

もう、この場で全部買い占めてしまいたい衝動にかられてしまう。


「これは日本から輸入しているんですか?」

チェンの従姉だという女性に尋ねると、「たぶんね」という無愛想な答えだ。

その女性はチェンとは対照的におそろしく無口だった。

かわりにチェンが通訳のように解説してくれた。

取引先の問屋がサンフランシスコから仕入れており、注文すると1週間かけて届くのだという。

「だいたい、この辺のチャイニーズレストランが商売相手なんだけどさ、日系人や私たち中国人もよく買いにくるんだよ」

中華料理店というのは盲点だった。

いろいろと欲しいものは多かったが、一人で抱えて持ち帰るには重すぎるだろう。

別の日にジェロを連れてきて手伝ってもらおう。

また改めて出直すと告げると、チェンが途端に不機嫌な表情になり、「なんだい、せっかく連れてきてやったのに何も買わずに帰るの?」と言うのでビニールパックに入った鰹節とだし昆布を買うことにした。



店に戻ると、さっそく鰹節と昆布で出汁をとり、スナッパーのつみれ汁を作った。

それを冷まして大き目のタッパーウエアに移し替えると、ジェロのアパートへ向かった。まだ夕方の4時だ。晩御飯にはまだ早いが、試食ということで大丈夫だろう。

この日は珍しくジェロの母親もいた。でっぷりと太っていてゴスペル歌手のように声が良く通る女性だった。

ジェロの家でつみれ汁を鍋に移し、温め直す。

居間のテレビニュースの声が聞こえてくる。

「昨夜またストア強盗があったみたいだね」キッチンに入って来たジェロが眉をひそめて言った。「マスターを撃った野郎のことは許せない。警察がとろいからなめられてんだよね。俺が探し出してやる」本気かどうかは図りかねたが、鍋を混ぜながら「バカなことはするなよ」と釘を刺しておいた。
粋がっているだけだろうが、こういう年ごろの子どもは弾みで何をしでかすか分かったものじゃない。

ネギか三つ葉でも浮かべたいところだが、さすがにマーケットでは売っていなかったので色付けにチコリーを刻んで添えた。

ジェロの婆さんは思った以上に喜んでくれ、ジェロとジェロの母親にも評判が良かった。

「トーキョーさん、これがウマミなんだね。最高に旨いよ。材料を売ってる店があったんだね!よかったね!これで日本料理が作れるね!」

「そこでジェロ。お前に頼みがあるんだが、今度の休みに手伝ってくれないか?大瓶に入った醤油とかみりんとか重たい荷物を買って運びたいんだ」

「それなら歩いて運ぶより、アニキのトラックを使おうよ。俺が借りてきてやるよ」

トラック・・・?誰が運転するんだ?

「ちょっと待て、俺は日本の運転免許しか持ってないぞ」

「免許?そんなの関係ないでしょ。なんだったら俺が運転してもいいぜ」

「バカ言うな!お前は無免許じゃないか!」

「心配すんなって」

ジェロはそう言うと家を飛び出していき、彼のアニキを連れて戻ってきた。

身長190センチ、体重150キロくらいの巨漢でアレックスという次兄の方だった。

「トラックがいるんだって?」しわがれ声のアレックスがガムを噛みながらそう言うとポンと鍵を投げてよこした。

受け取った私がためらっていると「少々のかすり傷はかまわんが相手のいる事故だけは起こすなよ。返すのはいつでも良いが、ガスは満タンで返せ」と言ってにやりと笑った。

「ちょっと待ってくれ。俺はこの国の運転免許を持っていない。よかったら君が運転してくれると助かるんだが・・・」私がそう言うと、アレックスは真顔になって「車の運転をしたことないのか?」と訊くので「日本では運転していたさ」と答えると「じゃあ大丈夫だ。事故さえ起こさなきゃ免許を持っていようといまいと関係ない」と言い「くれぐれも事故るなよ」そう釘を刺して部屋を出て行った。

残ったジェロがにこにこ笑い、「明後日の午後が休校日だから手伝うよ」と言う。

本当に大丈夫なんだろうか・・・・。



その日のうちにジェロの案内で路上駐車したトラックを見に行く。
アレックスの体格から想像して、ダンプカーのような大型トラックを連想していたが、古いフォードの普通トラックだった。

よくこんなのが残っていたなと思わせるほど古く、年式は間違いなく60年代初期だろう。
クリーム色のボディは錆び付いていて、まるでミルクにインスタントコーヒーの粉を落としたような斑模様が無数に付いている。

運転席に乗り込みエンジンをかけるとガラガラと大きな音をたてて車体が震動した。

コラム式のシフトレバーを操作して発進させてみる。
ギアの繋がるタイミングがつかめず、大きくノッキングしながらトラックが前進する。

「トーキョーさん‼️大丈夫?」ジェロが叫ぶ。
ガクン、ガクンと大きく揺れながらトラックが公道に出る。

ギヤをセコからサードにチェンジする。
ギュルルルと唸り声を上げながらトラックが加速する。

サードからトップにあげる。

うん、いい感じだ。古いがエンジンはまだまだ調子が良い。さすが自動車工場で働いているだけあって、アレックスは充分この車をメンテナンスしているようだ。

交差点を右に曲がる。ウインカーを出したつもりがワイパーが動き出す。何もかもが右ハンドルの日本車とは正反対だ。

「どこまで行くの?」助手席のジェロが尋ねる。私は運転に慣れるまで出来るだけ他の車や歩行者には出会いたくなかった。
「このまま街はずれまで行こう」そう答えて大通りを直進した。
30分も走れば徐々に周りの民家がなくなっていく。

やがて周囲に人工的なものが何もない原野に辿り着いた。

舗装路から外れ、原っぱに車を乗り入れた。縦横無尽勝手気ままにトラックを走らせて運転操作のコツを覚える。

原野はどこまで走っても際限がない。360度どの方向を向いても地平線が真一文字に走っていた。

その地平線の上に真っ青な青空が見える。

ぐるりと大きく円を描きながら360度自然のパノラマを楽しむ。

西の空に沈みかけた大きなオレンジ色の太陽が見える。

うっすらとたなびく白い雲が太陽の光を受けて黄金色に輝いている。

車が円を描くたびに太陽が右へと走り、左から現れる。

「トーキョーさん、目が回っちゃうよ!」

ジェロの笑い声が耳に心地よい。

だから何度も何度も円を描いた。

ここはアメリカ。そうだ、俺は今まさにアメリカで生きているんだ。



(以下次号)