店の前にたたずむジェロに声をかけると、ジェロは不安げな表情で「マスターが撃たれたって聞いたもんだから」とか細い声で言った。









テーブルの椅子にジェロを座らせると、ミルクを温めて飲ませた。

不安げな表情のままジェロが私を見上げているので、私もジェロの向かいの椅子に腰を掛けた。

「マスター、大丈夫なんですか?」
「ああ、腕を撃たれたけど、骨に異常はないみたいだから平気みたいだよ」
「ああ、よかった」

この日、学校から帰ったら晩御飯を食べる前になって婆さんから「そう言えばチェンが『サリーが撃たれて救急車で運ばれたらしい』と言ってたよ」と聞いて慌てて走ってきたというのだ。

「ばあちゃん、こんな大事なことを真っ先に教えてくれないんだぜ」
「まさか、おばあちゃんとケンカしてきたわけじゃないんだろう?」
「ちょっとだけ。でもまず最初に言うべきだよな。俺がお世話になってることばあちゃんもよく知ってるんだから」
「まあ、大丈夫なんだから良いじゃないか。ちゃんと帰って仲直りしろよ」
「うん・・・それは分かってるんだけど帰りづらいよ」
「それを耐え抜くのが男ってもんだろ」
私が偉そうにそう言ったとき、グルルと腹が鳴った。
「なんだ、トーキョーさんもおなかが空いてんじゃない」
「何か食いに行くか?」
「それより何か作ってよ。料理出来るんでしょ」

確かに、今後収入があるかどうかも分からない状況だ。この店にある食材で何か作って食べたほうが無難かもしれない。

「ちょっと待ってろ」
私はそう言うとキッチンに入り、冷蔵庫の中を物色した。
野菜と冷凍したモツが残っている。
見よう見まねでメヌドを作ってみようかと思いついた。

冷凍のモツは、50オンス入りのパックで五つ入っていた。
二人で食べるのに1パックじゃ多すぎるので、半分を使うことにした。
作り方も味付けも教わってないから全く分からない。
まずは凍ったモツ入りのビニールパックを湯を張った鍋に入れてとかす。

野菜は何が入っていたか?玉ねぎ、キノコ、ニンジン・・・思いつくままの材料を適当な大きさに切る。

フライパンにラードを溶かし、半分とけかけたモツ入りパックを鍋から取り出して包丁で半分に切る。その中身をフライパンに放り込んで高温で焼く。脂の焼ける臭いとモツが放つ特有の臭いが混ざり合う。ここまではよく似ている。
ニンニクのスライスを加え、トマトピューレを加えて野菜を放り込む。
煮えた野菜から汁気が出て、いい具合に煮詰まってくる。
塩と胡椒を振って輪切り唐辛子を加えてひと煮たちさせて味をみる。

似ても似つかない味だ。

試しにジェロに食わせてみると「トーキョーさん、料理ができるって本当なの?」と言われた。

味が決定的に違う。何がどう違うのか全く分からない。

使った材料や調味料はこれでよかったのか、分量はどうなのか。根本的なことが分かっていないから味が同じになるはずはなかった。

仕方がないので、出来損ないのメヌドをジェロと二人で食べることにした。

「うん、噛んでりゃ似たような味だと言えなくもないよ」
そうジェロに嫌味を言われても何も言い返せない。
「でも、トーキョーさん、鍋を振るう手つきは良かったよ」
「さっきからバカにしてんのか?」
「いや、違うって。同じ味を再現しようとしたからダメなんじゃない?トーキョーさんにはトーキョーさんの料理があるんじゃないかと俺は思うんだけど」
「俺の料理?」
「例えばさあ、日本の料理ってどういうの?スーシーとかテンプーラとかゲイーシャとか、俺は食べたことがないからわからないけどさ。そういう得意料理を活かしてみたらどうかと思うんだよね」
「それはいい考えだ。だがな日本の味をそのまま出したってこの町の人には合わないよ。それに芸者は料理じゃない」
「だから上手にアレンジすれば良いんだよ。やってみる価値はあると思うんだけどなあ」
「考えとくよ」
「それからさあ。うちのばあちゃんが食べられそうな料理も一緒に考えてほしいんだよね。前に頼んだだろう?」
「ああ、そうだったな」
「マスターが復帰するまで店は閉めておくんでしょ」
「そういうことになるな」
ジェロは出来損ないのメヌドをスプーンで掬って、再び皿に落とした。これじゃ商売にならないとでも言いたげに。そうやってむやみに皿の中をかき混ぜながら話を続ける。
「トーキョーさんはこの先どうすんのさ」
「それは今、考えてるとこだ」
「トーキョーさんがメヌドに代わるこの店の名物を作ればマスターも楽になるよね」

料理長はそれほど長くは入院してはいないだろう。銃創に感染がなく傷が塞がる目処さえつけば退院してくるとは思う。
だけど、利き腕を負傷している以上、調理は出来ないかもしれない。
しばらくリハビリに時間がかかるだろう。

料理長に安心して休養してもらうにはジェロのいう通り、私が頑張るしかないのかもしれない。

この店に残り、この店を盛り立てる。それ以外に道はないのだ。

このまま旅に出ても、逃亡したとみなされるだろう。

他に働き口を探そうとしても、ジムの妨害に遭わないとも限らないし、ジムの言うトーキョー共犯説の噂が飛べば誰も雇ってはくれないし、雇われていたとしても即座に追い出されてしまうだろう。

その前にこのレストランタベルナで第2の名物料理を作って、町の人々に認めてもらう。それしか道は残されていない。

そこまで一生懸命努力する姿を見せれば、ジムだってわかってくれるんじゃないか。

こういう日本人的な発想が通用しないのはよくわかっている。だが、何かに夢中になっていなければジムの黒い影に覆われてしまいそうで怖かったのだ。







翌日私は入院先に料理長の見舞いに行き、今後の身の振り方を相談することにした。

料理長は昨日と同じようにベッドに横になっていて窓の外を見ていた。

「こうやって眺めていたら、雲が流れていくのが分かる。あの雲がどれくらい空の上にあるのか分からんが、風に流されてんだろうな。同じ形の雲は二度と出来ん」

「意外とロマンチストなんですね」

「ふん。わかってるよ。この先どうするか俺に相談しに来たんだろ。それとも別れのあいさつかい?」

私はベッドわきに置いてある椅子に腰を下ろし、今後の店の運営について確認に来たことを告げた。

店は店長でもあるこの料理長の腕にかかっているのだから、他に料理人がいなければ再開することは出来ない。ただし、メヌドに代わる新しいメニューが客に好評になれば少しは楽になるのじゃないか。そのためには食材の調達に資金が要る。
これまで働いた分を従業員に給与として払わなければならない。
つまるところ、銀行預金か少なくとも金庫の中にある現金を私に扱わせてもらえないかという最初っから無理な相談だった。

料理長は仰向けの姿勢で目を閉じてじっと私の話を聞いていた。

私が話し終えると目を開き、体ごと私のほうを向いて私の目を凝視した。










この日、私は午後から休校だというジェロの家へ行き、勉強を教える約束をしていた。

だが、その約束は反故となった。

理由は店の金庫を開けて、中の現金を取り出し、チェンとジェロに給料を支払うためだった。

それから、新しいメニューを開拓するための食材を買い求める必要もあった。




信じられない話だが、料理長が私の意見に賛同してくれたのだ。

じっと私の目を見つめていた料理長は「お前がどこの誰だか詳しいことは何も知らねえ。だが正真正銘、俺の命の恩人だ。俺はこのとおり、もしかすると包丁もまともに握れないかもしれねえんだ。お前の言葉を半分信じるよ」そう言って、金庫の開錠番号を教えてくれたのだ。




店に戻った私は、厨房に駆け込むと早速戸棚を開けて中の仕切り板を外し、金庫を露出しようとした。

慌てていたのでつい手荒くなって、板を外した衝撃で棚の上の花瓶が倒れた。

そして、床にコロリと何かが落ちた。

何かと思い足元を見降ろしてみると、それは小さな薬きょうだった。

セミオートピストルの撃ちガラ薬きょう。料理長を撃った犯人のタマ!そう思った瞬間慌てて後ずさりした。

これに触って指紋でもついたらそれこそ疑いが濃くなってしまう。

だがどうする。このままごみと一緒に捨ててしまうか。それとも犯人の手がかりとして調べてみるか?

私は調理台の引き出しからアイスピックを取り出し、その先を薬きょうの口に挿し入れて用心深く拾い上げた。

上を向いたヘッドスタンプが見える。9ミリショートと読めた。

9ミリショートといえば、中型拳銃の部類だ。どれくらいの威力があるのかということまでは分からないが、至近距離で撃たれれば命を落とすことだって十分にあるだろう。

私はその薬きょうを紙で包むと、いったん金庫の上に載せた。

改めて金庫と対面すると、料理長に教わった通りの番号錠を合わせてレバーを回した。

カチリという音とともに殆ど抵抗なくレバーが90度回転し、すんなりと金庫の扉が開いた。







(以下次号)